第三話
新年祝賀パーティを三日後に控え、今日もサトルは働いていた。
この頃になると納品物はほぼ生鮮食品のみになるため、忙しさも落ち着いてくる。
抜け・漏れ・忘れが発見されて至急の納品物も発生するが、頻度はさほどでもなく余裕を持って対応できていた。
「サトルくん、ちょっといいかな?」
「どうしました? 何か問題でも?」
「サトルくんに用事があるんだ。ついてきたまえ」
「はあ。……後輩、あとは任せた」
「了解です! だいぶ落ち着いてきましたからね、ここは任せてください!」
上級官吏に続いて、サトルは財務局王宮財務部の執務室を出た。
上級官吏で貴族の上司は堂々と廊下の中央を歩いている。
サトルはまるで従者のように上司の斜め後ろを歩き、口をつぐんで視線を落として歩いていく。
仕方なく貴族についていってるんですよ、だから「平民の分際で」とか絡むの止めてくださいね、というアピールだ。如才ないおっさんである。
レベルが高くてもチートスキルを持っていても、サトルは小物であるようだ。
上級官吏は王宮の奥へと歩みを進める。
サトルが毎朝利用するトイレも通り過ぎた。
主に下級官吏たちが働くお役所エリアを越える。
「あの、どこまで行くんですか? 俺は平民でして、あまり王宮の奥に行くのは」
「なあに、構わないともサトルくん。心配せず儂についてきたまえ」
小役人なサトルの言葉はあっさり流された。
貴族である上級官吏、貴族出身でまだ役職付きではない下級官吏、平民の下級官吏の制服はそれぞれ違う。
灰色の制服を着た平民の下級官吏は立ち入らないエリアに入り、すれ違うのは貴族ばかりだ。
侍従やメイドのひそひそ話は、「平民のクセにこんなところへ」などと陰口を叩いているように思えてしまう。
サトルは肩身を狭くして、逃れるように回廊の外に目を向けた。
回廊の下、何段か低い場所に、王宮敷地内の練兵所で訓練に励む騎士や従者、魔法兵の姿が見える。
「ほう、あれは第一騎士団の精鋭たちだな。サトルくんは戦闘訓練に興味があるのかのう?」
「え? はあ、まあ人並みには」
「そうか、サトルくんは山岳連邦出身であったな。であれば王都に来るまでの道中、戦った経験もあるのだろう」
「ええ、まあそれなりには」
よそ見したサトルを叱ることなく、むしろ上司はご機嫌だ。
まるで、サトルに戦闘経験があることを喜ぶかのように。
下級官吏の登用試験を受ける際、サトルはレベルもスキルも隠している。
開示した方が有利になることは確かだが、高レベルと便利なスキルがバレれば安全な生活は送れないだろう。
軍にまわされるか、事務方でも【分身術】を使うことを求められる。
サトルはそう思って隠したのである。
ちなみに、登用試験の際のレベルとスキルの開示は必須ではない。
建前とはいえ、官吏になるには貴族も登用試験を受ける必要があるからだろう。
手の内を隠したい貴族が決めたルールだった。
「うわあ、馬上槍の突進を止める訓練って。しかも馬を使ってないのにあの速さ。あれ、馬がなくても馬上槍って言うのかな」
「うむ、高レベルの騎士は、馬より速く走れるものだ」
上司は何気なく呟いたサトルの独り言を聞いていたようだ。
サトルの眼下では、フルプレートメイルの騎士が土煙をあげて突撃する。
従者たちは大盾を並べてその一撃を防ぎ、盾に守られた部隊が反撃の一手を打つ。
そんな訓練らしい。
全速力で突っ込んでくる騎士を想像して、サトルはブルッと身を震わせた。
実際にその状況になれば高レベルでスキル【分身術】があるサトルは対処できるのだが、それとこれとは別だ。
向かってくる恐怖、弾き飛ばされる痛み、分身を解除した時のダメージと疲労。
