規格外の対策
西岸高等学校の歴史を遡れば恐ろしい事に戦国の初めくらいまで遡る事ができる、当時は武家の子弟に剣術を学ばせる道場として在り嘘か真か古くは結城家に使えていた系譜だと言う、戦乱の世の中で文字算術も教える寺子屋としても活動を初めて地元の名士と言えば国主や地頭を除くならば彼等を指すと言われる程に強い影響力を持ち太平の世が来ても変わらず子供たちに礼節や武術や文字を教える場所として在り続けた。
少しばかり風向きが変わったのが徳川八代の頃で、この頃になると学びたい者には学ばせるという考えの元に農民商人の身分に関わらず剣術や算術を教えだし、さらに時代が進んで明治維新の前くらいには剣術道場を止めて寺子屋一筋、しかし体を鍛えるという名目で前よりも精力的でないにしても剣術を続けていたが廃刀令が馴染む頃にはそれも終わり寺子屋から私塾となり、名も元の家名に道場という物から房総半島西側の岸に近いと西岸私塾と改めて相も変わらずに地元や周辺の子供を集めて勉強を教えていた。
そうしてほんの数年で学校としての体裁を整えて私立学校へと名を変えて行くが古くよりの名門として、地元や周辺の親から高い信頼を寄せられて下手な公立校よりもずっと良いという評価が根強く一族の者を旗頭に全国からかき集めた教員で古くよりの理念である自立自由自治の三本柱を胸に邁進し続けた。
そこからさらに時代が進んで第二次大戦が終わってようやく戦後の混乱も収まってきた頃になって、かつてのように学びたい者には学ばせるという考えから私学としては全国で三番目、県内初となる異能者の受け入れを発表して今に至る、その歴史を何処を起点にするかで変わるが最古なら500年近い古豪の名門、直近でさえ100年以上前、房総半島のほぼ南端でずっと子供に学びの場を用意し続けてきた。
しかし、如何に名門だろうと古豪だろうと新進気鋭だとしても越えられない壁や対象しきれない問題というのは存在する、そんなのは当たり前で今さら言うまでも無いと言えばそれまでで全知全能ならざる者には常に付き纏うし全知全能が正しく全知全能ならばそこに矛盾も生じるため大前提として存在する全ては常に何処かで無理が出てくる。
それが全国的なパンデミックともなると人の身で可能な事は少ない、どれほど望んでも過密状態は避けられない教室という密室に人を集めるのは不可能だ、空き教室を全て使って密度を下げるにしても教員の数が足りないし映像を中継しての授業等は機材が無いしノウハウも足りない、ノウハウは後から着いてくるにしても有線無線問わずに生徒達に不自由させない中継となると足りない物だらけだ。
「恥を忍んで頼むわ、正直この状況打開すんのには自分くらいしか頼れる奴が居らんワシのポケットマネーやとそうは出せんけどローンでもなんでも組んで出すもん出すから頼む」
「いや、まぁ俺ならどうとでもできるでしょうが、流石に今すぐに一回でなんの前降りも根回しもなくとなると無理ですよ? とりあえず来週の月曜火曜は休みなんで月曜の10時頃に一年の数割登校させて11時にまた数割、12時に残り、午後から二年、翌日に三年と前日来れなかった奴、んで来週にもって感じですかね、まぁ三年が先でも良いですが」
「根回ししたらやってくれんのか?」
「そりゃあまぁ他の誰かなら兎も角恩師の頼みなら一肌は痛そうなんで嫌ですが服くらいなら脱ぎますよ? あぁヌードはゴメンですがね」
「そのおちゃらけた言葉が沁みるわ、じゃあワシの方で理事会と役所に根回しするから来週頼む、最悪理事長はなんとかなるから頼む、矢面には俺が立つから」
「そうやって俺の時も矢面に立たせてましたし理事会からの言葉を上手く調整してくれてなかったらロハで受けませんて情けは人のためならずですかね」
「なんや泣かせるつもりか? とにかく今からワシ動き廻るから金曜の夜にまた連絡するわ」
「はいはい、何時でもどうぞ」