第一話
森を流れる大河の横を、かっぽかっぽと馬が歩いていた。
馬の手綱を引かず、杖を手に先頭を行くのはサトルだ。
冒険者時代から愛用している濃いブラウンの革鎧と厚手のマントを身につけて、右手には1メートル半ほどの棒を持っている。
ウォーキングポールや登山杖のように地面をついているが、れっきとしたマジックアイテムでサトルのメインウエポンである。
大型のリュックと円盾は馬にくくりつけて、サトル自身は身軽な格好だ。
「どこかで大河を渡って、そのあとは北東へ。ってことはロシアに向かうルートかあ。姫様、本当にこちらでいいんですか?」
首だけで振り返って、サトルが後ろに声をかける。
森の獣道を歩きづらそうにしている芦毛の馬に話しかけた、わけではない。
「お母様はそのルートを通ってきたと教えてくれました。帰還した唯一の遣東使がそのルートだったわけですからわたくしも、と思ったのですが……何かまずいのでしょうか?」
サトルの質問に応えたのは、芦毛の馬に騎乗したソフィア姫だ。
第八側妃の娘とはいえティレニア王国の王族であるソフィア姫だが、いまは旅装に身を包んでいる。
乗馬用のズボンとシャツを着てローブをまとい、フードはかぶらず素顔を晒している。
ティレニア王国から離れたため、顔を出しても問題ないと考えたのだろう。
さらさらの金髪が風に揺れ、軽く首を傾げて青い瞳をサトルに向けた。
「まずいってことはないんでしょうけど、ロシアってだだっ広いイメージが……まあこっちの世界の地理がどうなってるかわからないし、行ってみるしかないか」
自分から聞いておきながら、サトルはあっさりとソフィア姫の応えを受け入れた。
サトルが元いた世界とこの世界の地理が似ているといっても、この世界には魔法もあればモンスターも存在する。
サトルはおぼろげな記憶に頼るのではなく、過去一人だけ還ってきた遣東使と、帰路に同行したソフィア姫の母親・トモカ妃が使ったルートを辿ることにしたようだ。
「なんだか少し不安そうな姫様の姿が可憐です! ああっ、遣東使となってよかった!」
「ほんと幸せそうだなプレジア。見通しが悪い森の中なんだから、警戒を頼むぞ護衛騎士」
ソフィア姫が乗る芦毛の馬の横をご機嫌で歩いているのは、護衛のプレジアだ。
170cmちょっとと、女性にしては大柄な体にプレートメイルを身につけている。
背中には両手剣とタワーシールドを背負い、ダンジョンで見つけたマジックアイテム・ピッチフォークを手にしている。
重装備でも余裕があるのは「生まれつき力が強い」ためだろう。
「森は歩きにくいから爪を出していいですかねサトル様、アタシ最近ちょっと器用になってそんなこともできるように」
「まあいいぞ。ばったり人に遭遇したとしても、真っ先に馬の蹄を見るヤツなんていないだろうからな」
「ありがとうございますサトル様! これで姫様も乗りやすくなるはずです!」
サトルたちの一行は、三人だけではない。
ソフィア姫が乗る馬のベスタも旅のお供だ。
「……すっかり馬が板についてきたなベスタ。ドラゴンなのに」
馬のベスタの正体はドラゴンで、普段は馬に変化しているだけだ。
しかも先日は、人に変化してお風呂に入っていた。
元は別の世界の住人で、元冒険者のダンジョン踏破者で、小役人にして文官、強力なスキル持ちで高レベルのサトル。
ティレニア王国の王族で、日の本の国出身の第八側妃を母に持つソフィア姫。
オークの父と貴族の母から生まれて高い身体能力を持ち、ソフィア姫ラブが過ぎる護衛騎士のプレジア。
人間に騙されて人里で育ったドラゴンで、馬や人に化けられるベスタ。
ティレニア王国の王都を出てから、およそ二ヶ月。
奇妙な遣東使たち三人と一匹? 四人? は、ダナビウス国の大河にそって北に進んでいた。
サトルが元いた世界でいうドイツあたりの森の中である。
一行は、目的地である東の果ての「日の本の国」へ、ドイツを北東に進んでロシア経由のルートを目指す。
サトルたちは森を流れる大河からやや離れて、自然にひらけた場所で休憩をとっていた。
石を積み上げた簡易かまどで、サトルはなにやら焼いている。
立ち昇る香りにプレジアは顔を近づけて、ソフィア姫はおとなしく座りながらもソワソワしている。
「サトル、もういいのではないか!? そろそろ食べ頃ではないか!?」
「焦りすぎだろ落ち着けプレジア。姫様を見習えって」
言いながら、サトルもゴクリと唾を飲み込む。
網の上に置いた、黄金色のパンケーキのようなものを持ち上げて焼き加減を確かめる。
「よし、そろそろいいだろう。姫様、どうぞ。熱いので気をつけてください」
器用に菜箸を使って、簡易かまどの網の上で温めていたモノを木皿に取る。
