プロローグ 2
洞窟型ダンジョン『混世蟻の迷宮』の最深部。
いまだ誰も足を踏み入れたことのないダンジョンボスの大広間に、冒険者が足を踏み入れた。
「よし、偵察通り敵は一体だ! 包囲しろ!」
「了解、俺!」
「ほらさっさと行け俺サン!」
「正面は任せたぞオレック!」
「虫系、甲殻ありか! 棍棒とは相性よさそうだな俺氏!」
「油断するな、魔法を使ってくるかもしれないぞオレゴ」
その数10人、いや、正確には一人。
スキル【分身術】で9人の分身を作ったソロ冒険者、サトル一人である。
サトルたちが遠巻きに包囲しても、ダンジョンボスは動かなかった。
3メートルほどの体躯。
天井や壁に生えるダンジョン苔の明かりを受けて黒く光る甲殻。
二本の脚で立ち上がり、合計四本の前脚と中脚にはそれぞれ大刀らしき武器を持っている。
頭部から伸びる触角、包囲する10人すべてを捉える複眼、大顎からはギチギチと音が漏れる。
ダンジョン『混世蟻の迷宮』、その最深部で冒険者を待ち構えていたのは、異形の蟻だった。
「包囲完了! 行くぞ俺たち!」
先手必勝とばかりにサトルが動く。
前後左右、ボス蟻を包囲して10人同時に。
一糸乱れぬ見事な連携なのは、全員自分だからだろうか。
ダッシュで包囲網を縮める10人を前に、ボス蟻が動いた。
大顎を正面へ、前脚で持った二本の大刀は上段から振り下ろし、中脚の二本の大刀を横薙ぎに振る。
静かだった大広間に、ガキッと金属音が響いた。
「あっぶね! やっぱ正面怖いんですけどオレイチ!」
「よく防いだオレック! オラァ!」
「ぐ、ぐふっ。だがコイツの好きにはさせん……みんな俺が体で刀を止めているうちに」
「オレゴ! くっ、オレゴの死はムダにはしない!」
「残念、残像だ」
「ぜんぶ実体だけどな俺サン! 敵の推定レベルは60! 気合い入れていくぞ俺たち!」
大顎と二本の大刀を防ぎきり、サトルの棍棒がボス蟻に届く。
一本は防げずサトルに刺さったが、サトルは捨て身で掴んで自由を奪っている。
なにやらドラマチックなことを言っているが、しょせん先ほど生み出された分身である。
ちなみに一人のサトルは何もできずに斬り捨てられた。
サトルは、ボス蟻がレベル47の自分より10レベルちょっと上だと判断したようだ。
通常、敵のレベルが10以上離れている場合、冒険者は逃げに徹する。
パーティで戦ったとしてもよくて半壊、悪くて全滅だろう。
だが、サトルは逃げなかった。
「よし! アダマンタイトで補強した金砕棒はダメージを与えてる! イケるぞ俺たち!」
ボス蟻の甲殻についた傷を見てサトルが叫ぶ。
おう! と返事したサトルたちが勢いに乗る。
サトルは初撃で近づいたまま離れず接近戦を続ける。
それも、大刀を自由に振らせない距離の超接近戦である。
とうぜん近づいたサトルも棍棒、いや、金属で補強した1メートルほどの金砕棒を自由に触れない。
それがサトルの狙いだった。
横から近づいていたサトルが、ボス蟻の足に金砕棒を絡める。
正面にいたサトルはそれを見て捨て身でボス蟻にタックルを仕掛けた。大顎がサトルの肩を噛みちぎる。
「いまだ! 俺たち、俺に構わず殺れッ!」
「オレロク! くっ、オレロクの献身をムダにするな俺たち!」
「一人じゃ行かせないぞオレロク! ひとりぼっちはさびしいもんな!」
「この野郎、よくもオレロクを! オレジューを!」
「ごふっ。チッ、油断したぜ……あとは任せた俺たち……」
「俺氏ィー!!」
サトルに足を絡め取られ、正面からサトルのタックルを受けたボス蟻が倒れた。
ジタバタもがくボス蟻に、サトルたちが金砕棒を押し付けて自由を奪う。
5人のサトルの犠牲を出しながら、サトルはボス蟻から四本の大刀を手放させ、大顎も封じ込めた。
「くっ、手が足りないぞ俺!」
だが、さすが推定レベル60のダンジョンボス。
レベル47のサトルでは、動きを封じるのに5人のサトルが必要だった。
つまり攻撃に移れるサトルはいない。
「ああ、任せとけオレッパチ! スキル【分身術】!」
サトルがふたたびスキルを発動する。
と、サトルの数が増えた。
大広間には10人で突入して5人が倒れた。
いま10人増やして、これで15人である。
拘束されたボス蟻がギチッと大顎を鳴らす。
え、それズルくない? チートすぎない? とでも言っているかのようだ。気のせいだろう。
「拘束役を代わろう俺」
「ああ、任せたオレジューゴ」
「ふふ、ふはははっ、ふははははは! 絶望するがいいアリンコよ! 俺は何度でも増えるのだァ!」