サトルがビビるのも当然だろう。
「……うん? あれは? 魔法の訓練でしょうか」
「あちらは第一騎士団所属の魔法兵と見習いたちだな。合同魔法の訓練だろう。スキルを身につけさせる方法の一つだと聞く」
「なるほど、合同魔法で見習いの魔力を引き出し、魔法に利用することでスキルに定着するのを狙っているのか」
「ほう、理解が早いではないか。そのあたりの知識もあるようだな。感心感心」
「あ、いえ、あはは」
上司の言葉に、サトルはごまかすように笑う。
この世界には様々な【スキル】が存在する。
生まれつきスキルを持つ者もいれば、後天的にスキルを得る者もいる。
もっとも、後天的に身につけるケースは数少ない。
冒険者として2年活動してダンジョンを踏破し、小役人として10年近く働いてきたサトルも、【分身術】以外のスキルは一つしか得られなかった。
スキルを持たない貴族も平民も多い。
「うむうむ、やはり第一騎士団は別格よな。訓練の迫力もひと味違うのう」
「『我らが王の城となる』でしたか。だからここは王城ではなく王宮、だと」
「言葉に恥じぬ精強さだろう? 北方を守る第二騎士団、モンスター討伐を請け負う第三騎士団もまた強兵であるがな」
ティレニア王国の領土は海に突き出した半島だ。
暮らしやすい気候に肥沃な大地、穏やかな近海。
食料に恵まれた国は民を養う余裕があり、専業の兵士や騎士の数も多い。
周辺では最強の国家である。
ただし、他の国家を侵略するには高いハードルがあった。
半島の付け根は急峻な山々がそびえている。
隣国である山岳連邦には地形を利用して建てられた要塞も数多い。
いかに精強な軍隊であろうと、攻め落とすのは難しい。
この世界では地図さえ不確かで、要塞を落としたところでゲリラ戦を仕掛けられるだろう。
山や谷には、空を飛行するモンスターも出没する。
討伐のノウハウがないティレニア王国騎士団では苦戦すること必至だ。
ここ何代かの国王は山岳連邦への侵略を諦め、貿易によって良好な関係を築いていた。
半島をぐるりと囲むのは海だ。
近海こそ穏やかで、小型の水棲モンスターに対処すれば漁もできる。
ティレニア王国では海産物も名物である。
ただし。
近海から離れて海を渡るのは、運任せだった。
遠洋には大型の水棲モンスターが生息しており、見つかれば船は沈められる。
それでも時おり、運任せの金儲けを狙った命知らずな商人が船を出すこともあるようだが。
基本的に、海路は陸をたどっていくルートしか見つかっていない。
つまり海を挟んだ国への侵略も難しい。
食料に困らず、兵力は防衛とモンスター討伐に向けられ、国家としての余力は武器や防具、魔法や魔道具の開発に注がれる。
ティレニア王国はそうして安全を確保し、発展してきたのである。
国民の生活は豊かで、ただ『教会』と呼ばれるティレニア王国と周辺諸国で唯一の宗教組織に寄付する余裕もあるほどだった。
「おっと、第一騎士団に見蕩れている場合ではなかったな。さあ行くぞ、サトルくん」
「もっと奥へ、ですか……?」
サトルに並んで足を止めていた上司が王宮の奥へとふたたび歩き出す。
この先にあるのは大臣や補佐官などの大貴族が働く、いわば重役や社長の執務室だ。
ほかには謁見の間、国王の執務室、それに王族が暮らす後宮がある。というか、それぐらいしかない。
「なあに、怯えることはないとも。さあついてきたまえ」
「は、はあ」
貴族である上司は悠々と歩いていく。
サトルは目立たぬようできるだけ体を小さくして、緊張を押さえて後に続くのだった。
上級官吏である上司は、ずんずん王宮を進む。
