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第六話

「変だと思ったんだ。ギルド職員さんは乗り気じゃなかったし怪しい依頼だって」


 水車小屋の前で、サトルは地面に両手とヒザをついていた。

 分身を解除して疲労を追体験したから、ではない。

 推定レベル30の相手と一戦しただけで疲れるほどサトルは弱くない。


「サトル、このあとはどうするのだ? 倒すのか?」


「ダメですプレジア、会話ができて敵意がないのですから、話し合いで解決しましょう」


「慈愛に満ちた姫様は女神のようです! そうしましょう! 人間とモンスターが分かり合えるか不安ですが姫様が言うならできるはずです!」


「プレジアは家庭環境を(かえり)みような。はあ、そういえばあの村長は『討伐依頼』とは言ってなかったっけ。ただ水妖が出る、()()()()()()()って言ってただけで」


 地面にヒザをついたまま、サトルは天を仰いだ。


「これどう考えてもあのジジイはもうちょっと情報知ってただろ。俺たちに隠してただろ」


 がっくりと肩を落とすサトルは、ふと気配を感じて振り向いた。

 地面に座ったサトルの視界に、ウェーブがかった髪と美女の顔が映る。


(ちか)っ! あの、急に近づくのやめてもらっていいですか?」


 ビクッと反応して地面に座ったまま上体を遠ざけるサトル。


 美女は、サトルの背後から近づいてきたようだ。

 爽やかで甘い、花のような香りがサトルの鼻腔をくすぐる。


「魚人なのになんで生臭いんじゃなくていい匂いするんだよおかしいだろファンタジー」


「うふふ。お祖父さまは約束を守ってくれたようですね」


「ああやっぱあのジジイと裏で繋がって……待って、お祖父さま?」


「はい、そうです。産卵期を迎えたわたしがお祖父さまに頼んだのです」


「はあ、産卵期。じゃなくて、お祖父さま? あのジジイ、おっと、村長と血縁関係で?」


「はい。お祖父さまの息子がわたしの父です」


「えーっと、つかぬことをお聞きしますが、お父様は人間で、お母様は魚人でらっしゃる?」


「ええ、その通りです」


「つまりあのジジイの息子は冒涜的な見た目の魚人で果てたことがあると。勇者。勇者いた。さすが剣と魔法の世界、勇者はいるんだなあ」


 サトルは、思いがけずヒトの深淵を覗き込んでしまったようだ。

 遠い目をして見知らぬ勇者を讃える。


「お父様は横笛が得意で、よくこの場所で演奏していたそうです」


「なんか語りがはじまった。でも『勇者の物語』にちょっと興味ある」


 艶めかしい美女は家族の昔話をはじめた。

 まだ立ち上がれないサトルは下から見上げる姿勢で話を聞く。双丘に遮られて人化したサハギンの顔は見えない。

 英雄譚が好きなソフィア姫はキラキラと目を輝かせ、プレジアも耳をそばだてる。

 同じように人化できるベスタも気になるのか、水車小屋の入り口からひょいっと馬首を伸ばした。


「お母様はその演奏に聴き惚れて、水辺で隠れて聴いていたと言っていました。恥ずかしがり屋だったのですね」


「恥ずかしがったんじゃない気がする。普通の村人は魚人を見たら逃げるだろ」


「うだるような暑さの、ある夏の日のことでした。水車小屋に近づくお父様の姿を見て、お母様はいつもと同じように水辺に隠れたそうです。ですが、その日はいつもと違いました」


