第八話
「サ、サトル、瀕死の敵を譲られるのは、貴族として恥ずべきことなのだぞ?」
「え? そうなの?」
「そうですサトルさん。わたくしは、お母様にそう教わりました」
遣東使として旅をはじめてから一週間。
山岳連邦に近づいたサトルたちは、山あいの川原で休憩中にドラゴンと遭遇した。
ここまでソフィア姫を乗せてきた白馬が犠牲になったものの、サトルはスキルを使ってドラゴンを倒した。
倒した、といってもまだ死んでいない。
サトルの分身に囲まれて、ドラゴンは瀕死で横たわっている。
レベルを上げるいい機会だとサトルはソフィア姫と護衛騎士のプレジアに攻撃するよう促したのだが、二人はそれを固辞した。
貴族のプライド的にNGらしい。
旅をはじめてから一週間、この世界に来てからは12年も経つが、サトルは知らなかったようだ。
下級官吏として務めた10年はともかく、2年は冒険者として戦闘に身を置いてきたのに。長らくぼっちだったおっさんの悲哀である。
「あー、でも遣東使は死亡率99.9%の過酷な役職なわけで、上げられる時にレベルを上げておいた方がいいと思うんだけど」
「むっ。た、たしかにその通りではあるが……くっ、ここは騎士の誇りを捨ててでも、姫様の安全のために」
サトルの言葉に、プレジアもソフィア姫もどうするか考えはじめた。
素直な女性陣である。
「どうするか決まった俺? トドメさしちゃう?」
「すまん、まだだ。もう少し待っててくれオレニー」
「俺、ヒマなら俺を吸収する? 攻撃するなら姫様とプレジアなんだろうし」
「待て待てオレゴ、だったら死んだ俺たちを吸収するべきだろ。役に立たないし邪魔だし」
「俺を守るためにオレイチもオレ30も犠牲になったのにヒドいな俺ニジューシー」
考え込むソフィア姫とプレジアをよそに、サトルたちは騒がしい。
同じ装備で同じ顔で同じ声で話し合うサトルたちの姿は、奇妙な風景だった。
「……そうだな、そうするか。よし、死んだ俺を運んできてくれ、俺」
サトルは覚悟を決めたようだ。
指示に従って、サトルたちが動かないサトルを抱きかかえてくる。
ウソみたいにキレイな顔して死んでいるサトルもいれば、ドラゴンの爪でざっくり斬り裂かれて死んだサトルもいる。
中でもひどかったのは、ブレスを防ぐために自らドラゴンの口の中に飛び込んだサトルだ。
ドラゴンの牙にやられ、腰から胸にかけてぐちゃぐちゃであった。
龍口に入らずんば死を免れず、である。意味はない。
ちなみにサトルたちが如意棒を構えながら口に近づくと、ドラゴンはそっと口を開けた。
まるでサトルの言葉を理解して、逆らったら殺られる、とでも思ったかのように。
サトルたちが死んだサトルを運び、サトルの前には6人のサトルの死体が並んだ。
「死んだ分身は6人か。……どれもけっこうやられてるな」
「7人だ、俺。川の底で溺死してた」
「マジかよ溺死ってなにやってんだ俺。しんどいんだよなあ」
サトルが空を見上げる。
うららかな陽射しを浴びて、木々が風にさざめく。
キレイな小川はサトルとドラゴンの血で濁っていた。
「サトルさん? 何をしているんですか?」
「姫様。俺のスキル【分身術】は強力ですが、デメリットがあるんです」
「おお、私の【八戒】と同じだな! 『八つの戒め』を守り続けるのは大変なんだぞ!」
「いやそこは余裕だろ。たぶんそれよりもっとキツいぞ」
「どんなデメリットがあるんでしょうか? そういえば先ほど、回復魔法もポーションも効かないし、体力や魔力が回復することもないと」
「あー、それよりぜんぜんデカいデメリットなんです。分身のケガや死を追体験するんですよ。実際に死ぬわけじゃないですけど」
「…………えっ?」
「はあ。よし、やるか」
戸惑うソフィア姫を放置して、サトルは死んだサトルの分身に触れた。
ドラゴンに振り落とされたか尻尾あたりで攻撃されたか、比較的傷が少ないサトルの死体である。
すっとサトルの分身が消える。
「ごふっ。内臓破裂だったのか俺。は、はずれすぎる、ぐふっ」
「がんばれ俺! あと5人分だ!」
「内臓系は苦しいんだよなあ。気持ちはわかるぞ俺」
「どうせやるんだから次々いくぞ俺! 心を強く持て!」
分身を吸収したサトルが、川原にヒザをついて腹部を押さえる。
口から血を吐きそうな声だが、実際に血は出ない。
あくまで追体験であり、サトルに実際のダメージがあるわけではないのだ。
「くっ、いっそ溺死をいってやる! がばっごぼカハッ!」
「大丈夫ですかサトルさん! わたくし、いま回復魔法を!」
