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プロローグ

 とある国の宿の浴場。

 そこに一人のおっさんがいた。


「あー。ぬるめの朝風呂が気持ちいい」


 おっさんの呟きに応える声はない。

 手でちゃぷっとお湯をすくって、おっさんがじゃばじゃばと顔を洗う。


「ようやく魔力切れから回復した気がする。ほんと、1000人分の魔力切れを体験するってなんの拷問だよ」


 ぼやきながら、おっさんは浴槽のフチに頭を乗せた。


 おっさんの名前は、孫乃(まごの) (さとる)

 安全と安定を求めてティレニア王国の小役人になった男である。


「ティレニア王国を出て、山岳連邦を抜けて、ダナビウス国。一ヶ月ちょっとでようやく三ヶ国目。山岳連邦をルガーノ共和国とボーデン公国に分けたら四ヶ国目か。日の本の国は遠いなあ」


 小役人だったせいで、()()を断りきれずに遣東使になった男である。


 遣東使。

 サトルが言うところの「イタリアっぽい」場所にあるティレニア王国から、東の果ての「日の本の国」を目指して送られる使者である。

 これまで10年1000人以上が派遣されて、帰還したのは一人だけ。

 死亡率99.9%、ティレニアの王宮では『絶対に就きたくない役職ランキング10年連続No.1』で殿堂入りを果たした不人気職だ。


「この世界が元の世界と似たような地理だとして、ようやくドイツあたり。飛行機も船も電車もなしで日本に行くって遠すぎるだろ。いやまあ船はあるといえばあるけど」


 湯船の中で手足を伸ばして、まだ薄暗い早朝の空を見上げるサトル。

 18歳でこの世界にやってきたサトルは、いまでは30歳になった。

 元の世界の記憶を掘り起こして、サトルは遠く東の果て「日の本の国」までの道のりをぼんやり思い浮かべる。


 魔法があってモンスターが存在するが、この世界と元の世界の地理は似ている。

 小役人として働いていたティレニア王国はイタリアあたりで、通過してきた山岳連邦はスイスとリヒテンシュタイン、オーストリアの一部あたりだとサトルは考えていた。

 いまいるダナビウス国はドイツ近辺で、日本ははるか彼方だ。


 飛行機も電車もない世界で、ドイツから日本を目指す。

 船は存在するが、外海は危険で船旅は分の悪い賭けだ。

 長い長い道のりを思い浮かべて、サトルは湯船に頭まで沈めた。

 ざばっと体を起こす。


「とりあえず、俺の魔力切れが回復するまで『教会』の刺客に襲われなくてよかった。プレジアも姫様も強くなったしベスタもいるし、そうそうやられることはないだろうけど」


 日の本の国を目指す遣東使は、「教会」と呼ばれる宗教組織から狙われている。

 過去の遣東使がもたらした思想や神の在り方は、唯一神を崇める教会の信仰にそぐわないらしい。


「教会なあ。今回の遣東使の生き残りはもう6組45人らしいし、俺たちに刺客が送られてくるらしいし、対策しとかないとなあ」


 山岳連邦で教会の妨害を退けられたのは、サトルのチート(ずる)っぽいスキル【分身術】によるところが大きい。

 自分と同じ武装で同じレベルの分身を作り出す、サトルの固有(ユニーク)スキルである。

 【分身術】は強力なスキルだが、デメリットもあった。


「俺、そろそろ出発の時間だって」

「ありがとうオレイチ。んじゃそろそろ上がるよ」

「水棲モンスターの情報も集めといたぞ俺」

「助かるオレニー」


 サトルがいる浴場に、二人のサトルが顔を出す。

 サトルが湯船から上がって、洗い場でサトルに触れる。

 と、サトルとサトルが姿を消してサトルが残った。


「……よし。分身を二人出しても、ちょっと働かせた程度ならもう耐えられるな」


 分身を解除すると、分身の疲労もケガも追体験する。

 分身が死ねばサトルは死を体験することになる。

 ここしばらくサトルが動けなかったのは、先日の1000人分の魔力切れを追体験していたからだった。


「冒険者ギルドにも水棲モンスターの情報は集まってたか。あとで姫様とプレジアにも共有しておかないとな」


 分身を吸収すると、分身が経験したことも追体験する。

 サトルが遣東使の生き残りの人数や、教会から刺客が送られることを知ったのは、旅の途中でティレニア王国に送った分身を遠隔解除したためだ。


「目撃情報は少数。大河を渡ろうとすると襲われるケースが多い。細長い姿を見た冒険者もいれば、巨大な影を見た水夫もいると。川に潜んでるのは一体じゃない可能性もあるか?」


 サトルが朝風呂に浸かっている間に、サトルが冒険者ギルドで集めてきた情報を分析するサトル。

 ブツブツ言いながら、サトルは扉を開けて脱衣所に向かった。


「川か。溺死は苦しいんだよなあ。水中に逃げられるとどうしようもないし。ベスタがいるからどうにかなるかなあ」


 体を拭って服を着る。

 強力な水棲モンスターが渡河を邪魔していることを知ったのに、サトルに焦った様子はない。

 二度もダンジョンを踏破した高レベルゆえの余裕か。

 もしくは、四桁まで分身して苦難を乗り越えたことで自信をつけたのか。


「まあなるようになるだろ。それより、ダナビウス国は元の世界でいうドイツなわけで。『森と大河の国』の名物料理の情報も集めておかないと。やっぱ肉料理かな? あとビール?」


 のんびり旅行気分か。


 はるか東の果ての国を目指す旅であっても、チートスキル持ちのサトルにとっては単なる異世界旅行なのかもしれない。

 いや、それはあくまでサトルの願望であって、実際はもっと過酷なはずだ。

 なにしろ遣東使の死亡率は99.9%で『絶対に就きたくない役職10年連続No.1』である。


 脱衣所で服と装備品を身につけるサトル。

 分身から受け取った記憶では、間もなくソフィア姫とプレジアが下りてくるらしい。


「さて。疲れも癒えたことだし、行きますか」


 さっぱりした顔で、サトルは宿の食堂に向かった。


 ちなみに。

 ダナビウス国のお風呂は混浴だが、サトルがのんびり朝風呂に浸かっていたのは疲れを癒やすためで、ほかの女性が入ってくることを期待したわけではない。

 サトルはおっさんだが、ギラついたおっさんではないし童貞でもないのだ。



 ともあれ、サトルはようやく魔力切れから回復した。

 一行はしばしの休息を終えて、旅を再開するようだ。

 はるか東の果てを目指して、まずは四ヶ国目、『森と大河の国』ダナビウス国の旅路である。


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[一言] 風呂がそんなに良いなら溺れてろ
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