「調子に乗るな俺十三。ほら攻撃するぞ」
「魔力も使わないってやっぱりチートだろ【分身術】!」
「レベルも分散しないし分身は装備込みだからなあ」
「よっしゃ囲んでボコれ俺たち!」
いかに推定レベル60オーバーのボス蟻でも、レベル47の5人に押さえ付けられ、10人に攻撃されたら耐えきれない。
地面に転がされて身動きをとれないまま、アダマンタイトでコーティングした金砕棒を何度も打ちつけられる。
それでも時間がかかったのは、硬い甲殻とモンスターの体力とボスとしての意地のなせるわざだろう。
反撃は一度だけ。
わずかに拘束が緩んだ瞬間に、大顎で一人のサトルを倒しただけであった。
5人のサトルに押さえつけられ、一人倒しても9人のサトルにボコられて、やがてボス蟻の体から力が抜ける。
「まだだ! 油断するな俺たち、攻撃を続けるぞ!」
「うわっ、容赦ないな俺」
「虫系は生命力が高いからな、手を休めるなオレッパチ」
「あー、じゃあ俺は切断に入るよ。手伝ってくれないオレジューシー?」
「よし、首のとこに盾のフチを当てるから、金砕棒で叩いてくれオレジューニ」
「それよりボス蟻が持ってた刀を使えばいいだろオレイレブン」
「バッカ、刃物使うのは難しいから俺は打撃武器を選んだわけで」
ここで油断するようであれば、サトルはダンジョン最深部にたどり着けなかったことだろう。
洞窟型ダンジョン『混世蟻の迷宮』は虫系モンスターの巣窟で、頭を潰しても体を両断しても動くモンスターなど珍しくない。
ガンガンと金属音が響くことしばし。
ボス蟻は頭部と胸部、腹部を切り離された。
そのまま、14人のサトルがじっと見つめる。
ボス蟻は動かなかった。
「おおおおおお! よっしゃあ!」
ダンジョンボスの大広間に歓声が響いた。
サトルの勝利である。
「これで……異界に繋がる……還れるんだ……」
サトルの目に涙が浮かび、よくやったとばかりにサトルがサトルの肩を叩く。
未踏のダンジョン『混世蟻の迷宮』。
孫乃 悟は、初の踏破者となった。
「それでこのあとどうなるのか……」
キョロキョロとサトルがまわりを見渡す。
分身の術はまだ解除していない。
14人のサトル全員が、ダンジョンボスがいた大広間に変化がないか観察している。
と、ボス蟻の死体に変化がおきた。
分断された体が、黒いモヤを出して溶けるように崩れていく。
「なんだコレ? 普通のモンスターはこんなことにならないのに」
「ボスドロップ! 初討伐のボスドロップじゃないかオレトゥエルヴ!」
「いままで苦労して解体してきただろオレイチ」
ざわざわと騒ぎ出すサトル、なだめるサトル、じっと見つめるサトル。
やがてボス蟻の死体は溶けきって、すべてが黒いモヤとなった。
「異界に繋がるって話なのに」
ポツリとサトルが呟く。
まるでサトルの声に応えるかのように、黒いモヤはさらに変化した。
死体があった場所に固まっていたモヤが立ち上り、まるで扉のように広がる。
高さは3メートルほど、幅は2メートルほどだろう。
そして。
「これ、は?」
黒いモヤをフチに残して、中央部分に別の空間が写った。
「後ろには何もないし、反対側から見ても何も見えない……横から見ても何もない」
別の空間が写っているのは正面から見た時だけだった。
「まさか、これが『異界に繋がる』ってこと?」
呆然と呟くサトル。
ポン、と肩に手が置かれる。
「考えたってしょうがない。行ってくるよ、俺」
「……ああ、頼んだオレイチ」
サトルである。
いや、生き残った14人全員サトルなのだが。
分身のサトルが、黒いモヤにフチどられた中央に足を踏み出す。
そのまま、ためらうことなく別の空間に入っていった。
「こっちは問題なし! そっちからはどう見える俺?」
サトルの言葉に、サトルが周囲を確かめる。
反対側から見ても横から見ても、黒いモヤが写す空間の中に入ったサトルの姿はなかった。
どうやら本当に、別の空間に繋がっているらしい。
過去のダンジョン踏破者が語った、異界に。
黒いモヤに写る空間は石造りの小部屋だった。
まるでどこかの建物の一室のようで、洞窟型ダンジョンである『混世蟻の迷宮』では見かけない造りだ。
「ここから先はどこにも繋がってないっぽいよ、俺。扉も出入り口もない」
中に入ったサトルの言葉に、外のサトルが顔をしかめる。
「とりあえず、中にあった物を持ってくよ、俺!」
「待てオレニー、俺も手伝おう」
「サンキュー俺十三」
