エピローグ 1
ティレニア王国、王都・ティレニア。
上空から見るとひょうたんのような形をした王都の北側。
小さなふくらみの中心地にある『教会』の地下の一室に、白いローブを着た者たちが集まっていた。
全員が深くフードをかぶって顔は窺い知れない。
「揃ったな。状況を報告せよ」
部屋の一番奥に座った男が口を開く。
応じて、中ほどに座るローブの男が答えた。
「昨日、異端審問官ロッソの祈りの灯が消えました」
「例の不信心者の娘がいる遣東使を審問するべく動いていた異端審問官です」
「ふん、卿の教え子は口ほどにもないではないか。だから最強の聖騎士団が必要なのだ!」
「なんじゃと……ロッソが死ぬとは……」
報告を受けて、薄暗い部屋に動揺が広がる。
王宮が魔道具・命の灯で遣東使の生死を確認しているように、教会にも重要人物の生死を確認する、同様の魔道具があった。
それが『祈りの灯』であり、異端審問官も対象だったようだ。
「忌々しい! 我らの邪魔をされるのは二度目ではないか! やはり邪教の民など親子共々殺しておけば!」
「口を慎め。神の直上である」
「申し訳ありません、猊下」
騒ぎが静まる。
以前「ドラゴンが行方不明になった」と報告を受けて荒れて以来、二度目の注意である。
「それにしても……不信心者の娘と護衛騎士の混じり者に、異端審問官を亡き者にできるほどの力があるのか?」
「ロッソはレベル46、【神聖魔法】【召喚魔法】のスキル持ちで戦闘能力も一流じゃった。その二人に負けるわけがなかろうて」
「だが現実に死んだのだぞ! 祈りの灯が消えたのだ!」
「ロッソには『ズッカ・デル・ペレグリーノ』を持たせておった。儂が手を貸して『古の枢機卿』を召喚できるようにしたのじゃが……」
「はっ! 武具に頼るなと聖騎士団を嗤った爺が聖具頼りか!」
一度は静かになったのに、薄暗い部屋はふたたび喧噪に包まれた。
この場に集まった者たちにとって、異端審問官の死はそれだけ大きな出来事だったのかもしれない。
「少なくともダンジョン『異端者の地下墳墓』を攻略されたのは確かだ。『ズッカ・デル・ペレグリーノ』で不信心者の娘たちを飛ばして踏破されたのだろう」
「待て。なぜそう言い切れる?」
「しばらく前から王宮の祈りの間の警備が厳しくなり、近づけない状況です。風の噂では、過去の遣東使の遺品がダンジョンで発見されて持ち込まれたと」
「最後に確認した時点では2組31名の命の灯が消えたとのことです。海路で沈没したようで」
「ほかは順調か。それで、ダンジョンの話は真実なのかのう?」
「こちらにも同じ情報が入っている。冒険者より大量の遺品が持ち込まれたと聞く。不遜なる王は遣東使を亡き者にする我らの企みに気付いたようだ」
「待て待て待て。冒険者風情のたわ言など王宮が信じるわけあるまい! まして我らが止める前に王の耳に入るなど!」
「そうだ! そもそも誰が冒険者風情に遺品を預けたのだ? まさか」
「異教徒の娘は世間を知らぬ。混じり者は知恵がまわらぬ直情家だ。下級官吏、か」
「遺品を持ち込んだのは山岳連邦・ルガーノ共和国の冒険者で、下級官吏の出身地。間違いないだろう」
「あの下級官吏は事務仕事しかできないはずではないのか! どうなっておる!」
怒鳴り声が響き、一同が一人の男に目を向ける。
出入り口近く、末席に座る男はぷるぷると震えていた。
深くかぶったフードの陰からポタポタと汗が流れ落ちる。
「し、知りません、儂は何も、サトルくんは仕事はできましたけど、戦えるはずは」
末席から、か細く震える声で告げられた。
「ドラゴンが行方不明だと国境の砦に知らせたのもヤツらではないか!」
「ダンジョンが踏破され、狙っていたはずの異端審問官が死んだのだぞ! 不信心者の娘と混じり者騎士にできるわけがない! 何者だそのサトルとやらは!」
「ふん、何者でも良いじゃろう。儂のロッソが死んだのじゃ。ヤツらも殺してくれよう!」
末席の震える声は、男たちの怒号で塗りつぶされた。
フードの下から「ひっ」と怯える声が漏れる。
「猊下、お許しをくだされ! 儂自らロッソの、孫の仇を取ってくれよう!」
叫んだのは、異端審問官を派遣した老人だ。
異端審問官ロッソは配下であり、老人の孫であるらしい。
「うむ。そちに頼もう」
