旅の日常その4
夜の海は暗い、灯りになる様な物が漁業ブイに着いたライトくらい、後は遠く陸地の灯り、星と月くらいしか頼れる標もない、太古の船乗りは星だけを頼りに海を渡ったと言うがなるほど当時は町の灯りもないし灯台なんて物は有ったかもしれないが篝火故に見える範囲は限られただろう。
そうなると残るのは星の位置くらいだ、少なくとも羅針盤が開発されるまでは勘と星以外に海に目印なんて物は無かった筈だ。
そんな暗い暗い海をまるで見えているかの様に、いや見えている、目でもうっすらと、だが感覚がハッキリと、波間すら浅い場所なら水底すら手に取る様に解る。同時に脳が焼けつくように熱されていく感覚が走り続ける。
第六感、或いは物理エンジン、念動系や空間干渉の異能を持つ物が範囲や精度には訓練や生まれ持った物によって違いは有れど全てが持つ、それを13年も磨けば20mもの範囲を知覚できるし音の反響を利用してしまえば50mまでなら見える、但しという前置きをした上でそれには相当に脳を酷使する必要が有る、異能は万能だが全能ではない、その気になれば力を使えても思考する以上カロリーは消費するし副産物である知覚に関してはそれなりの酷使をしないと制御すらできない。
その中で大まかな位置だけを把握できる副産物、張ったバリアーの中で意識的に優先度が高い一つに集中して海の上を飛ぶ。
「よぉ、こんばんわ、良い夜だなお嬢さん方」
「馬鹿言ってないで早く助けてよ、お兄」
「あいあい、お叱りはお袋に任せるとするさ、そっちの娘も戻ったらお母さんに抱き着いてその後こっぴどく抱き締められながら叱られると良い」
浮き輪と共に海から引き揚げて無いよりはマシだろうと風を遮断する設定で障壁を張っておく、妹の方は彼と同じく体は比較的丈夫だから大丈夫だろうがもう一人、おおよそ5才くらいの幼女は旅行の思い出が漂流と風邪になっても不思議では無いだろう。
「お兄、この子の人形探せる?」
「あん? 人形? この海でか?」
「そう、人形拾おうとして落ちたみたいであの高さから落ちて無傷なのは奇跡だけど人形の方はどっか行っちゃったみたいなのよ」
「ほー、お嬢ちゃん、人形ってのはどんなのだ?」
暗いためあまり意味は無いだろうが目線を合わせて問うてみる、小さい物だと絶望的だがしかしそれでもおそらくなんとかはなるだろうと当たりを着けて確実性を上げるための情報を得る必要が有った。
「熊さん」
「フワフワの?」
「うん」
「お目々はボタンかな? それとも布張り?」
「糸でバッテン」
「大きさはどのくらいかな?」
「このくらい」
「その子のお名前は?」
「チャールズ」
「よしよし、潮流的にそこまで遠くには行ってないだろうし水吸って重い筈、範囲は1キロ四方で良いか、深さは海溝とか有った場合を考慮して日本海溝より深いって事はないし8キロくらいか、後は水を透過、土や石も透過、生物もサイズ問わず透過、布製品のみを防いで例外的に網状と糸、それにロープを除外、サイズの最小値を固定して」
ブツブツと呟きながら遠く深く大きく見えない壁を張っていく、ありとあらゆる全てを内と外で分け隔てる壁ではなく、規定した物を分け隔てる壁を、後はそれをゆっくりと上げていく。深い海底の底から水面へと、途中で魚だとか、ゴミだとかはたまた太古の昔に絶滅した筈の恐竜が居ようとも関係ない、生物には全くの違和感なく、何かが通り過ぎた事さえ気付かないだろう。
これはそういうモノだ、規定しないならば目に見えず触れる事すら叶わず、専用の機器でも分析ができるかどうか、障壁という異能を十全どころか万全に使えるが故になんでもあり、物を通す通さない、その強度、形状、サイズ、距離、自由自在に操ってその気になるだけで発揮される、彼の念動を最強の矛とするならこちらは最強の盾、争わず共に在る矛盾はすなわち無敵だ、あらゆる攻撃を防ぎ、あらゆる盾を貫く、おおよそ想像できるトラブルに対応可能な世界に対する反則。
深く大きく広い海の底から熊のぬいぐるみを探し出すなんて造作もない。