ショックを受けるサトルを放置して、中にいるサトルを手伝うために何人かのサトルが続けて異界に入る。
武器らしき棒、肩掛けのバッグ、ポーションらしき数本の瓶、いくつかの布袋。
サトルと手分けしてサトルが運び出す。
すべて運び終えると、写った景色は消えて黒いモヤに戻った。
やがてその黒いモヤも消えていく。
あとには何も残らなかった。
残ったのはサトルと、運び出した物品だけである。
「『異界に繋がる』か……たしかに、この場所とは違う謎の空間で……『異界』なのかもしれないけど」
ついにサトルは地面にヒザを落とした。
手で顔を覆う。
サトルがダンジョンに潜っていたのは、お金を稼ぐためでも冒険者として名を馳せるためでもない。
いまとなっては「バカにされたから見返す」わけでもない。
「じゃあ俺は……還れないのか」
元の世界に還るため、であった。
ダンジョン踏破を目指したのは、過去の踏破者が『ダンジョンボスを倒して初踏破すると異界に繋がる』という情報を残していたからだ。
実際、その情報は正しかったわけだが。
「ここまで苦労して、必死にがんばってきたんだけどなあ……」
2年前、サトルがこの世界に来た時はレベル1だった。
サトルと同年代の一般人はレベル5~7、冒険者はレベル10以上なのにレベル1。
それを、2年でレベル47まで上げたのだ。
レベル40を超えれば「一流冒険者」と呼ばれるほどなのに、わずか2年で。
スキル【分身術】がチートくさいスキルだったとしても、サトルの苦労は並大抵のものではなかった。
「落ち込んでるところ悪いんだけど俺。そろそろ」
「予定通りオレイチは見張りね。ダンジョンボスを倒したら数ヶ月は復活しないらしいけど、いちおうよろしく」
「了解、俺たち。さあ俺」
「どうする俺? 生き残りの俺たちからいく? それとも死んだ俺たちからいく?」
魔力の消費なしで分身できる、装備さえ分身する、分身の数に制限はない、分身が単独行動できる。
チートくさいスキル【分身術】だったが、デメリットがないわけではない。
「……ああ。オレイチ以外の生き残りからいくよ」
地面にヒザを落としたまま、サトルがサトルに触れる。
跪いたサトルに重なるように、すうっとサトルが消えた。
「ぐっ。よし、ほとんど攻撃を受けてなかったしこれぐらいなら」
「よーし俺、その意気だ。じゃあどんどんいくぞ」
「あ、ごめん、俺けっこう攻撃受けたわ。脚だから打撲だけど」
「がんばれ俺、ちょっと一人分ぐらい死んだ俺もいっておこう!」
続けて、何人ものサトルがサトルに触れられて消えていく。
うち一人のサトルは、ボス蟻にやられたサトルの体をお姫様抱っこしていた。まるごと消える。
「ぐああああっ! いって! くっそ、コレ大顎にかみ殺された俺か!」
分身を吸収したサトルがゴロゴロと地面をのたうちまわる。
スキル【分身術】のデメリット。
それは――
「ああああ! 死ぬ! 死ぬ! ちょっと待って、俺あと5人分も死を体験するのかよ!」
分身を解除した時に、分身の体験を吸収するのだ。
「レベルが上がった分をもらうだけになんねえかなああああ!」
「が、がんばれ俺! ほらこの死んだ俺も吸収して! これであと4人分!」
「あー、じゃあ予定通り俺は見張ってるから。できるだけ疲れないように気をつけるよ俺」
上がったレベル分の『経験値』も、痛みや死の記憶も、疲労も、減った魔力も、すべて吸収するのだ。
「ああああ痛い、痛すぎる! 死ぬほど痛い、って死んだ痛みなんだけどなああああ! ぐうっ、拷問よりキツいだろコレ!」
ケガや死そのものが反映されるわけではない。
ないが、ケガした痛みや死の記憶は吸収して追体験する。拷問である。
大刀で腹を裂かれ、大顎で肩を噛みちぎられ、ボス蟻との戦いで犠牲になった分身のすべてを吸収する。
「あああああ! これだけ苦しんだのに還れないって! もうヤダ! 俺もう冒険者やめる!」
目や鼻や口、穴という穴から体液を垂れ流してサトルが地面をのたうちまわる。
元の世界に還れるかもしれない。
その希望にすがってデメリットに耐えて冒険者をしてきたサトル。
だが、ダンジョンボスを倒して『異界』に繋がったものの、元の世界とはまったく異なる空間だった。
その事実は、サトルの心を折ってしまったようだ。ポッキリと。
「できるだけ安全で! 清潔な場所で! ひっそり生きてくんだ! 異世界はほどほどに楽しめればいいから! たぶんそれぐらいは強くなったから!」
孫乃 悟、20歳、レベル47。
新たな決意を胸に、異世界ライフに望むようだ。