第八話
「姫様。どうか、剣を返すことをお許しください」
ソフィア姫の前で跪いて、タワーシールドをそっと置くプレジア。
「いやそれ盾じゃん。剣じゃなくてタワーシールドじゃん」
サトルのツッコミは、真剣な主従に届かない。
「プ、プレジア、どういうことでしょうか、わたくし、プレジアが、剣を返したいと、わたくしの護衛騎士じゃなくなりたいと言ったように聞こえて」
驚きに目を見張ったあと、ソフィア姫はじわっと目に涙を溜めてオロオロしている。
騎士が、主に剣を返す。
ソフィア姫とプレジアの間では「護衛騎士を辞する」意思表示だと理解されているようだ。
置かれたのは盾だが。
「姫様、落ち着いてください。あくまで一時的なものです。姫様が許してくだされば、ですが」
「その、プレジア、理由、理由を教えてください。わたくし、至らぬことが多いとわかってるんですけど、わからなくて」
遣東使として旅に出て以来、いや、サトルがソフィア姫と知り合って以来、ここまで動揺する姿を見せるのは初めてのことだ。
ソフィア姫に問われて、プレジアは幼い主を見上げた。
「この地は父の故郷だと聞きました。私はモンスターに脅かされた父の故郷に平和を取り戻したいのです。それに――」
プレジアがきゅっと眉を寄せて、地面についた拳に力を込める。
「いまの私では、姫様を守りきれないかもしれません。ですから私は、姫様の盾ではなく姫様の剣となりたいのです。この身を姫様のお役に立てるために」
「プレジア……」
いま、プレジアのレベルは39だ。
オークと人間の両親を持つプレジアは、生まれつき力が強いのだという。
プレジアの固有スキル【八戒】は、『八つの戒め』を守っている間、徐々に身体能力が上がっていくという強力なスキルだ。
それでも。
レベル65でスキル【分身術】を持つサトルよりも、レベル43でブレスを吐けるドラゴンのベスタよりも弱い。
豚鬼が支配する縄張りに向かうことが決まって、プレジアは期するところがあったようだ。
「姫様の剣となり豚鬼を掃討して……レベルを上げて完全無欠の姫様の盾となったその時に、また私を護衛騎士にすることをご検討ください」
「プレジア……それほどの覚悟を……」
「あ、不可逆じゃないんだ。さすがに焦った」
サトルはほうっと安堵の息を漏らす。
王宮勤めだったとはいえ文官で、それも財務を担当していたサトルは、騎士の任命や辞任については知らなかったらしい。
ティレニア王国では、主の理解さえあれば護衛騎士の一時的な辞任も再任命も可能なようだ。
あるいは、ソフィア姫とプレジアの関係が特殊なのかもしれない。
「……わかりました。ですがプレジア、わたくしは信じています。プレジアが最高の盾となって戻ってきてくれることを」
「姫様……」
「いまはわたくしの剣として、モンスターを討ち滅ぼしてください。そうして、プレジアのお父上の故郷に安寧を、民に平穏をもたらしましょう」
「はっ! この身を一振りの剣とし、父より受け継いだ魔剣〈オーク殺し〉を振るいます!」
ソフィア姫の許可と命を受けて、プレジアがふたたび首を垂れた。
「もうちょっとうまい例えなかったかプレジア。剣を返したのに剣になって剣が剣を振るうってよくわからないことになってるぞ」
空気を読んだのか、サトルのツッコミは二人に聞こえない程度の小声である。
「ティレニアを旅立った頃のわたくしとは違うのです。防御力を上げる【回復魔法】の〈防御〉も使えるようになりましたし、レベルは11から28まで上がりました」
プレジアを安心させるように、自分に言い聞かせるように言い募るソフィア姫。
その言葉を証明するために、ソフィア姫は地面に置かれたタワーシールドに手を伸ばす。
うんしょっと手をかけるも、細い腕はぷるぷる震えている。
タワーシールドを立てることには成功したが、下部は地面についたままで持ち上がらない。
「ひ、姫様……くうっ、早まったか私! 健気にがんばる姫様は可愛らしすぎてずっと愛でていたいがこれではッ!」
プレジアは、タワーシールドを全身で支えるソフィア姫を見てオロオロしている。
ベスタは心配なのか、馬の姿のままソフィア姫の左右をウロウロしている。
シファは、幼いヒトの子の努力はなんだか微笑ましいとばかりに見守っている。
「デメリットも大きかったけど俺には力があったから、力をつけたいって気持ちはわからない。でも、家族の故郷を守りたいってプレジアの気持ちは理解できる。俺はもう還れないからなあ」
主従のやりとりを見守っていたサトルが、ソフィア姫の元へ歩いていく。
ソフィア姫が支えるタワーシールドをひょいっと奪い取った。
「母親の故郷を見たい姫様が、父親の故郷を守りたい護衛騎士を送り出すのも、まあわかるかな。だから――」
「サトルさん? あの、盾を返していただいても、わたくし、プレジアがいなくても自分の身は自分で守れるのだと、わたくしも成長したのだと見せたくて」
「安心して暴れてこい、プレジア。護衛騎士に復帰するまで、姫様は俺が守ろう」
レベル65のサトルは、軽々とタワーシールドを持ち上げた。
盾の陰にソフィア姫を隠して、プレジアに笑顔を向ける。
「サトル……ありがとう。では、母から預かった盾をいまはサトルに預けよう! 私が最強となるその時まで!」
「ええっ、最強はサトル様でその次はアタシで、アタシはともかくサトル様より最強になるってそれは無理なんじゃないかあって思って」
「ベスタ、身も蓋もないことを言うな。そりゃ俺も20以上のレベル差をひっくり返すのは無理だと思ってるけど。プレジアの心意気ってやつだろ」
「ああっ、いつも気の抜けたサトルさんが凛としてらして、わたし、濡れてしまいましたわ。サトルさん、いますぐにでもこの湖に精を放つおつもりは」
「ないからちょっと黙ってろシファ。いまいいところだから」
柄にもなく格好をつけたサトルは、水を差すベスタとシファの言葉に肩を落とした。
持ち上げた盾の下部を地面につけて、上部にぐたっと腕を乗せる。
「ありがとうございます。サトルさんがいてくださるから、きっとわたくしはここまで旅して来られたのですね。本当に、ありがとうございます」
うつむいたサトルと、足元から見上げるソフィア姫の目があった。
瞳を潤ませて感謝を伝えるソフィア姫に、サトルは照れて頬をかく。
「サトルが姫様を守ってくれるなら心配はいらないな! では、オークと人間の娘であるこの私は、これより鬼となる!」
父である『追放されしオーク勇者』から受け継いだ両手剣〈オーク殺し〉を、プレジアは両手で掲げた。
うっすらと青い光を帯びた〈オーク殺し〉が、陽光を浴びてきらめく。
「鬼って。豚鬼と紛らわしいだろプレジア。さっき『剣になる』って言ってなかったか」
プレジアの宣言を受けて二人は拍手を、一体は足を踏み鳴らし、サトルは頭を抱えた。
ユークリア王国のとある村の湖のほとり。
北東部から侵攻する豚鬼への反撃の狼煙は、ここから上がった。




