第七話
ユークリア王国の中央からやや北にある小さな湖。
湖のほとりに、四人の人影があった。
「このイカダというか繋いだだけの木材というか、こんなもので湖を渡ってきたのか」
「粗末なものですわね。わたしが作り出せる『船』はもっと立派ですのよ? お見せしましょうか? なんでしたらサトルさんを乗せてそのまま二人でしっぽりと」
「行かないから。近いうちに船は見せてもらうけど、ここじゃ村人に見られるし」
朝方から仮眠をとって、先ほど目覚めたサトルたちである。
宿の主人が用意した軽食をつまんで、四人は散歩がてら豚鬼の舟を見にきていた。
四人の横では、ベスタが湖水に口をつけている。
豚鬼と豚人の闘争の話を知らないベスタはのんびりとしたものだ。
サトルはベスタに説明する気はないし、最初の襲撃者を見逃したことも咎めるつもりはないらしい。
豚鬼は「フードで姿を隠した人型」だったため、ベスタは宿への侵入に気づいていながら攻撃しなかった。
気づかなかったのではなく、「人里で人間を襲うな」というサトルの言いつけを守ったのである。
「さて姫様、どうしましょうか。俺たちの目的地は日の本の国です。モンスターたちが大量に巣食っていると知ったわけで、迂回するか違うルートを選ぶこともできます」
サトルは振り返って、ソフィア姫に選択肢を示す。
「シファの船次第ですけど、村から離れて湖水を渡る手もありますね。ダナビウス国で川を下った時のように、水中のモンスター対策にはベスタもいますし」
「えへへありがとうございますサトル様! ふふん、サハギンなんかに負けないからな、サトル様の次に最強なのはアタシなんだ!」
ポンポンと馬の首を叩いたサトルは、ベスタが喋り出すと腕を巻きつけてぐっと軽く締めた。
ここは人里、村の中である。
話す馬を見られるわけにはいかない。
ぐえっと悶えつつどこかうれしそうなベスタを尻目に、サトルは話を続けた。
「豚鬼の縄張りが広がっていることも、人間や豚人と争っていることも、遣東使である俺たちの目的には関係ありません」
「そう、ですね」
そう言って、サトルはソフィア姫の目を覗き込む。
まるで試しているかのように。
物資やお金の管理は文官で小役人のサトルの担当だが、遣東使としての最終判断はソフィア姫が下していた。
いちおう、サトルにも王族を立てるつもりはあるのだ。
「ですが、ここはプレジアのお父様の故郷なようです。また、このままでは豚人も人間も危ないという話でした。現状は報告しているけれど、国の対処にはまだ時間がかかるだろうと。ここは『辺境』ですから」
「では、この村の人たちは、豚人さんやこの周辺の人間たちは」
「対処が間に合って助かるかもしれませんし、助からないかもしれません。あるいは、豚鬼が侵攻をやめるかも。モンスターの行動は読めませんからね」
ソフィア姫は、小さな手を顎に当てて考え込んだ。
たしかに、東の果ての国を目指すだけなら選択肢はいくつもある。
かつて日の本の国からティレニア王国にたどり着いたトモカ妃は、ロシアまわりのルートを通ってきたのだという。
それを聞いたソフィア姫の提案でこのルートを選んだが、サトルがうろ覚えに記憶する「ヨーロッパから日本に向かうルート」はいくつか存在する。
海路は危険らしいが、元の世界ではヨーロッパと中国を繋ぐ「シルクロード」もある。
豚鬼に占拠されているエリアを無理に通る必要もない。
この村や周辺の人里や、豚人や、ユークリア王国の民がどうなるか、気にしなければ。
サトルは静かに、幼い王族の決断を待った。
「わたくしは……」
やがて、ソフィア姫が口を開いた。
小さな拳をきゅっと握って、瞳に決意を秘めて。
「わたくしは、お母様の手紙を日の本の国に届けるのだと、お母様が生まれ育った地を見るのだと心に決めています。交易をして、お母様に『うしろだて』ができて、もっとお父様に会えるようになってほしいと」
