第五話
ボーデン公国の小さな町を出てから三時間ちょっと。
道の横にある牧場で牛が草を食むのどかな光景なのに、サトルたちは和むことなく黙々と冒険者街道を進んだ。
あっさりと山の麓にたどり着く。
この山を越えれば、ボーデン公国を抜けるまであとわずかだ。
あと三日か四日で、サトルたちは遣東使として四カ国目に入るはずだった。
この山を越えられれば。
「少なくとも、宿のおっさんや冒険者ギルドの情報は正しかったか」
「『山が燃えている』。本当に、山が燃えています……わたくし、こんな光景をはじめてみました」
「だがサトル、こんな魔法は聞いたことがないぞ! こんなことができるなら騎士団はどれほどの民を守れたことか!」
麓に立ったサトルは山を見上げる。
山肌は青い炎に包まれていた。
裾野から山頂まで延々と、地面からおよそ1メートルほどの高さまで青い炎が広がっている。
不思議なことに木も草も燃えていない。
木々の枝に留まって鳥は歌い、虫は草木の陰から顔を出し、シカは山肌を登っていった。
青い炎さえ気にしなければ、のどかな山の光景である。
ただ、モンスターは見当たらない。
教会の儀式魔法『聖火焔』。
それは、モンスター、悪しき心を持つ者、教会の信者ではない者を燃やす範囲魔法なのだという。
「俺たちをダンジョンに飛ばした『ズッカ・デル・ペレグリーノ』とかいうひょうたん型の転移系マジックアイテム、儀式魔法『聖火焔』。どっちも聞いたことがない。それだけ『教会』は遣東使を行かせたくないんだろ」
教会は「この地のモンスター対策に行った」と説明したらしいが、サトルたちは遣東使への妨害工作だと考えていた。
その証拠にサトルたちが向かおうとした北方面、険しいが抜け道となる東方面の山々がすべて燃えている。
想像以上の範囲であることを考えると、そうそう使える魔法でもないだろう。
そもそも「モンスター対策」というなら、この小さな町より優先されるべきところはある。
「さて。じゃあ通れるかどうか、試してみるか」
「ですがサトルさん、危ないのではないでしょうか? ここはわたくしが」
「なんたる勇気! まるで戦乙女のようです姫様! ですが、姫様に危険なことをさせるわけにはいきません!」
「まあプレジアの言う通りだな。危なかったとしても俺なら問題ないし」
「そうそう、ここは俺に任せて! じゃあ行ってくる、俺」
いつの間にかサトルが増えていた。
声も同じ、顔も姿も同じ、装備も同じサトルが二人。
サトルのスキル【分身術】である。
サトルの肩をポンと叩いて、サトルが『聖火焔』で燃える山に近づいていく。
青い炎の3メートルほど手前で止まって、サトルがサトルとソフィア姫とプレジアとベスタを振り返る。
「いまのところ熱くない。これだけ広範囲が燃えてるんならそろそろ熱を感じそうなものだけど」
「普通の炎ならその通りだが、魔法の炎だからな。オレイチ、もうちょっと近づいてみてくれ」
「了解! もし燃えたら遠隔で分身解除をよろしく、俺!」
「ああ。でも焼死はそうとうキツいからできれば死なないでほしいんだけどなあ」
サトルの願いを聞いているのかいないのか、サトルがゆっくりと聖火焔に近づいていく。
「どうでしょうかサトルさん?」
「くっ、姫様に心配していただけるなら私が行けばよかった! もし火傷できたら姫様の【回復魔法】で癒やしていただけるのだし!」
青い炎を前にプレジアは平常運転だった。悪しき心どころか悪しき願望を口にしている。
ソフィア姫を乗せた馬、ベスタは何も言わずじっと見つめていた。「ちょっと行ってきて」と言われないように、存在感を消そうとしているのだろう。Mに目覚めたようだが、熱いのはダメらしい。
三人と一頭に見守られながら、サトルが聖火焔に近づいていく。
周囲の温度を確かめるように手を前に出して、一歩一歩ゆっくりと。
サトルの手が聖火焔に触れた。
「あちっ! フツーに熱いんですけど、俺!」