小役人であるサトルはますます体を小さくする。
先ほどサトルがトイレに寄ったのは緊張のためだけではない。
護身のために一人の分身を生み出したのだ。
本体が死んだ場合、分身が本体になれるかサトルは検証していない。
なにしろ検証するにはサトル本体が死ぬ必要がある。
とうぜん、うまくいかなければ死ぬ。
レベルもスキルも存在するゲームのような異世界だが、ゲームと違ってリスクを冒すわけにはいかないのだ。
それでもサトルは、もしもの備えとして可能性が低い保険をかけたのだった。
「あの、どこまで行くんでしょうか。財務大臣の執務室も通り過ぎたような」
サトルがおそるおそる聞いてみても、上司は応えなかった。
動きが硬い。
どうやら上司も緊張しているらしい。
サトルはチラリと壁際に視線を送る。
壁面はすでに無骨なだけの石造りではなく、彫刻による見事な装飾が施されたエリアに入っている。
アーチ型の窪み、いわゆる壁龕にはさまざまな物が飾られている。
サトルが目をやった壁龕には銀色に光るフルプレートメイルが何体も並べられていた。
いや。
わずか2年でも冒険者だった、ダンジョン踏破者のサトルにはわかっている。
いくつかのフルプレートメイルは飾りではなく、魔法生物だと。
誰かの指示、あるいは何らかの行動をトリガーに動き出すゴーレムだと気付いている。
上司はわかっていないようで、動かぬゴーレムに目も向けない。
「人どころか飾りまでおっかないなんて」
上司にもすれ違う侍従にも、壁龕に飾られたフルプレートメイルにさえ聞こえぬ声でサトルが呟く。
もちろん、壁際や曲がり角や扉前に立つ近衛にも聞こえない。
「帰りたい。自分の部屋なんて贅沢は言わない。せめていつもの執務室に帰りたい」
現実逃避である。
上司がなんらかの目的を持ってサトルを連れてきた以上、部下にして小役人のサトルとしては逃げ出すわけにはいかない。
この世界に来たばかりの18歳のサトルなら考えたかもしれないが、いまのサトルはもうおっさんなのだ。三十路の責任感である。
すでに大臣や補佐官の執務室は通り過ぎた。
先ほどの大きな扉は、謁見の間の入り口だろう。
扉を守る近衛に見送られながら、上司と二人、謁見の間も通り過ぎた。
サトルはゴクリと唾を呑む。
この先にあるのは、国王その人の執務室と王族が暮らす後宮だけである。
侍従やメイドの部屋もあるが、そんなところに用事はないだろう。
二人の近衛が守る扉の前で、ついに上司が足を緩めた。
ガチャッと近衛の鎧が鳴る。
サトルは首をすくめながら、その扉を見た。
分厚く重厚な木の扉。
扉全体に装飾が施され、サトルでも感じられるほどの魔力を発している。
無許可で入室するには近衛を倒すか目を盗んだうえで、この扉の魔法的な仕掛けを解除しなければならないのだろう。
それほどまで厳重に守られた部屋。
「あの……ここってひょっとして、王様の……」
「うむ。陛下の執務室である」
サトルの質問に上司が固い声で応えた。
上級官吏で貴族であっても緊張するものらしい。
当然である。
陛下。
貴族からそう呼ばれるのは、ティレニア王国の国王その人だけだ。
「失礼いたします。ティレニア王国財務局王宮財務部所属、サトル・マゴノを連れて参りました」
「入れ」
短い許可を合図に、重厚な扉がひとりでに開く。
ああ、俺、職業選択を間違ったかもしれない。
清潔なのはともかく、安全じゃないかも。安定もないかも。
重々しく開く扉を前に、サトルはそんなことを考えていた。
上司が部屋の中に入る。
サトルも意を決して、足を踏み入れた。
国王の執務室。
小役人では決して逆らえない、この国の最高権力者の執務室に。