閑話2
ティレニア王国の王都は、上空から見るとひょうたんのような形をしている。
南側、大きなふくらみの中心地にあるのは王宮だ。
貴族は同心円上に王宮のまわりに居を構え、サトルのような平民はそのさらに外の南側に住んでいる。
ではひょうたんの北側、小さなふくらみには何があるのか。
同じ「王都」なのに、北側は建物も道行く人も南側とはまったく異なっていた。
静かで穏やかで清潔で、ある人たちにとっては『理想郷』。
サトルは「うさんくさいからなんかヤダ」とその地に住むことも職探しも敬遠した地。
王都の北側、小さな方のふくらみの中心地にあるのは、教会だった。
『聖地』『王都の中の聖都』『ティレニア王国の中のもう一つの国』『教会信者に聞いたいつか行ってみたい聖地No.1』。
ティレニア王国と周辺諸国で信仰され、ただ『教会』と呼ばれる宗教の発祥の地であり、神の墓所があるとされる『聖地』である。
その中心地、小高い丘の上にある教会。
宗教の総本山であり、『教会』と呼ばれる由縁となった荘厳な教会。
教会の地下、一般信者が入り込むことのない一室に、薄暗い部屋に何人もの男たちが集まっていた。
部屋の四隅で光を放つ球は魔法だろうか。
灯りは薄暗く、テーブルについた男たちをぼんやりと照らす。
法衣の上から白いローブを着込み、全員が深くフードをかぶって顔は窺い知れない。
「揃ったな。状況を報告せよ」
部屋の一番奥に座った男が口を開く。
低く深い声が重々しく響き、出入り口近くに座るローブの男がわずかに身じろぎした。
「不遜なる王に命じられた不信心な遣東使。前回までの遣東使は、すべての命の灯が散りました」
「例の不信心者が居座っているため最新の状況ではありませんが、二日前に今回の遣東使も2組24名の命の灯が消えている、と報告を受けました」
報告したのは別々の男だ。
ティレニア王国の国教たる『教会』。
信仰の深さはともかくとして、国民の大半は教会の信者である。
とうぜん、王宮内にも敬虔な信者はいる。
下級官吏にも上級官吏にも、侍女やメイド、もちろん貴族も、王族にさえも。
教会がその気になれば、こうして情報を集めることなど雑作もない。
ティレニア王国の中にあって、王国の枠組みにはまらない組織。
教会が『もう一つの国』と呼ばれるのも当然かもしれない。
「ほう、それは重畳」
遣東使の任命式典を終えて、今年も10組100名の遣東使たちが王都を旅立った。
サトルたちの出立はかなり遅かったが、それでも最後ではない。
最後に遣東使が旅立ったのは二日前で、タイミングとしてはほぼ同じ頃に王宮の祈りの間にある魔道具・命の灯を確認したようだ。
そのうえで、すでに死者が出ている。
しかも前回までの遣東使たちの生き残りはいない。
「民は『教会』のみを信じればよいのです。異教を持ち帰るなど言語道断」
「さようさよう。ティレニア王国に別の信仰が生まれてみなさい、民の混乱は必至です」
集団の長らしき人物の喜びの声に、追従するように何人かの男が口を開く。
この部屋に集まった者たちにとって、遣東使の死は歓迎するべきことのようだ。
「疑うべくもない。神は一柱のみじゃ」
しわがれた声が、ほかの男たちの下卑た笑いを沈める。
「しかり。異教などというたわ言に惑わされるのは無知蒙昧な民か異国民だけで充分」
重々しい声が同意する。
どうやら入り口から遠いほど、位が高い者が座っているようだ。
「今回もなかなかのペースではないか。卿が育てた刺客はなかなか優秀なようだ」
「いかなる組織でも不心得者は必ず出る。儂は来たる時に備えておっただけじゃ」
「くくっ、ただでさえ死亡率99.9%の遣東使が、仲間内に妨害者がいるとはのう。今回も一人も帰ってこられまいて」
「それはどうでしょうか? 任務を諦めて帰ってくる者はいるかもしれませんよ?」
「ふははっ、さようさよう、我らが神の威光に打たれてのう」
くぐもった笑い声が部屋に満ちる。
サトルがこの光景を見たら「うわあ、どう考えても悪だくみする悪役たちじゃん」などとのたまうことだろう。ひょっとしたら、国から追放されてでも遣東使を断ったかもしれない。
「だが、いい知らせばかりではない。山岳連邦との国境の砦より知らせがあった」
集まった男たちの中ではまだ若い、張りのある声が響く。
