第五話
坂道の先に、背に陽光を浴びてサトルたちを見下ろす男がいた。
「あなたは神を信じますか?」
「はい?……変わった人はどこにでもいるんだな」
「サトルさん、失礼ですよ。過度な勧誘でなければティレニア王国では認められているのです」
「さすが姫様、物知りでお優しい! 山道に現れた不審な者をお認めになるなんて!」
誰も問いかけに答えない。
マイペースな三人である。
姫様を乗せた馬は特に反応を見せなかった。
人前で喋ってはいけないというサトルの教えが身に付いたらしい。
「答えなさい。あなたは神を信じますか?」
ふたたび問いかけられる。
ざりっと音を立て、急な坂道を下って男がサトルたちに近づいてくる。
逆光がさえぎられて、徐々にその姿が見えてきた。
白い服は教会の法衣だ。
まとったフード付きローブの白がくすんでいるのは、旅の空が長かったのだろう。
手には木の杖、腰には水筒として使ってるっぽいひょうたんをさげている。
どちらも教会の巡礼者としては一般的な持ち物だ。
何よりも印象的なのはその容姿だろう。
肌は透けるように白く、それどころか髪の毛も眉毛も色素がないように白い。
ただ一つ、瞳だけが真紅だった。
鮮やかな紅の瞳が、返答を求めてじっとサトルたちを見つめる。
「神、かあ。いると思ってる。じゃなきゃ俺がここにいることもなかっただろうし」
「わたくしはお母様から教わりました。神がこの世界を創られ、八百万に神が在るのだと。はい、わたくしは神を信じています」
「私も神を信じている! 神がいなければ姫様と私が出会うこともなかっただろうからな! ありがとう神様!」
三人とも自由すぎる宗教観である。現代人か。
違う世界からやってきたサトルのみならず、ソフィア姫も護衛騎士のプレジアもこの世界の、少なくともティレニア王国の国教たる『教会』の教えにはそぐわない。
「ベスタ、どうどう」
手綱を引いて芦毛の馬に注意するサトル。
ドラゴンが変化した馬は、それだけで喋ってはいけないことを思い出したようだ。
「そうですか……」
力ない声は、サトルたちの返答を聞いてがっかりしたのだろう。
うつむいた男の表情は見えない。
顔をあげた時、男の表情は変わっていた。
「やはりッ! 邪典を求め邪教を広める遣東使どもは異端者であるッ!」
大きく目を見開き、胸元の聖印を握ってサトルたちに突きつける。
赤い瞳だけでなく白目部分も目が血走っている。
「神の僕たる異端審問官、このロッソが眼前の異端者どもを断じてくれよう! 所属を隠して遣東使に潜り込み、仲間ヅラする異端者を屠ったように! 過去の遣東使どもと同様に!」
大きく手を広げ、天を見上げるアルビノの男。
立ったままゆらゆら揺れているのは宗教的陶酔だろうか。
サトルがすっと前に出る。
狂信者っぽい立ち居振る舞いに危険を感じたらしい。
プレジアは背負った大盾を外して構えて馬の前に出る。
馬のベスタは特に動かないが、騎乗したソフィア姫は狂信者を目にしてちょっと顔が引きつっている。
「感謝するがいい遣東使よ! これ以上、邪教を信じて罪を重ねずにすむのだから! 神よ、異端者を断じる我の戦いをご照覧あれッ!」
天を見上げて滔々と語る男、いや、異端審問官のロッソ。
祈りが終わったのか、ふたたび血走った目をサトルたちに向ける。
叫んで喉が渇いたのか、ロッソはひょうたんっぽい水筒を腰から外して手に持った。
きゅぽっとコルクのフタを外す。
「遣東使、ソフィア・キソ・ティレニア!」
「……わたくし、ご挨拶したことがあったでしょうか。申し訳ありませんが記憶になく」
「プレジア・サングリエ!」
「むっ、私の名前も知っているのか?」
「サトル・マゴノ!」
「俺のフルネームも知ってるのか。おっさんのところで、いや冒険者ギルドが俺の情報を漏らすわけない。ティレニア王国で調べたのか?」
「そこの馬はベスタと呼ばれていたな!」
「………アタシ、おっと、ひひん」
口を開きかけて、馬っぽい言葉を返すベスタ。
サトルからの叱責はない。ギリギリセーフだったらしい。ロッソが驚いて目を丸くしているあたりアウトかもしれない。
「なあ、ところで通っていいか? 俺たちを襲うつもりなら排除するけど」
「くくっ、くははっ! ふはははははッ! 全員応えたな! 排除されるのは異端者たる遣東使どもの方だ!」
名前を呼ばれて反応した三人と一頭を前に、ロッソが嗤う。
木製の、ひょうたんっぽい筒の口を三人と一頭に向けて。
「異端者どもを吸い込め! 神より授かりし『ズッカ・デル・ペレグリーノ』よ!」
ロッソの叫びに応じてひょうたんが光った。
風が巻き起こり、ひょうたんに吸い込まれていく。
「ちっ、なんだこの風、抵抗できないなんて。これは魔法か?」
「わたくしこんな魔法は聞いたことがありません。おそらくマジックアイテムでしょう」
「姫様、お手を! 『八つの戒め』を破ってしまうがこれは緊急事態で仕方なく! そう、仕方なくなのです!」
「わわっ、なんだこれ! なんだこれ!?」
吸い込まれるのは風だけではない。
サトルもソフィア姫もプレジアも馬のベスタも、ひょうたんに吸い込まれる。
風がおさまったとき、そこにサトルたちの姿はなかった。
いたのはただ、アルビノの異端審問官・ロッソだけである。
冷たい風が吹き抜ける。
「これぞ神の奇跡! 遣東使どもよ、『異端者の地下墳墓』で悔い改めるが良いッ!」
山岳連邦・ルガーノ共和国の山々に、ロッソの哄笑が響き渡った。




