第十二話
ユークリア王国、豚鬼の縄張りと化した北東部。
小川と低い崖の間、わずかに空いた空間に三つの人影があった。
陽は落ちてすでに夜なのに、一行は火を焚いていない。
遠方から豚鬼に発見されるのを警戒してのことだ。
いくら強者であろうと、戦い続けては疲労が溜まる。
特にこの二日間、前衛として戦ってきたのはプレジアだ。
オークと人間の娘で生まれつき身体能力が高いといっても、寝ずに戦い続けられるわけではない。
スキル【分身術】で分身に働かせて、疲労を先延ばしできるサトルと違って。
「サトルは、本当に強いのだな。レベルは私より上で、スキルも強力で……わかっていたはずなのに……」
地面にぺたりと座り込んだプレジアは、常になく肩を落としていた。
プレジアがケガをした左腕側にはソフィア姫が座っている。
小さな手をきゅっと握って、落ち込むプレジアに心配そうな眼差しを向けている。
「まあまあ、あれだけの数が相手ならケガしてもおかしくないって。姫様の【回復魔法】で治る程度だったんだし、そう落ち込まなくても」
プレジアに声をかけたのは、目元に隈を浮かべたサトルだ。
ちなみにシファは見張り役として野営地を離れ、ベスタはその後を追いかけた。たがいに自分の方が役に立つのだとアピールするつもりだろう。
サトルはぐったりと寝そべっている。
プレジアの悩みを適当に聞いているわけでも、ティレニア王国の王族を前に不遜に振る舞っているわけではない。
人間以外の一人と一体に見張りを任せて、サトルはこの二日分の分身を吸収した。
ケガや死こそないものの、十数人分の疲労は座っていられないほどだった。
「今日の反省は明日活かせばいい。明日は『本拠地』って言われてたところにたどり着く予定だし、今日より強い豚鬼だっているだろ。雪辱戦ってヤツだな」
昼間、プレジアは豚鬼リーダーが指揮する豚鬼の集団と戦って、弓矢と魔法でケガを負った。
すぐにベスタ、シファ、サトルが参戦して事なきを得たが、プレジアは負傷したことを気にして落ち込んでいる。
「だいたい、ダメージはたいしたことなかったし、俺たちが参戦しなくても勝てたんじゃないか?」
その言葉はサトルなりの慰めなのだろう。
プレジアはうつむいたまま小さく首を振った。ぼんやりと地面を眺める。
サトルのフォローへの返事はない。
ソフィア姫は「元気のないプレジアを慰めたい、でもいまはわたくしの騎士ではなくてどう言ったらいいのか」とでも思っているのか、オロオロと落ち着きがない。
それがまた、いっそうプレジアを落ち込ませていた。
小川と低い崖の間の狭い野営地に、沈黙が続く。
「姫様の護衛は、このままずっとサトルがやった方がいいのかもしれないな」
「おい、それは」
プレジアがポツリと言った。
サトルがむくりと起き上がる。
ソフィア姫は目を見開いて固まっている。
「サトルは姫様に傷一つ負わせることなく守りきったではないか。私を助けるために攻勢にも出たのに、危なげなく」
立てたヒザの間に、プレジアが頭を押し込んだ。
サトルとソフィア姫の視線から逃げるように。
「【分身術】でタワーシールドを並べた密集陣形は見事だった。弓矢も魔法も防いで……ニョイスティックを伸ばして敵の後衛も倒していたし、サトルには【風魔法】だってある」
豚鬼の群れに囲まれながら、プレジアはサトルの動きを把握していたらしい。
力ない声でサトルの活躍を振り返る。
己の無力さを噛み締めるように。
「馬のままでもベスタは強かった。シファだって【水魔法】で遠距離攻撃ができるし、船を作り出す能力はこの先の旅も役に立つことだろう」
野営地に、プレジアのか細い声だけが響く。
サトルは何を言うべきかと考え込んだ。サトルに女性を励ますコミュニケーション能力はない。冒険者時代は『ぼっちの踏破者』と呼ばれ、小役人になってからは男だけの職場だったので。
「私よりずっと強い者が姫様を守っている。私より旅に役立つ者たちがいる。私は……」
「ほ、ほら、明日も戦闘なんだ、ぐちぐち言ってないで今日はさっさと寝るぞ。あー、酒があればなあ。おっさんたちはこういう冒険者がいたらひたすら飲み食いさせて女性がいる店に送り込んで」
サトルがようやく思い出した慰め方は、ルガーノ共和国の冒険者スタイルだった。
冒険者ギルドマスター『傷だらけの禿頭』が、男の冒険者にやってきた慰め方である。
