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第二話


 ティレニア王国財務局王宮財務部。

 サトルの職場はいつになく混沌としていた。


「サトルくん、至急こちらの検算も頼む! 調理場で商会が支払いを待ってるそうだ!」


「了解しました」


「先輩、納品物の数量が合いません! どうしましょう!?」


「あー、トイレに行くついでに確認してくる」


「失礼します! ルガーノ共和国より贈り物が届きました! こちらが目録です!」


「この忙しい時に……まあいい、確認するからそこに置いておいて」


 修羅場である。

 普段はサボリ魔なサトルの上司である上級官吏も、王宮内を飛びまわって仕事している。


「はあ、やっぱこの時期は忙しいなあ」


「新年の祝宴は領地貴族も集まるパーティが行われるゆえな! 儂の腕の見せ所だ!」


「毎年のことなんだから、もっと前から準備すればいいのに……検算終わりました。支払いは大金貨6枚ですね。いいもの食べてるなあ」


 忙しい理由は、一週間後に王宮で行われる新年を祝うパーティを控えているためだ。

 この日は各地を治める領地貴族も集まり、国王も参加される。

 年間通じて最大規模のパーティであり、となれば食料品や酒類、グラスやテーブルクロス、使用人の制服まで、王宮に納品される物は多岐に及ぶ。

 とうぜん量も多く、動く金額も半端なものではない。


 ティレニア王国財務局王宮財務部、毎年恒例の修羅場であった。

 毎年のことなんだから事前に準備しとけ、とサトルがボヤくのも当然だろう。


「うむ、では儂は調理場に向かおう! ここは任せたぞサトルくん!」


「了解しました。それより大金をお持ちなのですから、気をつけてくださいね」


 さっと席を立つサトルの上司。

 修羅場ではさすがに働くらしい。


「あー、後輩。さっきの納品物の件だけど、新年の祝いで予定より多く持ってきたそうだ。支払いはそのまま処理していいぞ」


「あっはい、ありがとうございます先輩。……あれ? 先輩さっきトイレに行くついでに確認するって。席立ちましたっけ?」


「うん? 疲れてるんじゃないか? 忙しさはもうしばらく続くんだ、しっかりな」


「は、はあ……あれ?」


 いまいち納得できないながら、後輩はサトルの指示通りに書類を片付ける。

 疲れてるのかなあ、でも席を立ったところはやっぱり見てないような、あれ、でも戻ってきた気もするし、などと首を傾げている。

 後輩の疑問は当然だろう。


 修羅場にまかせてごまかしたが、()()()()ここから一歩も動いていないのだから。


「はあ。でも今年は二人分で済みそうだ。これなら年明けに寝込むことはないだろ」


 スキル【分身術】により、サトルは二人分の仕事をこなしていた。


 分身を解除すると経験も疲れも吸収しなくてはならない。

 それでも、事務仕事の修羅場にも役立つスキルであった。

 秘匿しているため、()()()()()()()()()姿を見せるつもりはなさそうだが。




「ふう。これで今日のピークは一段落、か」


「納品は午前がピークですからねー。はあ、疲れた……」


「戻ったぞ! む、落ち着いたようだな。ではしばし休憩としよう!」


 修羅場で年間最大のピークといっても、そこは「日没より前に仕事が終わる」異世界基準の忙しさである。

 納品が重なる午前を乗り越えて昼食を急いで詰め込み、午後になればだいぶ落ち着く。

 サトルが元いた世界の社畜たちに言わせれば修羅場でもなんでもないだろう。

 まあ時間に追われる分、午前中が忙しいのは確かなのだが。


「あー、じゃあ今日は俺がお茶を淹れましょう。貴族様のお口に合うかはわかりませんが」


「よいよい、気にするでない! お茶の作法など女子供が集うお茶会のみで充分よ!」


 貴族でサボリ魔なサトルの上司だが、こんな時に面倒なことを言い出さない分別はあるらしい。

 意外に優秀なのかもしれない。


 サトルが席を立ち、王宮財務部執務室のバックヤードに向かう。

 そこに置かれていたのは、水差しとお湯を沸かすための魔道具である。

