第一話
「美しい景色ですね……」
ほうっと息を吐いて、馬上のソフィア姫がしみじみと感想を漏らした。
先導するサトルも馬の横に立つプレジアも、最後尾にいるシファも、足を止めて周囲の景色を眺める。
水棲種族と共存する『大河と平原の国』ポルスカ共和国の国境を越えて、一行は新たな国を旅していた。
ティレニア王国、山岳連邦内のルガーノ共和国とボーデン公国、ダナビウス国、ポルスカ共和国を経て、六ヶ国目。
ティレニア王国の王都ティレニアを発ってから、三ヶ月と半ばが過ぎた。
遣東使の任を受けたサトルたちは、『丘と湖が点在する辺境』、ユークリア王国にいた。
国境を通過してから、およそ一週間が経つ。
四人と一頭、もしくは三人と二体が立っているのは、下生えにかすかに轍が残る細い道だ。
ダナビウス国やポルスカ共和国の、大河の横の整備された道とは違う。
景色もまた、これまで通ってきた国とは異なっていた。
「ほんと、絵葉書にできそうですね。さすが『丘と湖が点在する辺境』」
「むっ、いい考えだなサトル! この美しい景色とその中に佇む小さな女神を絵に残そう! そしてすべての人間に配るのだ!」
「『のだ』って。なんかどんどん悪化してる気がするなあこの護衛騎士」
のどかな雰囲気を台無しにするプレジアの大声に、サトルは小さく肩をすくめた。
お決まりのやりとりにソフィア姫はクスクス笑い、ベスタはぼーっとしている。
ポルスカ共和国で新たに加わった旅の仲間、シファは、小さな湖をニコニコと眺めていた。
『丘と湖が点在する辺境』の異名の通り、サトルたちの目の前にはそこそこ高低差のある丘と、低地に溜まる小さな湖が広がっている。
湖は草原や林に囲まれて、ところどころに獣、あるいは小さな獣型モンスターの姿が見える。
一方で、人の姿は見えない。
国土が広いのに人口が少なく、大きな街がないユークリア王国は『辺境』と呼ばれていた。
町や村同士の距離は遠い。
平和だったポルスカ共和国と違って、道中にはモンスターも出る。
国境付近の村で聞いたところ、ユークリア王国では街や村の往来は少なく、自給自足が基本らしい。
「さあ行きましょう、姫様。今日は大きめの村に辿り着けそうです」
「ではお願いしますね、ベスタさん」
「え? もう行くのサトル様、姫様? ちょっとぐらい湖で遊んでもいいんじゃない? ほらほかに人もいないしアタシこのところ馬だったからひさしぶりにドラゴンに」
「行くぞベスタ」
「わかりましたサトル様、行きましょう、アタシぜんぜんサトル様に逆らう気はなくてですね常歩でいいですかなんなら襲歩でも」
「サトルさん、湖で遊んで行きませんか? サトルさんが望むならわたしは服など脱ぎ捨てて、この身体をサトルさんのお好きなように」
「くっ、動揺するな俺。これは魚人これは魚人、本性はサハギン。よし。先に進むぞぞシファ。ああ、シファは湖で遊んでたらどうだ? なんならそのまま居つくといい」
スススッと近寄ってきたシファは、上目遣いでサトルを誘惑する。
だがサトルは、煩悩を断ち切って先に進むことを宣言した。仏か。
「もう、サトルさんったら。我慢しないで欲望を吐き出せばいいのに。でもわたしは諦めませんわ」
すげなく振られたシファは、片手を頬に当ててふうっと艶かしいため息を吐いた。
ざっくり開いた胸元から深い谷間が覗く。
危うく向けそうになった視線を戻して、サトルは歩き出した。
サトルが鋼の心を持っているわけでも仏なわけでもない。
シファの正体はサハギンで、人間の姿に見えるのはスキル【人化の術】を使っているためだ。
いくら積極的に迫られても、サトルにサハギンと触れ合うつもりはない。
「はあ。たいして分身を出してないのに精神的な疲労がヒドい。そのうち慣れるんだろうか」
肩を落としたサトルの足取りは重い。
30歳の小役人は、遣東使の旅の最中でも苦労性らしい。
「サトル! モンスターが向かってくるぞ!」
トボトボと下を向いて歩いていたサトルが、プレジアの警告に顔を上げる。
見れば、丘のふもとの木立を抜けて、こちらに走ってくるモンスターがいる。
「黒狼が7匹、冒険者ギルドの推定レベル15ってとこだな。どうする?」
すっと目を細めて観察したサトルが、モンスターの情報を口にする。
サトルに焦った様子はない。
なにしろサトルはレベル65で、護衛騎士のプレジアはレベル39、人化中のサハギンのシファはレベル32で、ソフィア姫さえレベル28。
