独白
神なん糞食らえ仏も悪魔も糞食らえ、そんな風にアイツは公言して憚らないが完全に同意する。
この世界を作った創造主とやらに糞食らえと中指を突き立て、こんな風に作った名も知らぬ誰かに呪詛を送りたくもなる。
私をこんな風にした何者かに糞食らえと、演劇業界において第四の壁という物がある、それは演者と観客を隔てる見えない壁、言わばアイツの障壁のような物だろう、それを破る事をメタフィクションなんて言われる事もあるしキャラクター的にそれを許される者も居る。
私はそれを許された、だだし限定的に、壁を把握できる、私を把握できる、それを思考できる、だが示唆はできない、示唆できたとしても異能で溢れるこの世界でさえ異常者としか見られないだろうがそれはそれでストレスが掛かる。
誰がどんな媒体で私を見ているのかは解らない、小説かゲームか漫画か、はたまたドラマや映画か、そこまでは解らないが観測者と創造主が居る事だけは解る、まるで神の如く世界を作る者とストーカーの如く私達を見続ける何者か、私が小説を読む時にそうしているようにそんな自覚はなく見守っている。
気付いていないだけで彼らがそういう視点を持っていないとどうして言える、書かれてないから言葉にしてないから、描写がないから、それは理由にはなっても根拠にはならない。
私がそうあれと作られたように彼らがそうあれと作られているならば示唆されていなくとも記載されていなくとも語られていなくとも、そういう設定を付与された時点で余人が知っていなかったとしてもそれを持っている、或いは作者本人が知らずとも持っているのかもしれない、その媒体がどうであれ、作者がこうだと言えば白が黒になるように決定された物事は例え批判を浴びようともそこに断固として居座る様に、何処かの誰かが、もしかしたら人ですらない何かが、私を構成する時にそうあれと思った時点で私はそこから動けない。
昔々有るところにでも、俺の名前はでも、冒頭から始まり、めでたしめでたしでも俺たちの戦いはこれからでも終末を迎えるその瞬間までそこから自分の意思で外れる事は不可能だ、私のこの思考でさえ誰かが産み出さなければ存在しない、例え私が自殺しようと誰かを害しようと喜劇だろうと悲劇だろうとそこに私の意思は存在しない、だってそうあれと作られたのだから。
探偵が居ればそこに事件が起こるように、主人公が居ればヒロインが支えるように、その気になれば全てを無かった事にさえしてしまえる超常の存在がそうあれと作った以上、なんでも起こるしなんでもありえる。
どんな媒体、作品でも彼らが居る限り全ては定められた様にしか動かないしご都合主義だろうがなんだって起こせる、死人を生き返らせるも、存在しないはずの者を産み出すも、それこそ空の色から月の数まで自由自在、そうあれと思い、そうあるように書き描き見せて聞かせるだけでそれは最初からそうなる。
混沌も秩序も怨嗟も祝福も起こすも鎮めるも無くすも枯らすも、何をどうするのも機嫌一つ気分一つで容易く決まる、まるで子供がアリを指で潰すが如く無邪気さで。
私という存在を構成して決定着けて産み出して、あぁ本当に糞くらえだ。
真実か中二病か判断は丸投げします。