サトルはそのまま、隣に座るソフィア姫に手渡した。
「わあ! わたくし、これは初めて食べる料理です」
金髪をさらりと揺らして、ソフィア姫はうれしそうに顔をほころばせた。
青い瞳は好奇心に輝いている。
「無邪気な姫様かわいいです! サトル、私にも頼む! その一番大きいヤツを!」
「はいはい、わかったわかった。ほら」
ソフィア姫に渡した時とは違って、サトルはぞんざいに木皿を突き出した。
プレジアは、サトルの態度がぞんざいでも気にしないらしい。
満面の笑顔を浮かべて、木皿を受け取った。
自前のフォークで切り分けるソフィア姫とプレジアより早く、サトルは手づかみでパクついた。
「うん、素朴な味だけどこれはこれで美味しい」
「外はカリッとほくほくで、中はモチモチしています! これがロスティなのですね」
切り分けたひとかけらを小さな口に入れたソフィア姫は、目を細めて食感を堪能している。
ソフィア姫とは対照的に、プレジアは大口を開けてがっついていた。
がっつきながらも、目はソフィア姫をロックオンしている。片時も目を離すことのない護衛騎士の鑑である。きっとそうだ。
短い休憩の間にサトルが焼いたのは、山岳連邦やダナビウス国南部で食べられている軽食だった。
ジャガイモを潰して焼いた、ロスティと呼ばれるシンプルな料理である。
早朝に宿屋を出る際に、女将から「ちゃんとした朝食を出せなくて申し訳ない」と持たされたものだ。
「どう考えてもジャガイモだよなあ。海は危ないって話なのに、大西洋を渡ったヤツがいるんだろうか。まあ魔法があってモンスターがいる世界で考えるだけムダか」
サトルが元いた世界では、ジャガイモの原産地は南米だ。
海には危険なモンスターがいて、海岸沿いで漁をするのがせいぜいなこの世界で、大西洋を横断した者がいたのか。あるいはよく似た違う種なのか。
この世界で十二年暮らしたサトルは、そのあたりの謎を考えるのは止めたらしい。
「日の本の国まで船で行ければ楽なんだけど。いや帆船だったら楽でもないか」
ロスティを食べ終えたサトルは、ぽりぽりと頭をかいた。
網の上に乗った最後のロスティに目を向ける。
「おっと、ベスタ、ほら焼けたぞ」
「えっ? ありがとうございますサトル様アタシにもくれるなんて」
「人化できるとなると、馬扱いもどうかと思ってな。まあ荷物もあるしベスタが食べた白馬の償いなんだし、馬にはなってもらうんだけど」
「サ、サトル様がやさしい? だだだ大丈夫だアタシ、サトル様がやさしいのはこれが最後の晩餐だからってわけじゃない違うと思う、違う、違いますよね?」
チラチラとサトルを伺いながらモソモソとロスティを食べるベスタ。
不安そうな目を見せつつも、美味しかったのか食べるスピードが速まる。
「大丈夫大丈夫、心配するな。ああそうだ、どこかで人化したベスタの身分証も作っといた方がいいな」
「むっ、そうだなサトル! そうなればベスタは馬屋ではなく部屋に泊まれるのではないか?」
「まあ! みんなでお泊まりですね」
「その辺は身分証を作ってから考えましょうか……宿代もバカにならないし」
後半は口の中でぼそりと呟く。
「馬扱いもどうかと思って」と言ったわりに馬扱いしている。
人化しても、サトルはまだ「モンスターであるドラゴン」を信じきっていないのかもしれない。
「さて、そろそろ出発しましょう。順調に行けば今日のうちに次の街に到着します」
「うむ、では行こう! 姫様、さあお手を」
「ふふ、プレジア、わたくしは一人で馬に乗れますよ?」
「おい、しれっと姫様に触ろうとするなプレジア。弱体化するつもりか。強力な水棲モンスターが出るっていうから川下りじゃなくて徒歩なのに」
さりげなくソフィア姫に手を伸ばしたプレジアを止めるサトル。
プレジアは悔しそうな顔をしながら、一人でさっと馬に乗るソフィア姫を見守った。
言葉が通じる以上、騎乗は普通の馬と比べて楽なのだろう。
というか腹這いのベスタに乗って、ベスタがバランスを取りながら立ち上がるだけだ。手助けはいらない。
「はあ、ほんと頼むぞ。いくら俺が分身できるったって、護衛はプレジアなんだから」
「心配するなサトル! いざとなればこの身を盾にしても、私は姫様をお守りする!」
「ダメですよプレジア、みんなで日の本の国に行って、還ってくるのです」
「姫様がお優しすぎて天使のようだ! どうしようサトル!」
「はいはい、ほら行くぞ」
もはや定番となったプレジアのリアクションを流して、片付けを終えたサトルは立ち上がった。
ダナビウス国に入ってから10日目、サトルが復活して旅を再開してから三日目。
一行は、「大河を渡る橋がかかる」街を目指して、ダナビウス国を進む。




