第二話
「うわあ、うわあ! とろとろです! わたくし、こんなチーズはじめて見ました」
「な、なんだこれは! とろりとした舌触りに鼻に抜ける香り! 腸詰めがこれほどおいしくなるとは!」
ボーデン公国の小さな町。
石積みの宿には、客室が一部屋しかなかった。
デカくて見た目はむさくるしいおっさん主人が一人で切り盛りする宿。
サトルがこの宿を選んだのは、先行した分身のサトルが「安いのに料理がおいしい」と聞いたからだ。
主人であるおっさんは牧場を経営しており、宿は片手間で営業しているらしい。
テーブルには安い宿代からは考えられないほど豪華な食事が並んでいた。
ソフィア姫が見た目で、プレジアが味で喜んでいるのはラクレットチーズだ。サトルが元いた世界とは違うため「ラクレットチーズのようなもの」と言った方がいいかもしれない。
暖炉で温めておいたチーズのかたまりをテーブルまで運び、おっさんがとろとろのチーズをこそいでかける。
おっさんの牧場で手作りしたという腸詰めは、それだけでごちそうになった。
「さすが『湖と家畜と戦士の国』。姫様、こちらのチーズフォンデュもおいしいですよ」
チーズ料理はそれだけではない。
テーブルの中央に置かれたのはチーズフォンデュだ。
食べ方がわからなかったらしいソフィア姫とプレジアよりはやく、サトルは切り分けたパンにチーズをつけて食べている。
フォンデュの中身のチーズはおっさんの牧場で、白ワインはこの町の特産品らしい。
「わあ! あついけどおいしいです! わたくし、はじめて食べました」
サトルの真似をしてチーズフォンデュにチャレンジしたソフィア姫は、キラキラと目を輝かせる。
ティレニア王国は食が充実した国で牧畜も行われているが、溶かしてかけるラクレットチーズやフォンデュはなかったらしい。
王宮を出たことがないソフィア姫はもちろん、サトルもこの世界で食べるのは初めてだった。
「ああ、姫様はなんと無垢で可愛らしい……これが天使の晩餐か……」
「いいから食べろプレジア。フォンデュはともかく、せっかくのラクレットが冷めるぞ」
子供のように楽しそうに食べるソフィア姫の姿にプレジアはデレデレである。子供のように、というかソフィア姫は8歳で、子供なのだが。
「旅人よ。山は燃えているぞ」
三人の反応に口を綻ばせて給仕していた宿の主人が、唐突に話しかけてきた。
必要ないことは話さないボーデン公国民らしからぬ振る舞いである。
口々に「おいしい」と言われて気を良くしたのかもしれない。
「それなあ。本当なんですか?」
「うむ」
「『山は燃えている』ですか? とても素敵な表現ですね」
「あー、姫様、違うんです。これは素敵でも詩的でもなくて、そのまんまこの先の山が燃えているんです」
「どういうことだサトル? 山火事でも起きているのか? 煙は見なかったぞ?」
謎の言葉にソフィア姫とプレジアが首を傾げる。
先行した分身を吸収したサトルは、その話を知っているらしい。
「モンスターや悪しきものだけが燃える火が、この先の山を燃やしてるらしいんだ。なんでもモンスター対策に教会が儀式魔法を使ったそうで」
サトルの言葉に宿のおっさんが頷き、ソフィア姫とプレジアの首はますます傾いた。
異端審問官ロッソと遭遇して以来、特に教会の妨害はなかった。
どうやらそれは、ここまでらしい。
「まあ明日、詳しい話を調べてみよう。実際に見ないとわからないこともあるだろうし。それよりほら、いまは料理を楽しもう」
問題の先送りである。
よくわからなかったソフィア姫とプレジアはサトルの提案に乗って、ひとまず目の前のごちそうを堪能することにしたようだ。
騎士のプレジアはともかく、王宮育ちのソフィア姫もタフであるらしい。
ちなみに。
厩にいたベスタは、無事に肉とチーズにありつけたようだ。
サトルは小物でおっさんだが鬼ではないらしい。