「ありがたきお言葉! 儂が冥府に送ってやるのじゃ!」
「おお、彼の方が自らご出陣なされるとは」
「不信心者の娘も混じり者も正体不明の下級官吏も、これで命はあるまいて」
「卿が出るとなれば、しらばく王宮に情報を隠す必要がありそうだな。任されよ」
しわくちゃの手の老人は、この場に集まった者たちの信頼を得ているらしい。
集まった白いフードの中に、サトルたちの死を疑う者はいなかった。
これで安心だ、とばかりに弛緩した空気が流れる。
だが。
薄暗い部屋に、震える声が響いた。
「お、お待ちください」
末席に座っていた男が、ポタポタ汗を垂らしながら異議を申し立てる。
ほかの者から睨みつけるような視線が飛ぶ。下っ端が何を言い出す、とばかりに。
「た、たしかに儂は部下のサトルくんを推薦しました! ででですがそれは遣東使で! 栄達の可能性もあるしサトルくんも日の本の国に興味を持っていたからで!」
震えながら主張する男。
いや。
サトルの、直属の上司にして上級官吏が言い募る。
ここでは下っ端なのに、場違いに。
「儂の! 儂の部下を殺そうとするなど! 賛成できません!」
勇気を振り絞ったのだろう。
上司は汗どころか涙を落としていた。
「この前逆らわなかったのをどれほど後悔したか! 儂は反対です!」
一度は見過ごした。
ここで行われたやり取りを正確に理解していなかったのだとしても、見過ごしてしまった。
何度も後悔し、幾度も眠れぬ夜を過ごした。
サトルの上司は震えながら、泣きながら、異議を唱えた。
「ふむ。言いたいことはそれだけか?」
サトルの上司の反対側。
この場の最上位らしき席に座る男が問いかける。
「はい!」
吹っ切れたのか、上司は子供のように勢いよく返事をした。
「そうか。殺せ」
「……はい?」
「神の直上じゃ、汚さぬようひと息で冥府に送ってやろう」
シワだらけの手を持つ老人が上司に近寄る。
有無を言わさぬ決定に、上司はガタッとイスを揺らして後ずさる。
「は、はい? そ、そんなあっさり、ですと? 儂は貴族で上級官吏で」
「急な病に冒され、【神聖魔法】を使える聖職者が向かったが間に合わず死を看取った」
「そんなところじゃろう。ではそれらしく殺すかのう」
「え? で、ではサトルくんは? 儂は?」
「冥府で仲良く財務管理するといいじゃろう」
「くっ! こんなことなら遺品を届けた時に陛下にかくまっていただけば! いや、それではサトルくんへの刺客を止められなかったか」
ゆらりと近づく老人。
最も入り口に近い末席にいた上司は後ずさり、後ずさり――
「すまんサトルくん。儂はここまでのようだ」
ガチャッと扉が開いた。
「まさかそこまで思ってくれてるなんて、意外でした」
「なに者だッ!!」
「侵入者じゃと!? 警備は何をしておる!!」
こげ茶色のローブをまとった男が侵入してきた。
「間に合ってよかったですよ。思ったより無謀なんですね」
「きみは……? まさか!」
深くフードを下ろした男は上司を抱えて部屋を飛び出す。
老人が伸ばした手も、ほかの者の魔法も間に合わない。
まるで幻のように、侵入者と上司は部屋から消えた。
「ふむ。追っ手を。ああ、例の遣東使は先に決めたように」
「卿よ、衰えたのではないか? なんなら騎士を貸すぞ?」
「不要じゃ! ふん、そちらこそ、王宮には出自不明の下級官吏や不信心者がいるようじゃのう? 足元は本当に確かなのじゃろうか?」
「我を愚弄するかッ!」
「静まれ」
突発的な事態も、最奥に座る男は平静なままだ。
指示を聞かずいがみ合う同席者たちを一言で鎮める。
「アヤツには追っ手を。遣東使には卿を。よいな?」
「ロッソの敵討ちじゃ! ほかの誰にも譲らぬ!」
「……はっ。あの上級官吏と鼠は我が始末しましょう」
「ではそのように。本日はここまでとする」
奥にいた男の宣言を受けて、全員が立ち上がった。
会合をはじめた時よりも一人少ない、全員が。
サトルとソフィア姫、護衛騎士のプレジアが王都を発ってから一ヶ月あまり。
今回の遣東使と過去の遣東使の大量の遺品の発見、異端審問官の死。
教会に不都合をもたらすサトルたち三人の組は、明確に「狙うべき敵」と認識されて刺客が送られるようだ。
サトルたち遣東使の旅は、さらに過酷なものになるかもしれない。
遣東使の生き残り、残り6組45名。




