閑話3
ダナビウス国の、とある街の教会。
信者には知られていない地下の一室に、一人の老人が座っていた。
男の前、テーブルには魔道具が置かれている。
水晶のようなそれは、離れた場所と音を繋ぐ魔道具だった。
「また空振りじゃったわい。なにが『ただの文官』じゃ!」
老人は、節くれだった手をダンッとテーブルに打ち付けた。
深くかぶったフードの下から、眼光鋭く魔道具を睨みつける。
まとったフード付きローブの白がくすんでいるのは長旅のせいだろうか。
『卿よ、衰えたのではないか? なんなら騎士を派遣してもよいのだぞ?』
「ふんっ、誰を派遣したところで無駄じゃろうて。アレが『ただの文官』であるものか」
老人は魔道具から聞こえてきた言葉を鼻で笑って、しわがれた声を返した。
「それで、アレの上司とやらに、アレはどんなスキルを持っているか聞けたのかのう? 捕まえて口を割らせると息巻いておったようじゃが」
『……無理だ』
「は? 上司とやらはたかが上級官吏じゃろう? 異端審問官を派遣した方がよいかの?」
『取り逃がした。いまヤツは例の不信心者に保護されているようだ』
「これはこれは! 神のお膝上で鼠一匹捕まえられぬとは! その口でよく儂に『衰えた』などと言えたものじゃのう!」
口を歪めて老人が嗤う。
旅を続ける遣東使を捕まえられない己と違って、王都ティレニアの上級官吏一人捕まえられなかったのか、と。
水晶のような魔道具は、ダナビウス国とティレニア王国の音を繋いでいた。
『我らの動きを王に警戒されている。しばらく派手な行動はできぬ』
「はっ、何が『あの上級官吏と鼠は我が始末しましょう』じゃ」
『我を愚弄するかッ! 卿なぞ行方さえわかっておらぬではないか!』
遠く離れた場所と音を繋ぐ魔道具は貴重だ。
その貴重な魔道具を使っている老人も、水晶の先にいる声の持ち主も、高い地位にいる人物のはずだ。
それが口汚く罵り合っている。
二人とも「手玉に取られる」経験が少ないのだろう。
まして「ただの文官」だったはずの一人の男に。
「アレの行き先の情報は錯綜しておる。ある方角へ旅立ったという者もいれば、同じ街から別の方向へ行くのを見かけたという情報もある。そして、途中で消息がなくなるのじゃ。まるで突然消えたかのように」
先に冷静さを取り戻したのは、しわがれた声の老人だった。
節くれだった手を顎に当てて考え込む。
「伝承にしかない【転移魔法】ということはないじゃろう。幻影か、道なき道を行けるスキルか……あるいは、儂の知らぬ魔道具という可能性も」
魔道具の向こうの存在を気にせずに、老人はうわ言のようにブツブツ呟いている。
長い時の中で蓄えてきた知識の中でも、該当するスキルや魔道具に心当たりはないようだ。
異端審問官の長である老人は、サトルに翻弄されていた。
サトルの、【分身術】に。
教会が追っ手を放ったことを知ったサトルは、追跡を妨害していたらしい。
行く先々でこっそり分身を生み出して、途中で分身を遠隔解除する。
追体験する疲労さえ考えなければ、たしかに【分身術】は行方をくらませるのに効果的なスキルだろう。
「大河では追いついたと思ったものを。舟を壊してみればもぬけの殻。あれも幻影、となれば残るはポルスカ共和国に向かったという情報のみ。くっ、東方教会のバカどもが言うことを聞けば消息がわかるものを……」
ティレニア王国とその周辺では、宗教組織は「教会」しかない。
ポルスカ共和国も「教会」の勢力範囲だが、主流ではない派閥の力が強かった。
狙ったわけではないが、サトルたちの情報は手に入りにくくなったようだ。
『「祈りの間」の監視は厳しくなったが、残る灯の情報は入ったぞ』
ブツブツ考え込む老人に、魔道具を通じて声が届く。
異端審問官の長は気を取り直して水晶に顔を向けた。
「残りは幾つかのう?」
『命の灯は残り4組36名だそうだ。うち2組は離間に成功したため、機を見て襲うとのこと』
「そちらは順調じゃな。残るは1組、それと儂が追う下級官吏と不信心者の娘と護衛騎士の組か」
『うむ、ゆえにしくじるわけにはいかぬ。卿も、我もな』
「ふん、わかっておるわい。……さて、どうするかのう」
サトルたちが順調に旅を続ける間に、ティレニアを出立した今回の遣東使たちは命を落としていた。
任命された10組100名のうち、6組64名が帰らぬ人となっている。
およそ三ヶ月経過時点で、すでに死亡率64%である。
過去、日の本の国までたどり着いて帰還したのは一人だけ、死亡率99.9%という数字は伊達ではない。
「ポルスカ共和国を経由して日の本の国を目指すのであれば、北東まわりか南東に向かうしかないはずじゃったのう」
『ほう? それは朗報ではないか。なにしろ極北の大国はいま――』
「そういうことじゃ。北東に向かったのであればいずれ『北壁』に阻まれることじゃろう。ならば儂は『橋』で罠を張るかのう」
『今度こそしくじらぬようにな』
「もちろんじゃとも。合間見えた暁には、ロッソの仇を取ってくれよう!」
『卿に負けぬよう、こちらはこちらで手を打とう。上級官吏に鼠、残る遣東使、それに王とほかの王族。やらねばならぬことは多いが、こちらは使える駒も多いゆえな』
「ふん、其方こそしくじらぬようにのう」
現状を把握して、今度は罵り合わずに会話する。
一度怒りをぶつけたことで、たがいに冷静になったようだ。
「そろそろ魔力も限界じゃ。では、次は『橋』に着き次第、連絡を入れる」
『猊下に伝えておこう。こちらも――』
言葉の途中で、水晶のような魔道具から光が失われる。
老人はテーブルにヒジをついて頭を支え、しばらくその姿勢から動かなかった。
魔力の消耗による疲労だろう。
やがて老人が、サトルたちを追う「教会」の異端審問官の長が、ガタリとイスを鳴らして立ち上がる。
「『橋』か。ではもう一方の大河を下るかのう。この老骨の身が果てようとも、必ずロッソの仇を打ってくれるわい」
首から提げた聖印に触れて、老人は誓いを口にした。
フードに隠されてその形相は見えない。
サトルとソフィア姫、護衛騎士のプレジアが王都ティレニアを発ってから三ヶ月あまり。
教会に不都合をもたらし、異端審問官の死を知った教会によって、サトルたち三人の組は刺客に追われている。
いまはサトルの【分身術】で追っ手を阻んでいるが、老人には策があるようだ。
いずれサトルたちの前に、ふたたび敵として教会の刺客が立ちはだかることだろう。
ただでさえ遣東使は死亡率99.9%の役職なのに、サトルたちの旅路はさらに過酷なものになるかもしれない。
本人たちはどこか暢気だが。
遣東使の生き残り、残り4組36名。