 板の上に耐熱性の水差しを乗せて魔力を注げばお湯が沸くマジックアイテムである。

 要するに、魔力をエネルギー源としたIHヒーターのようなものだ。


 IHヒーターもどきは高価な品で平民にはほとんど使われていないが、王宮では珍しくない。

 サトルはときおりマジックバッグを持ち込んで、ここで沸かしたお湯を収納していた。

 水洗トイレやIHヒーターのような魔道具は、サトルが王宮での勤務を希望した理由の一つである。


「今日は分身で二倍疲れたからな。ここはとっておきを」


 持ち込んだ肩掛けカバンからサトルが取り出したのは、手のひらに載るほどの小さな木箱だ。

 フタをズラして開けると、芳醇な香りが鼻に届く。

 銀色の内張りがされた木箱から、サトルは大切そうに茶葉を(つま)む。


「三人分ならこんなもんか。これを」


 バックヤードで作業することしばし。

 サトルは、お茶を淹れたカップをトレーに乗せて上級官吏と後輩が待つ部屋へ戻った。


「むっ、この香りは!」


「先輩、なんですそれ? 普段の香草茶の香りとは違うような、ブレンドが違うんですかね? いえ、平民の僕にはよくわからないんですけど」


 ティレニア王国で一般的に飲まれているのは香草茶だ。

 ハーブティーのように、ブレンドによって大きく味や香りが違うらしい。

 小市民なサトルや平民の後輩にはわからないようだが。


「香りが違うのは当然だ。これは、()()だからな」


「おお、やはり! 奮発したなあ、サトルくん!」


「緑茶、ですか?」


「ああ。はるか東の国から運ばれてきた貴重品だぞ。心して飲むように」


 サトルの言葉に、同じ平民の下級官吏である後輩がゴクリと唾を呑む。

 サトルは香りを楽しむように、カップを持ち上げたまま口をつけない。

 貴族である上級官吏もサトルと同じように、まずは香りを楽しむようだ。


「東の国……先輩、これひょっとして過去の遣東使が持ち帰ったものですか?」


「いや、そんな貴重な品じゃない。もしそうだったら俺の手に入らないだろ」


「うむ、それはそうだろう。だが緑茶の葉は、この国よりはるか東から運ばれてきたこともまた確かだ。同じ重さの金と同じ価値、とも言われておるのう」


「そ、そんなに……?」


「大げさですよ。入荷するのが珍しいだけで、街中の商会でごくごく稀に見かけますから」


 そんな会話をしているうちに、お茶はほどよい温度になったようだ。

 ずずっと音を立てて、サトルがお茶を口に含む。

 味と香りを楽しんでから飲み込むと、ほうっ、と大きく息を吐いた。年寄りくさいリアクションだが、サトルは立派なおっさんである。


「ああ、やっぱり俺は香草茶より緑茶の方が好きだなあ」


「はは、贅沢なことよのう。下級官吏の賃金ではそうそう買えまいて」


「金額より、売りに出ることが少ないせいですね」


 のんびりと緑茶の味わいを楽しむサトルとその上司。

 一方で「貴重なもの」と聞いた後輩はいまいち楽しめていないようだ。貧乏性か。商会出身らしいのに。


 ちなみに緑茶といっても、元の世界の緑茶とは違う。

 茶葉を発酵させても紅茶にはならないのだ。

 この世界に来てから12年経つが、サトルは紅茶自体を見ていない。


「そういえば、トモカ妃とソフィア姫も緑茶を好んでおったのう」


「僕も聞いたことがあります! ()()()()()出身のトモカ妃は、東国の品を求めていると!」


「うむ。やはり懐かしいようでな、第八側妃ゆえ予算はそれほど取れぬのだが、たまの大きな出費はたいてい東国がらみの品だ」


()()()()()、ねえ」


「さすがに彼の国よりティレニア王国まで運ばれてくる品はないがな。それゆえ、過去の()()使()の偉大さが浮かばれる」


 緑茶をすすりながらしみじみと言う上級官吏。

 休憩が噛み合うと、上級官吏はよくサトルや後輩に国の歴史や貴族の功績を語っていた。

 今日は『()()使()』の偉業を語ることにしたようだ。


「先王の時代にはじめられ遣東使。かれこれ10年、あわせて100組1000人以上の優秀な人材が日の本の国に向かったが、これまでに帰ってきたのは……なんと一組、それも一人だけであった」


