第四話
ユークリア王国の、湖に面したとある村。
深夜、村は静まり返っていた。
ひさしぶりの旅人に湧いた湖畔の宿も、いまは静かなものだ。
ちゃぷっ、とかすかに水音がする。
しばらくすると、湖のほとりにポタポタと水滴が垂れる音が続いた。
押し殺したような息遣いも。
村への侵入者である。
月を隠していた雲が晴れて、侵入者の姿が月明かりに照らされる。
大柄な人間が五人ばかり。
ボロボロのフードをかぶってその顔は見えない。
手にした刃が、月光を反射してきらめいた。
侵入者は迷うことなく一つの建物に向かう。
村唯一の宿に、めずらしく旅人が宿泊していることを把握しているかのように。
キイッと扉を開く音が鳴り、一階の土間に五人が忍び込む。
宿の管理を任された村人が起き出す様子はない。
大柄な男たちの重みで二階へ続く階段がきしむ。
旅人が起き出す様子もない。
宿の二階の客室は大部屋が一つだけだ。
壁や扉で仕切られることはなく、階段を登ればすぐに客用のスペースになっている。
二階というよりも、広いロフトといった方が近いだろうか。
五人の侵入者は、階段の上部で一度立ち止まった。
たがいに視線を合わせて頷く。
ここまで静かに行動していたことが嘘のように、侵入者は残りわずかの階段を駆け上がった。
ダダダッと音が響いても、宿のおっさんも旅人も、起き出す様子はなかった。
まるで、薬や魔法で深い眠りに落ちているかのように。
最初に二階に上がった侵入者は入ってすぐに立ち止まり、手にした長剣を構えてキョロキョロと部屋の中を見渡す。
続く二人はその左右で武器を構え、旅人が寝ていることを確認して後ろに合図を送る。
最後の二人の手に武器はなく、すっぽりと人が入りそうなほど大きな麻袋を手にしていた。
旅人を害するのではなく、さらう魂胆なのだろう。
村人に気付かれぬよう静かに侵入して、旅人が寝ているスキに拐かす。
誘拐は成功するはずだった。
旅人に、一人の男がいなければ。
ごすごすっ、と鈍い音が二つ。
麻袋を手にした二人の侵入者が倒れた。
「んー、盗みじゃなくて誘拐っぽいなあ。俺もプレジアも起きないのは薬か?」
荷物の陰に隠れていた、一人の男の手腕である。
一瞬のうちに、侵入者の頭部を杖で攻撃して二人を昏倒させる。
レベル65の力と伸縮自在のニョイスティックを利用した攻撃だった。
「起きろ俺! プレジア! 姫様とシファも! 盗賊だ!」
叫びながら、サトルの分身はまた一人の敵を倒した。
侵入者に対抗するだけなら、護衛騎士はともかくソフィア姫を起こす必要はない。
だがここは村の中で、宿の二階だ。
堂々と侵入する敵を発見したサトルは「おいはぎ宿」、もしくは「村ごと敵」であることを警戒したのだろう。
室内用に短くしたニョイスティックでもう一人の侵入者を倒し、最後の侵入者の剣を跳ねあげる。
はらり、と侵入者のフードがずり落ちた。
「……んん?」
つばぜり合いの格好で侵入者と向き合ったサトルが、ほのかに青い光に照らされた侵入者の顔を見て首を傾げる。
小さな目につぶらとも見える黒い瞳、潰れた平たい鼻。
下顎からは短く鋭い牙が飛び出している。
薄汚れた肌はやけにピンクがかって、分厚い脂肪で表情は読めない。
額の両端に短く小さな角がある。
フードの下にあったのは、豚を醜悪にしたような顔だった。
豚やイノシシに似た顔で、二足歩行して武器を振るい、人間を襲うモンスター。
「…………オーク、か?」
間近で見たモンスターの正体に疑問を抱きながらも、サトルは力で無理やり押し込んで杖の先端を向ける。
「まああとでいいや、伸びろニョイスティック!」
ニョイスティックを伸ばした。
オークっぽい侵入者は対応できず、鼻面にもろに打突を食らう。
『ふごっ』
一声悲鳴を漏らして、どうっと倒れた。
「悲鳴が豚っぽかったなあ」
サトルの感想は、襲撃者の苦痛の呻きにかき消された。
「これは? 姫様ご無事ですかッ!? 護衛たる私がなんたる失態!」
「静かにしろ、プレジア。俺も姫様もシファもみんな無事だ。ベスタは知らないけど問題ないだろ」
「サトルさん、この方たちは? それにわたくし、なんだか頭が重いような」
「やっぱり盛られたっぽいですね。食事する前に分身を出しておいてよかった」
「薬など盛らなくても『動くな』と命じてくだされば、サトルさんに何をされてもわたしは受け入れますのに」
「盛ったの俺じゃないから。人聞きの悪いことは言わないでください。あと艶かしい動きもやめてください」
サトルと、起こされたサトルの二人がかりで五人の襲撃者を縛り終えると、ようやくプレジアとソフィア姫とシファが目を覚ました。
プレジアとソフィア姫は眠気を飛ばそうとしきりに首を振り、シファはベッドの上で身悶えしている。
「それで、だ。プレジア、この襲撃者たちはオークっぽいんだけど。……知り合いか?」
「むっ? ちょっと待ってくれ、サトル」
のそりと上体を起こしたプレジアは、緩慢な動きで自らの武器を手にした。
オークである父親から受け継いだ両手剣〈オーク殺し〉をすらりと抜く。
刀身が、青く光っていた。
「うむ、間違いない! そいつらはオークだ!」
「……は? そういえばさっきも月明かりなのにやけに青っぽいなとは思ってたけど。プレジア、その光は?」
「この魔剣〈オーク殺し〉は、近くにオークがいると青く光るのだ!」
「おいやめろプレジア、話が違う。名前も違う」
「父がこの剣を振るう時は常に光り輝いていたのだ!」
「お父様オークだもんね。光の警告まったく役に立ってない」
「だが力は受け継いだというのに、私は〈オーク殺し〉を光らせることができず……こうして光っているのを見るのはひさしぶりだ」
「おいプレジア、それじゃオークになりたがってるみたいに聞こえ――」
サトルの言葉の途中で、宿に隣接した馬屋からいななきが聞こえてくる。
馬の、というかベスタのいななきである。
人里にいるため「人語を話さない」という約束を守りながら、サトルたちに警告を送ったようだ。
サトルは階段の警戒をサトルに任せて、鎧戸の隙間から外を見た。
「誰か来るぞ。村人っぽい人と顔を隠したヤツの集団で。俺が足りるかな?」
「オーク程度なら問題ないだろ。オレイチ、いちおうフードで顔を隠しておいてくれ。【分身術】は秘密にしたい」
サトルがサトルと話し合っているうちに、プレジアは縛られたオークとソフィア姫の間でタワーシールドを構えた。
ソフィア姫とシファもようやく警戒態勢をとる。
宿の二階の客室は、〈オーク殺し〉の青い光にぼんやりと照らされている。
と、青い光がいっそう強まった。
「サトル。近づいてくるのは、オークだ」
ユークリア王国の湖のほとりにあるのどかな村。
深夜の襲撃は、まだ終わらないらしい。




