旅の日常その3
フェリーではある種の醍醐味とも言える雑魚寝スペースではなくツインルームと三人部屋をそれぞれ一つ抑えてそれなりには優雅な船旅である、夕飯もホットスナックや自販機の物ではなくレストランのバイキングと出費は嵩むが幸いにして大学からの給料やテレビ出演による報酬、それに執筆した本の印税と多少の贅沢は可能だし父親的に屈辱だろうが息子の財布には戦車を買えるカードだって在る、ちょっとやソッとの散財じゃ揺るがないしそもそもこの日の為にある程度貯蓄もしている。
幸いにして誰も船酔いにはならず、と言うかこの規模の船だとおおよそ揺れる事が少ないため問題すらなく、時間は過ぎて早寝早起きの息子は既にベットでグッスリ、己は買った缶ビールとスルメで一杯、これが家なら息子も呑んだのだろうが外では一切口にしないという徹底ぷりは仕事を考えれば有り難いのかそうでないのか謎だ。そもそも苦言を言っても馬の耳にだし未成年者の飲酒は基本的に申告、現場を抑えられない限りは問題にならない、所謂バレなきゃ合法だ、それを良しとは思わないが最低限のモラルは持ち合わせているらしい点から目を瞑る。
そもそもその気になれば世界征服すら可能なのにそんな気を起こさず真っ直ぐとは言えないが育ってくれた、そもそも少々の脱法は今さらだろうし自分だって信号無視とかの微罪をやった事がないとは言えない、それこそキリストか如何に聖人君子だろうと当時の法を犯したから磔にされたように、神の子だろうと神そのものでも罪は犯す、ならば家で酒を呑むくらいは可愛い物だと自分を誤魔化すしかない。
酔いがいい感じに回ってきて、さぁそろそろ寝ようかいうタイミングで部屋の扉が物凄い勢いでノックされる、イタズラにしてはただ事ではなさそうと扉を開くと同時に飛び込んできた菜慈美が扉を開けた人物には目もくれずに眠っている自分の彼氏に馬乗りになると顔面をひっぱたいて叩き起こす、まるで浮気でもしたのかという苛烈さに何が有ったと飛び起きてしかし状況は全く飲み込めないと目をショボショボさせて若干ながらまだ眠りの国に意識を置いているらしい。
と言うか、これは思う以上に酔いすぎてオカシな夢でも見てるのかいう表情を父親がしている時点でかなり意味不明な状況と言える。
「とっとと起きろ寝坊助、事件よ事件」
「んぁー、何事よ、殺人ならサツ官に任せようぜワトソン、ホームズはオネムだ」
「下らない事言ってないで起きな、でないと熱いお湯でも頭から被らせるわよ、人が海に落ちたの」
「んー、じゃあ海保にでも……あー、なんで鈴子のバリアーの位置が明らかに船の全長よりキロメートル単位で後ろに有るのか聞いていいか?」
「子供落ちる、続いて浮き輪持った黒人らしい少女飛び込む、鈴子ちゃんが見当たらない、答えは?」
「はぁー、マジか、去年の羆襲撃といい我が家の旅行はトラブらないとダメなのか? とりあえず親父、バスタオル用意してデッキ待機よろしく、菜慈美はこことお前らの部屋のシャワー用意しといてくれ、浴場が使えるなら話は別だが」
そう言うとパジャマのまま部屋を飛び出す、あるいはこんな絶望的とも思える状況を打開できる力を持つ事を知っているからこそあの妹は飛び込んだのかもと叱れば良いのか誉めれば良いのか殴れば良いのか悩みつつ酔いが一気に覚めた頭でとにかく言われた通りにバスタオルの確保に向かう。