「ええっ!? その、残りの99組はどうなったのでしょうか?」


「おおっぴらには語れんが、諦めて途中で帰り、国を追放された者もいるにはいる。だが、遣東使の多くは……」


「多くは?」


「海の藻くずと消えたか、モンスターの胃袋か、はたまた異国の土となったか」


「う、うわあ。過酷すぎますね遣東使」


「うむ。ゆえに日の本の国は、『東の果ての国』とも呼ばれているのだ。東国と呼ばれるのはそのはるか手前の国よ」


 後輩の合いの手に、上級官吏はご機嫌で語る。

 平民とはいえ後輩も王宮勤めの官吏だ。しかも王宮の支出を司る部署である。とうぜん、過去10年行われてきた遣東使についても知っている。

 それでも初耳なように合いの手を入れるのは、上司へのご機嫌取りなのだろう。


「だがその功績は大きい。過去の遣東使が持って帰った()()()は折れず曲がらず、アダマンタイトの甲冑さえ斬り裂くという」


「さ、最硬の金属と言われるアダマンタイトを?」


「もたらされたのはカタナだけではないぞ? 武器も防具もこのあたりの国とは造りが違う。その研究は我が国に多大な成果をもたらしたのだ。独自の体系による魔法も、魔道具製作に大いに役立ったと聞く」


「は、はあ。それはすごかったんですねえ」


 後輩が上司を乗せる中、サトルは無言でお茶をすするのみである。


 冒険者時代、元の世界に還ることを目指したサトルは日の本の国の情報も集めた。

 だが、サトルが生まれ育った日本とは別モノだという結論を出している。

 還ることを諦めた以上、「似ている」日の本の国の情報は望郷の念を抱かせるだけだった。


 どうせ還れないなら、こうしてときおり懐かしめればそれでいい。

 それがいまのサトルの考えである。


「だがのう、ここだけの話、何よりも陛下が喜んだのは――」


「喜んだのは?」


「トモカ妃を連れてきたことだ。後ろ盾がないゆえ第八側妃となっておるが、陛下が最も愛しておられるのはトモカ妃かもしれぬ」


 上司は声を潜めてサトルと後輩に「ここだけの話」を告げる。

 ちなみに王宮では有名な話である。

 またそれゆえ、国王は権力争いを避けるべく第八側妃とその娘と距離を置いている、とも。


「もちろんお妃様もお姫様も大切ですが、俺は『()』も評価したいですね」


「ほう、サトルくんは米が好きか」


「あの収穫量はすごいですもんねえ、先輩。水路さえどうにかできれば、ウチの国でも栽培を、あー、でもモンスター対策が必要かあ」


「収穫量もそうだが、俺はあの味が好きなんだ。アレはもっと美味しくなると思うんだけどなあ」


「ふむ、そのあたりは研究者の努力に期待するしかないのう。そうかそうか、サトルくんは緑茶も米も好きで、日の本の国に興味があるか」


「あー、はい、まあ人並みには」


「いや先輩、大金をはたいてお茶や米を入手してるんですから。人並みじゃないですって」


 なぜか満足そうにうんうん頷く上級官吏。

 後輩からもサトルにツッコミが入る。


 現在、ティレニア王国では実験的に米の栽培が行われている。

 この国では小規模な実験と研究にすぎないが、海を挟んだ国では肥沃な大河のほとりで大規模な実験がはじまっているという。

 米は稀少ではあるが、ここ数年で緑茶ほどの入手難易度ではなくなっていた。


「さて、では休憩はここまでにするかのう。サトルくん、いいお茶だった。今度は儂がご馳走することとしよう」


「ありがとうございます」


「おおっ、ありがとうございます! 貴族の方が飲まれるお茶か、楽しみだなあ」


 緑茶を飲み干して上級官吏が立ち上がる。

 サトルの上司はそのままスタスタと部屋を出ていった。

 忙しさは落ち着いたとはいえ、まだ仕事は残っているのに。


「さて。俺たちは小役人らしく働きますか」


「はは、そうですね先輩!」


 残された下級官吏の二人は、仕事を再開する。

 とっておきの緑茶で気分転換できたのか、その後の仕事ははかどったようだ。


 ティレニア王国財務局王宮財務部の何気ない日常である。


 だがサトルは、後々この日のことを後悔することになるのだった。

 なんでもない一日のはずだった、この日のことを。




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