第一話
サトルがティレニア王国の王都を旅立ってから間もなく一ヶ月。
一行は山岳連邦のルガーノ共和国を抜けて、同じく山岳連邦のボーデン公国を旅していた。
遣東使として旅をはじめて三ヶ国目である。連邦内の国を一ヶ国として数えれば、だが。
ルガーノ共和国同様、サトルが元いた世界でいうスイスとリヒテンシュタインのあたりだ。
順調にボーデン公国を旅する三人と一頭には、いくつか変わったことがある。
「今日もなかなか疲れましたね」
「やっぱりサトルさんを馬に乗せて、わたくしが歩く方がいいと思います。サトルさんは毎日三人分の疲れを負うのですから」
「慈悲深い姫様は天使に違いない、もしや女神の可能性もっ!? そうだ姫様! サトルを馬に乗せて、姫様は私の背に乗ればいいのではないでしょうか!」
「願望がだだ漏れだぞプレジア。『八つの戒め』を守る気ないだろ」
「そんなことないぞサトル! だが私はあのダンジョンでレベルが上がったのだ! 38ともなれば一流冒険者間近、騎士団でも上位なんだぞ!」
「あの時は本当にありがとうございました、サトルさん。わたくしもレベル26まで上がって、体力もついたんですよ? だからわたくしは徒歩でも」
ルガーノ共和国では『教会』の異端審問官に遭遇してダンジョンに飛ばされるという事件が起きた。
だがサトルは、アンデッド系ダンジョンという環境をソフィア姫と護衛騎士プレジアのレベル上げに利用した。
結果、ソフィア姫はレベル11からレベル26に、プレジアはレベル32からレベル38に上がったようだ。
ちなみにレベルを測定したのはサトルの知人がギルドマスターを務める冒険者ギルドに戻った時だ。
ダンジョンで見つけた遺品の配達依頼と、ティレニア王国に教会の暗躍を伝える伝令を依頼するために寄り道し、ついでに計測したのである。
その後も旅を続けているため、ひょっとしたらいまはさらに上がっているかもしれない。
「大丈夫ですよ姫様。本当にしんどい時は代わってもらいますから」
「アタシはできれば姫様に乗ってもらいたいなーっていやそんなサトル様を乗せるのがイヤだとか怖いとかそういうことじゃなくてですねえへへへへ」
「おいベスタ、喋るな。もう街の中だぞ」
「すみませんひひん」
手綱を引いていた馬が喋り出す。
ドラゴンが変化した馬はサトルに注意されてビクッと怯え、ウソくさい馬の鳴きまねをしていた。ドラゴンとしてのプライドはすでにぽっきり折られている。
「サトルさん、遠慮しないでくださいね? わたくしが歩き疲れても、わたくしは【回復魔法】で癒やせるのですから。新しい魔法もいろいろ覚えたんですよ?」
「姫様、ありがとうございます。おっ、今日の宿に着きましたよ」
「この宿も石を積み上げたような造りなんですね! なんだかかわいらしいです」
「何をおっしゃいますか姫様! 姫様の方が可憐で清楚でたおやかで可愛らしいですよ!」
「プレジアが何を言ってんだ。ちなみに姫様、これは『モンスターに壊されてもすぐに建て直せる』からこうした造りなんだそうですよ。各建物には地下もあって、地下から避難する道もあるそうです」
「まあ! ではこの国の方はいつでも避難して逃げられるようになっているのですね」
「あー、いえ、そこは違うというか、むしろ逆といいますか」
ボーデン公国の街並みは、ルガーノ共和国の石造りの家々とはまた違っていた。
石をベースに建てられているところは同じだ。
だが石材とコンクリートを組み合わせたルガーノ共和国の家と違い、ボーデン公国の家はもっとシンプルだった。
サトルたちがたどり着いたこの小さな町だけではない。
ボーデン公国の家は、石を積み上げて土で固めたものが多く、ほとんどが平屋だった。
こちらは「壊れてもすぐに建てられる」メリットがあるらしい。
「何人だ?」
「三人と馬が一頭。泊まれるかな?」
「ああ」
「じゃあ先に馬を預けてくる」
「厩は横だ」
宿の扉を開けて尋ねるサトルに、男がぶっきらぼうに応えた。
客商売とは思えないほどの愛想のなさである。
サトルはいったん宿の扉を閉めて、教わった通り横にまわる。
「なんというか、この国も体が大きい人間が多いな! まるでお父様のようだ!」
「プレジアのお父様ってオークでしょ。人間じゃないわけで、比べるのはまた違うような」
「この国の料理を食べれば、わたくしも大きくなれるでしょうか」
「どうですかね。牧畜が盛んで乳製品やチーズが名物ですから関係ありそうな気もしますけど……この国の人たち、男も女も子供もみんな戦士だからなあ」
「えっ。女も、子供も、ですか?」
「そうです姫様。ひとたびモンスターが現れれば、誰もが武器を手に取って戦う。石積みの家はトーチカでもあるんです」
「そ、それで牧場の近くにも建物があったんですね……」
「おおっ、なんと勇敢な者たちの国なのだ! それで『湖と家畜と戦士の国』なのか!」
「そういうこと。みんな戦士で、だから牧場を守れるってわけだ」
サトルに対応した宿の主人は背が高くがっしりした体型でみっしり筋肉が詰まっていた。
鋭い目つきと伸びっぱなしのヒゲ、接客業とは思えないほどの愛想のなさと言葉の少なさ。
宿の主人というより、冒険者や兵士と言われた方がしっくりくるほどだ。
だが、この国では珍しくないらしい。
体はでかく誰もが戦士だが、朴訥で善良。
それがこのボーデン公国の民だった。
「この宿はチーズが美味しいと評判なようですよ。ベスタ、大人しくしてたらあとで肉とチーズを持ってきてやる」
「ありがとうございますサトル様! アタシ大人しくするし喋らな――ひひん」
サトルが馬具を外す手を止めると、すぐにベスタは話すのを止めた。
馬の体を労うように、ぽんぽんと軽く叩くサトル。
ベスタはぎゅっとまぶたと口を閉じる。
「よし。さあ宿に入りましょう、姫様、プレジア」
何がよしなのか。
口をつぐんだベスタは厩に連れていかれ、サトルと姫様とプレジアは石積みの宿に入っていった。
ベスタの扱いがひどいようだが、そういえば元はドラゴンである。
洞窟で騙されながら育てられていたことを考えれば、厩でも豪華な寝床と言えるだろう。たぶん。