座る位置は奥から二番目だ。
若くとも優秀なのか、あるいは教会内か外の位が高いのか。
「我らが卵から飼いならしていたドラゴンが行方不明となり、手の者を送り込んだ村に騎士団の調査が入ったそうだ」
「なんと!」
「くっ、ドラゴンスケイルメイルと龍刃剣、龍牙槍で最強の聖騎士団を創るはずが!」
「だから言ったじゃろう、モンスターを飼育するなど諸刃じゃと。儂のように武具に頼らず育てるべきじゃと」
「なぜバレたのだ!? 成龍となるまであとわずか、いままで隠し通してきたのに!」
若い男の声が続けた報告に場が荒れる。
ドラゴンの卵を確保し、長い時間とお金をかけてドラゴンを飼育する。
成長したあかつきには、毒と高レベルの教会騎士で殺して騎士のレベルをあげ、ドラゴンの素材で武器防具を作る。
ドラゴン素材の武器防具で身を固めた、最強の聖騎士団の創設。
それが男たちの計画だった。
「例の不信心者の娘がいる遣東使がドラゴンと遭遇。護衛騎士の混じり者が交戦してドラゴンは逃走。人語を解したため『育てた者がいるはずだ』と第二騎士団および第三騎士団に注進があったそうだ」
「よりにもよって異教を求める遣東使に邪魔されるとは!」
「忌々しい! だから邪教の民など親子共々殺してしまえと言ったのだ!」
「口を慎め。神の直上である」
「……失礼いたしました、猊下」
騒ぎが静まる。
激昂してもすぐに平静に戻れるのは、さすがに宗教者といったところか。
あるいは、この場の中心人物がそうとう高位なのかもしれない。吹けば立場も命も危ういほどに。
「なんとかならぬのか? 行方不明のドラゴンを討伐するか素材を献上させればよいのだろう?」
「第二だけなら。だがあの地には第三騎士団がいる。おそらく第三の騎士団長も出張るだろう」
「かつての遣東使の帰還者、異教の邪典を持ち帰った者か」
「返す返すも忌々しいのう、『遣東使』というものは」
若い声の男は、一部の騎士団にも影響を及ぼせるようだ。
すでに第三騎士団をはじめ多くの者に知られたため、ドラゴンの件は内密に処理できないらしいが。
そもそもそのドラゴンはサトルに上下関係を叩き込まれ、ソフィア姫の馬になっている。
捜索したところで見つかるはずがない。
サトルとソフィア姫とプレジアと、当のドラゴン以外は知らぬことである。
「はて、混じり者はドラゴンを撃退できるほどの腕じゃったかのう」
「そうだ! その報告こそ虚偽ではないか!?」
「いや、村には調査が入った。ドラゴンがいなかったことはたしかだ。混じり者のレベルは32。命をかければいけるのではないか? あるいは、不信心者の娘以外のあと一人が何かしたか」
「むっ。あの組には誰がいた? たしかお主の推薦だったな」
問いかけられたのは、部屋の入り口に一番近い席に座っていた男だ。
末席にいた男は、緊張した様子で口を開いた。
「……直接の部下を推薦しました。文官としては優秀なため採用されたようです」
声が震えている。
まるで、場違いな空間に放り込まれて、なぜ儂はこんなことをさせられているのかと心の中で嘆いているかのように。
「王宮財務局の下級官吏か。では戦闘能力などあるまい」
「だが、その組が我らの聖騎士団計画の邪魔となったのは確かだ。手を打つべきだろう。あの組こそ生きて帰らせるわけにはいかぬ」
侮るような発言を諌めて提案したのは若い声の男だ。
彼には彼なりの思惑があるのか。
ともすれば「すべての遣東使を帰還させない」という集団の方針から外れているように思える。
「うむ。頼めるか?」
「山岳連邦との国境近くでしたかのう? 問題ないわい。紛れ込んだ遣東使をやり終えて、アヤツが動けるじゃろう」
顎にしわくちゃの手を当てて考え込んだ老人が頷く。
若い声の男は、その発言を聞いて安心したようだ。
「ではそのように。本日はここまでとする」
奥にいた男の宣言を受けて、全員が立ち上がった。
いや。
サトルを推薦したという、入り口近くの男だけよろめいている。サトルたちの組が狙われることに驚いているかのように。
サトルとソフィア姫、護衛騎士のプレジアが王都を発ってから10日。
その立場ゆえか、あるいは計らずも『教会』の計画の一部を妨害したせいか。
サトルたち三人の組に、教会からの刺客が送られるようだ。
遣東使の生き残り、8組76名。