まっすぐにサトルを見つめて想いを語る。
山岳連邦で、『聖火焔』に旅路を阻まれた時と同じように、同じ想いを。
だが。
「ですがわたくしは、この村のみなさんを、豚人さんを見捨てたくありません」
その先は違った。
『聖火焔』に包まれた山のふもとでは、とにかく旅を続けることしか頭になかったのに。
8歳の美女児の成長に、サトルは口元をほころばせる。
「ここで見捨てて旅を続けたら、わたくしはきっと後悔するでしょう。日の本の国にたどり着いても、帰還して願いを果たしても」
ソフィア姫はサトルを、プレジアを、ドラゴンでいまは馬の姿のベスタと、人化したサハギンのシファを、ぐるりと見まわして。
深く、頭を下げた。
「わたくしは【回復魔法】しか使えません。どうかみなさん、力を貸してください」
見捨てたくないというソフィア姫の判断はつまり、豚鬼の集団と戦うということだ。
旅に必要のない戦いに仲間を巻き込むことになる。
ティレニア王国の第八側妃の娘で王族なのに、ソフィア姫は真摯に頭を下げた。
少なくとも、一人の応えは聞くまでもないだろう。
「ああ、姫様はなんとお優しいのか……感動が止まらず私の涙はきっとこの湖より大きな湖を作ることでしょう……」
「それもう【水魔法】だろ。ベスタとシファがいるんだ、魔法を覚えるなら水系以外にしてくれ」
だーっと涙を流して、プレジアがソフィア姫の前にひざまづく。
サトルは呆れながらもどこか嬉しそうに笑っている。
「ふふん、大丈夫だよ姫様! 最強のサトル様とその次に最強のアタシがいるんだから、モンスターなんてぱぱーっと蹴散らしてやる! あ、でもサトル様、あんまりたくさんいたらアタシはドラゴンに戻ってもいいですかね? その方が戦いやすいっていうか」
馬の姿のベスタが、蹄でごりごりと地面をかく。
白馬のかわりとなってからずっとソフィア姫を背に乗せてきたベスタは、すっかり情が移ったのだろう。
ポルスカ共和国では、ソフィア姫が口ずさむ鼻歌に合わせてリズムを取っていたほど馴染んでいる。
「活躍するいい機会ですもの、わたしに否はありませんわ。サトルさん、ご褒美はいただけるのですよね?」
「よしシファは戦わない方向で。それかソフィア姫から何か金目のものをもらえるよう交渉してくれ。俺は何もあげないから」
動機が不純すぎるが、シファも協力するつもりらしい。
すすすっと近づかれたサトルが身を離す。
「わかりました、姫様」
「サトルさん、では!」
「俺も日の本の国との交易は楽しみですからね、障害は取り除いておきましょうか」
サトルは笑って、ソフィア姫の依頼を引き受けた。
軽い。
レベル65でチートスキルを持つサトルにとって、豚鬼などその程度の相手なのだろう。
そもそも痛みや疲労の追体験さえ覚悟すれば、サトルが数で負けることはない。
「さて。話が決まったところで報告に行きましょうか。村人も豚人も宿の食堂で待ってます」
湖のほとりにほかの村人はいない。
話し合うサトルたちに気を遣って、人払いされていた。
今後の方針が決まってサトルが歩き出す。
「サトル、待ってくれ。ベスタもシファも聞いてほしい」
止めたのはプレジアである。
先ほどまでソフィア姫の成長にだばーっと涙を流していたプレジアが、ソフィア姫の前に立った。
真剣な眼差しでソフィア姫を見つめて跪く。
プレジアは背負っていたタワーシールドを外して、そっと地面に置いた。
「姫様。どうか、剣を返すことをお許しください」
声を震わせてプレジアが首を垂れる。
ソフィア姫は驚きに目を見張る。
空気を読んだのかベスタとシファは無言だ。
「いやそれ盾じゃん。剣じゃなくてタワーシールドじゃん」
サトルのツッコミが、湖上を吹き抜ける風に流れていった。