「暑さでぼーっとして判断力が鈍ったのか? いや、それでも魚人で興奮はしないだろ、人化状態だったらあるいは」


「その日はお父様とお母様のほかに、人がいたのです。涼を求めて、うら若い女性が水浴びをしていました」


「ああ、『うだるような暑さ』だから。この水路の水はキレイだし」


「お父様は横笛を演奏せずに、腰まで水につかって息を潜めていました。同じ村の、水浴びする女性に見つからないよう隠れて」


「ほうほう、水浴びする女性。隠れて。……んん?」


「おもむろに、お父様はぼろんと縦笛を取り出しました。横笛に負けず劣らず、それはそれは見事な運指(うんし)の演奏だったそうです」


「縦笛って。運指って。例えがヒドい。いやまだ8歳の姫様もいるから助かるけども」


「演奏が最高潮を迎えて、お父様の縦笛から子種が吐き出されました」


「おい最後まで例えろ、『子種』って言っちゃってんじゃん。縦笛が何かわかっちゃうだろ」


「『産卵期であるいま、惚れたオスの子種を逃してはならない』そう思ったお母様は、水底を滑るように移動したそうです」


「……おいまさか」


「水中に吐き出された子種を、お母様は卵で受け止めました。お父様は村人に見つからないうちに、そそくさと水辺から去っていったといいます」


「…………えっ? じゃあまさかお父様は」


「そうして、わたしが生まれたのです。人間と魚人、種族を超えた愛によって」


「待て。待って。それ、お父様は自分がお父様だって気づいてなくない? お父様、魚人で興奮した勇者じゃなくてただの覗き魔じゃない?」


「わたしはまだ変化できない子供の頃、お父様に挨拶したことがあります」


「あの名状しがたい見た目のサハギンの子供が……『わたしはあなたの娘です』って……『I am your father』より衝撃デカそう」


「お父様はすぐに首都に旅立ったため、会ったのはその一度だけです。いまはきっと立派な演奏家になっていることでしょう」


「おお勇者よ、現実を受け止められないとは情けな……くはないな。絶対受け止められないわコレ。逃げ出すのも仕方ない気がする」


 サトルは、見知らぬ勇者を思って祈りを捧げた。

 覗きの代償にしては罰が大きすぎると思ったのだろう。


「その、わたくし、驚きました。わたくしのお母様から聞いていた房事とは違って、えっと」


「何も言わないでください姫様。ほんと何教えてんだトモカ妃」


 わたわたと何か言いかけるソフィア姫をサトルが遮った。

 サトルはようやく立ち上がって、人化したサハギンとあらためて向かい合う。


「音楽を好んだお母様と違い、わたしは強い男性を求めました。そして、ようやく出会えたのです」


 ふたたび、サハギンが口を開く。


「お強い方、あなたの子種が欲しいのです」


「お断りします」


「望まれるなら、わたしのこの体を好きにしてよいのですけれど……人間のオスはそうしたいものなのでしょう?」


「ぐっ。お、お断りします」


 サトルの目の前で、肉感的な美女が自らの胸にむぎゅっと指を食い込ませた。

 一度はためらうことなく断ったサトルの目が吸い込まれ、一瞬の迷いが生まれる。


「好きにした後、思い出しながら川か水辺で放っていただければ、あとはわたしが卵に――」


「お断りします! 断るから離れて! 落ち着け俺、やけに露出多くてやたらエロい美女を見ても触ってもいいって言われても本質は魚人だ。魚だ。俺は勇者じゃない。小役人だ。遣東使だ」


 すすっと近寄られて腕を谷間に挟まれても、サトルは振りほどいた。

 職務に忠実な遣東使の(かがみ)である。


「困りました……せっかく恋を見つけましたのに……」


 眉を寄せる女性に、サハギンの面影はない。

 水辺で儚げに悲しむ美女である。いまの見た目だけは。


「お願いしますお強い方。わたしたちに産卵期は一度しかなく、いまを逃すとわたしは二度と産卵できないのです」


「そこは魚っぽいのか。まあ俺たちが来なかったと思ってほかの村人を探してくれ。産卵期に冒険者が来なかった可能性だってあったろうし」


「産卵期は三年ほどですよ?」


「そこは魚っぽくないのか。ややこしいなサハギン。まあほら、んじゃ受け入れてくれる人を気長に待てばいいわけで」


「わたしたちは、一度惚れてしまうとほかのオスではダメなのです。ですからお母様も機を逃さずシュバッと行動したのです」


「そこは人間っぽいのか。惚れたら一生、一人を愛し続けると」


「サトルさん? 人間は一人を愛し続けるわけではありませんよ? お父様は、お母様もお義母様も愛しています」


「さすが王様。本物の後宮(ハーレム)(あるじ)。姫様、王族の()()は参考になりませんよ」


「サトル、父様は母様だけを愛していたぞ?」


「おいおかしいだろオーク。イメージと違いすぎる、というか冒険者ギルドで聞いてたモンスター情報と違いすぎる。プレジア、オークも参考にならないからな」


 頭を抱えて、サトルは大きなため息を吐き出した。

 サハギンが人化した美女に迫られている状況で、ソフィア姫と護衛騎士は助けにならないらしい。

 サトルも含めて全員の価値観が違いすぎる。この世界の一般的な価値観とも違いすぎる。


 現実から逃げ出すように、サトルは空を見上げた。

 夕暮れは去って、夜空には星が瞬いている。


「お願いしますお強いお方……あなたを逃すと、わたしは子作りできないのです……どうか一度だけお慈悲を、子種を……」


 わずかな布切れをまとっただけの、肉感的な美女がすがるようにサトルに迫ってくる。

 これほど望まれたのはサトルの生涯で初めてのことだ。

 腕を丘の谷間に挟み込まれ、潤んだ瞳に見つめられて、サトルは口を開いた。



「お断りします」



 理性の勝利である。

 女性に夢見がちな素人DTの、サトルの勝利である。


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