全員が黒狼の格上で、レベル15のモンスターが群れたところで全員が格上だ。
ドラゴンが変化した馬でレベル43のベスタなど、ヨダレを垂らしている。
黒狼がオヤツにしか見えないのだろう。
「私がやろう! モンスターを倒してレベルを上げて、姫様を守りきれるようになるのだ! レベルだってベスタには負けていられないからな!」
背負ったタワーシールドを外して手に持ち、プレジアが両手剣を片手で抜いた。
ソフィア姫の護衛騎士として、ベスタよりもレベルが低いことが悔しかったらしい。
レベル65という異常値のサトルは別にして、ベスタのレベルを追い越そうとプレジアは張り切っている。
「がんばってくださいね、プレジア。ケガをしたら言うのですよ。わたくしが治します」
「おおおおおお! ありがとうございます姫様! さあ来いモンスターども、私にケガを負わせるといい!」
「おい趣旨変わってるぞ護衛騎士。姫様の【回復魔法】を受けたいからってわざとケガするなよ」
張り切り過ぎて危なっかしいプレジアを見てもサトルは余裕の表情で、ベスタもシファも、武器を構えるプレジアをぼんやりと眺めている。
黒狼の群れは、果敢に四人と一体に向かってきた。
相手の強さを感じ取れないのか、あるいは縄張りに侵入した外敵を排除しようという本能が強いなのか。
モンスターが丘を駆け上がり、先頭の一匹がプレジアと衝突する。
左腕のタワーシールドで黒狼の鼻面を叩いて、右手の両手剣を一閃。
それだけで、一匹目の黒狼は両断された。
あいかわらず、両手剣〈オーク殺し〉を片手で扱っている。
ちょくちょくソフィア姫に見惚れたり触れたり匂いを嗅いで、『八つの戒め』を破って弱体化しても、元の身体能力は同レベル帯の人間よりも高い。
プレジアが鎧袖一触で二匹のブラックルウルフを倒すと、残る五匹は二手に分かれた。
二匹はぐるりと丘を回り込もうと走り出し、三匹はプレジアの前をウロついて注意を引きつける。
プレジアが格上だと見て取ったのか、黒狼は敵の群れの弱いところを突こうとしているのだろう。
黒狼が、一番弱そうなソフィア姫と馬を狙う。
「しまった!」
「焦らなくていいぞプレジア、目の前の敵を倒せ。こっちは俺が――」
「〈水射〉。ふふ、倒れましたね。サトルさん、これでご褒美をいただけるでしょうか?」
回り込んできた黒狼をサトルが攻撃する前に、シファが【水魔法】を放った。
サトルと戦った時に見せた、勢いよく水を放つ魔法である。
水は黒狼に直撃して、弾き飛ばされた2匹はぐったりと倒れている。
「ほらまだ息があるしご褒美はなしで。ベスタ、殺っていいぞ」
本気ではなかったにせよ、シファはサトルと戦って生き延びたレベル32の実力者だ。
推定レベル15の黒狼など相手にならないらしい。
サトルの指示を受けて、ベスタは馬のまま、倒れる黒狼の腹を食いちぎった。
グロテスクな光景にソフィア姫は目をそらし――いや、気にすることなくプレジアの戦いを見守っている。
モンスターがはびこる世界の8歳児はタフであるらしい。
「ありがとうシファ、ベスタ! はああああッ!」
背後の敵が片付いて、プレジアは攻勢に出る。
踏み込んで両手剣を横薙ぎに一振り、袈裟斬りに一振り。
それだけで、三匹の黒狼は瞬殺された。
「さすがですプレジア。ですがもっと仲間を信じてくださいね? わたくしだって、もうレベル28なんです。オオカミさんの一匹や二匹……」
「姫様の勇ましさはきっと戦乙女の生まれ変わりに違いありません! とても見たいですがやはり私は護衛騎士! もっと力をつけなくては!」
「まあいまのは問題ないだろ。迷わず目の前の三匹を切り捨てれば、回り込んだ二匹にも間に合っただろうし」
「な、なんと……サトルに慰められるとは……」
「おい俺をなんだと思ってるんだ護衛騎士」
「サトルさん、その、わたしは活躍したと思うのですけれど、本当にご褒美はいただけないのでしょうか?」
「ないです。なんだこれ面倒臭い。はあ、次からシファが戦闘に参加する前に片付けよう。いやいっそ分身を先行させてぜんぶ片付けるか」
サトルは戦闘よりも、仲間の言動にグッタリしていた。
チラッと目を向けたベスタは、獲物の血で口元が真っ赤になっている。
ポルスカ共和国を出て、六ヶ国目のユークリア王国。
シファが加わって戦力は充実したものの、サトルの気苦労は倍増したようだ。




