第一話
ティレニア王国は海に囲まれた半島を国土としている。
その付け根にあるのは4,000メートル級の山々がそびえる山岳地帯だ。中には6,000メートルを超える高さの峰もある。
冬は山に雪が積もり、交通は遮断される。
自然の厳しさ、生息するモンスターたち、魔力溜まりに生まれたダンジョン。
人々は身を寄せ合って暮らし、交通の不便さからだろう、ついぞ大国は生まれなかった。
小さな国家が緩やかに繋がる連邦国家。
それが、山岳連邦だ。
サトルが元いた世界でいうスイス、リヒテンシュタインあたりである。
ほぼ同じ地形だが一部は違うため「だいたい」だが。
ティレニア王国と山岳連邦の国境を越える道は四本しかない。
海ぞいを西に抜けて山岳連邦をかすめ、農業大国に向かう西マーレ街道。
山岳地帯を北に分け入り、山岳連邦の中心国を目指す二本の新旧モンターニャ街道。
東寄りから山に入って山岳連邦内のとある国に向かう『冒険者街道』。
もちろん、道を使わずに山に分け入ることもできる。
高レベルの者や命知らずの冒険者は、そうして国境を越えることもあるのだという。たいていは野山の栄養となっているが。
「サトルさん、あれでよかったのでしょうか。わたくしたちが報告したことなのに、結果を待たずに行ってしまうなんて……」
「民も兵も心配されるとはやはり姫様はお優しい! どうなんだサトル、姫様が憂いているぞ!」
「姫様、事の顛末を見届けようと思ったらいつ出発できるかわかりません。彼らが探してるドラゴンは見つからないんだし」
ティレニア王国と山岳連邦の東よりの国境を抜ける『冒険者街道』。
両国の砦の間にある緩衝地帯の険しい山道を急ぐ一行がいた。
安全と安定と清潔さを求めて下級官吏になったのに遣東使に任命されたサトル。
母親の故郷に手紙を届けるため、交易をはじめるため、もう一つの故郷をその目で見るために遣東使の命を受けたソフィア姫。
姫様ラブすぎてためらうことなく同行を決めた護衛騎士のプレジア。
遣東使の三人である。
ちなみに一組三人という人数は、過去の遣東使の中でも最少だ。
通常は10人程度、後ろ盾次第では数十人が一組となった遣東使もあった。
いずれにせよこれまで、はるか東の果て、日の本の国にたどり着いて帰ってきた者は一人だけだ。
死亡率99.9%。
それでも前国王と今代の国王が遣東使を派遣するのは、過去の一人が残した実績ゆえだろう。
アダマンタイトさえ斬り裂くカタナ、防具や魔道具、魔法、宗教。
ティレニア王国とは体系が違うそれらを研究することで、国は大きく発展した。
サトルが移住を決めたのは、ティレニア王国には「水洗トイレ」や「IHヒーターもどき」など、便利な魔道具があるからだ。
あるいは暗にささやかれているように、家督を継げず役職にも就けない貴族の子弟や一部の冒険者を厄介払いするためか。
過酷な遣東使だが、帰ってこられたら栄達が約束されている。
事実、過去一人だけ帰ってきた男は平民の出にもかかわらず第三騎士団の団長となっている。ティレニアンドリームである。
「だいたい、長居してバレたらマズいでしょう。騎士団が捜しているドラゴンはここにいるんですから」
サトルがペチッと芦毛の馬の尻を叩く。
ソフィア姫が騎乗しているのに。
普通の馬なら叩かれたことに反応して、暴れるか走り出してもおかしくない。普通の馬なら。
「くっ! ごめんなさいアタシのためにでもアタシだってやると決めたからには馬のフリぐらいひぅんっ!」
ぺちぺちと軽く馬の尻を叩くサトル。
馬は大人しくされるがままになっている。
上下関係はきっちり叩き込まれたようだ。必要なことなので。
「もうこの時点で無理だろドラゴン。馬はしゃべらないんだよなあ」
姫様を乗せて山道を進む芦毛の馬。
その正体は、川原で遭遇したドラゴンである。
山あいの隠れ里で育てられ、川原で白馬を襲ってサトルにボコられてソフィア姫の嘆願で命拾いしたドラゴンである。
「サ、サトルさん、そのへんにしてあげましょう? ドラゴンさんは言うことを聞いてくれてますし」
「慈悲深くて姫様はほんとうに天使のようだ! サトル、姫様の言うことを聞いて止めるように!」
「そうです、アタシ白馬のつぐないにちゃんと馬になりますから叩くなら優しく」
ことあるごとにサトルが上下関係を認識させるのも当然だろう。
レベル64のサトルはともかく、レベル32のプレジアもレベル11のソフィア姫も、ドラゴンがその気になったら殺されかねない。
ドラゴンに歯向かう気をなくさせるのは必要なことだった。
「ほ、ほら、サトルさん、見えてきましたよ! 山岳連邦の街です!」
ソフィア姫が、話題を変えるように坂道の先を指さす。
どちらの国土でもない緩衝地帯の谷を抜けた先に、石を積み上げた壁が見える。
「……懐かしいって思うものなんだな」
「ん? サトルは来たことがあったのか? そういえば山岳連邦出身と言っていたな」
「そうなのですか? なるほど、だからこの道を」
「そこはたまたまですけどね。でもまあ、この『冒険者街道』を通ってティレニア王国に来たことは確かです」
山道を登りきった先に見える石壁。
門と検閲を通り抜ければ、そこは山岳連邦である。
遣東使として旅をはじめた一行は、ようやく二カ国目に到着したようだ。