ちなみに、盗賊に襲われて返り討ちにしたサトルも体験した。童貞はその時に捨てたのでサトルは立派な素人童貞で――
「わたくしはずっと、プレジアの努力を見てきました。プレジアの強さを見てきました」
うろたえるサトルを無視して、ソフィア姫が口を開く。
「姫様、でもいまの私は」
「王宮の訓練所でプレジアが泥まみれになって、血を流して歯を食いしばって訓練しているのを見ていました」
プレジアの弱気な発言をソフィア姫が遮る。
意を決したようなソフィア姫の言葉に、サトルは口をつぐんだ。
サトルが知らない主従の絆を信じて。
決して「なんて言ったらいいかわからないから助かった」と思ったわけではない。
「わたくしの護衛騎士になるんだと自らを鍛えるプレジアを見て、どんどん強くなるプレジアを見て、わたくしは、ふさわしい主になろうと心に誓ったのです」
「姫様は賢く可愛らしく美しく清らかな素晴らしい主で、私こそ姫様をお守りするために、姫様の護衛騎士になるために、でも私は弱くて」
幼いソフィア姫にフォローされても、プレジアのネガティブ思考は収まらない。
生まれつき力が強く、レベル39で、過酷な訓練をくぐり抜けてきたプレジアは、自信を失ったのだろう。
サトルとベスタの強さを前に、「遣東使」として旅に役立つ仲間たちを前に。
父親の故郷を守りたいと言い出したのは自分なのに仲間の助力を受けて、強くなるために剣を返したのに不甲斐ない自分に直面して。
「プレジアは強いのです」
それでも、ソフィア姫は断言した。
「わたくしはプレジアがもっと強くなって、プレジアのお父様の故郷に平和を取り戻して、わたくしの護衛騎士に戻ってきてくれることを信じています」
ソフィア姫は、幼い頃に出会って以来、ずっとそばにいた年上の友人に告げる。
信じているのだと。
微笑みを浮かべて、プレジアの目を覗き込む。
「ひ、姫様…………」
プレジアは吸い込まれるようにソフィア姫の微笑を見つめた。
プレジアの目に浮かぶ涙は悔しさや後悔ではなく、敬愛する主に信じられている嬉し涙だ。
「ひ、姫様がこんな私を信じてくださるとは、わたっ、私は! 私はぁああああ」
言葉が言葉になっていない。
感極まったのか、プレジアは目からだーっと涙をこぼす。
剣ダコと傷だらけの戦人の手を、ソフィア姫のたおやかな手に伸ばして、主従が手を――
「はいそこまで。お触りはNGです」
「サトルさん?」
「なっ、なんだサトル! 私と姫様の触れ合いを、愛の交歓を邪魔するとはどういうことだ!」
重ねる前に、サトルが預かっているタワーシールドに防がれた。
「愛の交歓っておかしいだろ、じゃなくて。プレジア、明日は豚鬼の本拠地に行くんだぞ? 『八つの戒め』の四番目は『自分から姫様に触れない』だっただろ。弱体化してどうする」
「はっ! くっ、だがしかし、いまいい雰囲気で!」
「おいさっきまで『自分は弱い』って落ち込んでたのに何言ってんだ。『いい雰囲気で』じゃなくてな」
姫様ラブがすぎる。
プレジアの立ち直りが早すぎて、今度はサトルが肩を落とした。
「明日はがんばりましょうプレジア。わたくし、応援だけでなく、防御の魔法や祝福をかけますからね」
「おお、ぉぉおおお………姫様から愛をいただけるとは……明日の私はきっと最強となることでしょう! 待ってろ豚鬼ども、明日がキサマらの命日だ!」
プレジアがぐっと拳を空に突き上げる。
ソフィア姫は元気を取り戻したプレジアをニコニコと見守って、サトルははあっと深いため息を吐いた。
「……これ、姫様は難聴系なんじゃなくてわかってやってる気がしてきた。プレジアの親愛を受け入れてるだけな気がしてきた」
頭を抱える。
遣東使として旅を続ける間に、プレジアがソフィア姫への想いをサトルに語ることがあった。
プレジアの声が大きくてソフィア姫に聞かれているんじゃとサトルが心配したことも、ソフィア姫本人の近くでプレジアが語っていたこともある。
ニコニコと微笑むソフィア姫はプレジアの言葉が聞こえていないようだったが、これまでもスルーしていただけなのかもしれない。
サトルには理解できない主従関係である。
「はあ……ほんとに思い悩んでるっぽくて心配したのに……」
サトルはふたたび横になった。
豚鬼の縄張りに入ってから二日目の夜が更ける。
けっきょく、野営の見張りはベスタとシファの二人が張り切ってこなしたようだ。