「サ、サトル? そうか、さっきケガや死を追体験すると……なんと悪夢じみたデメリットだ……つまり、サトルはあと4回死ぬのか……」
のたうちまわるサトルを見てソフィア姫が慌てて駆け寄る。
戦いに身を置くプレジアは『ケガも死も追体験する』というデメリットの意味を理解してドン引きである。
「ひ、姫様、回復魔法は意味が、ないのです、これはあくまで、追体験です、から」
「ああ……サトルさんは、わたくしたちのために、苦しい思いをして……」
「サトルのために涙するとは姫様はなんとお優しい! くっ、本来は私が姫様を守ってそう言っていただくはずなのに! レベルが足りないばかりに!」
だらだらとヨダレを垂れ流しながら、サトルが死を追体験していく。
最後に、ドラゴンの牙に貫かれ、皮一枚で体が繋がった分身を吸収する。
「ぐっ、ぐごっ。これはキツイ、ひ、ひさしぶりに死んだ」
サトルは、ゴロゴロと石が転がる川原に倒れ込んだ。
涙と鼻水とヨダレで顔がぐちゃぐちゃである。
サトルのスキル【分身術】は強力だが、デメリットも大きい。
だからこそサトルは冒険者を引退して小役人になったのだ。
それでもサトルは、スキルを使ってドラゴンを倒した。
ソフィア姫とプレジアを守るために。
「姫様、私はやります! 騎士としての誇りなど! 姫様の安全と比べられません! 護衛騎士である私のレベルが足りないばかりにサトルが戦ったのです!」
「プレジア……そう、ですね。わたくしもやります! わたくし、がんばって攻撃しますから!」
苦しむサトルを見て、プレジアとソフィア姫は決意したようだ。
誇りを捨ててでも瀕死のドラゴンに攻撃して、レベルを上げて強くなる。
プレジアは左手に持っていた盾を地面に置いた。
両手剣を両手で持つ。
「サトルさんと、プレジアが傷をつけた場所なら、わたくしだってきっと」
ソフィア姫は短剣を抜いた。
本来は護身用なのだろう。
ドラゴンに対しては小さな小さな武器だ。
殺る気になった二人を護衛するように、生き残ったサトルの分身がプレジアとソフィア姫を囲む。
サトルたちに守られてプレジアとソフィア姫がドラゴンに近づいていく。
ちなみに、分身を吸収して6度の死を体験したサトルは川原に寝転んだままその様子を眺めている。立ち上がる気力はないらしい。
たがいに寝転んだドラゴンと、サトルの目が合った。
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい二度とニンゲンを襲いません」
川原にいた人間たちの足が止まる。
「ごめんなさい許してください痛いです死にたくないですごめんなさい」
サトルと、サトルの分身と、ソフィア姫と、プレジアが、目を見開いて見つめる。
「なんだかたくさんになってアタシに襲いかかってきて痛くて死にたくなくて怖くてこんなの初めてで」
サトルと、サトルの分身と、ソフィア姫と、プレジアが、視線で会話する。
……。
…………。
「シャァベッタァァァァァァ!? え、なに、この世界のドラゴンってしゃべるの!?」
「わたくしの、聞き間違いでは、ないのですね。そういえば冒険譚では古のドラゴンが人語を理解すると」
「物語を本当だと信じる姫様かわいいです! いやそんなはずは! モンスターが人語を理解して人と話すなど!」
「……おい待て人間とオークの娘。お父さんとお母さん会話成り立ってるの? 親子の会話はどうなってんの?」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいなんでもしますどうか殺さないでください死にたくないですちょっとなら痛いのもガマンします」
騒ぎ出すサトルの分身たち、冒険譚を真実だと思い込むソフィア姫、生い立ちが理解不能になるプレジア、思わず突っ込むサトルの分身、死にたくないと懇願するドラゴン。
川原は大混乱である。
死を6回体験したサトル本体はぐったり倒れたままである。
「でもプレジア! こうして話しているではありませんか!」
「は、はあ、たしかに……。では姫様、私から攻撃します! カトリーヌの仇!」
「……え? プレジア?」
「ドラゴンを殺して、いえ、せめて傷をつけて、レベルを上げるんです!」
「ひっ。ごめんなさいお願いですなんでもしますどうか殺さないでくださいごめんなさい」
プレジアが両手剣を振り上げると、ドラゴンはぎゅっと目を閉じてぷるぷる震え出した。
「わ、わたくし、その、プレジア、サトルさん、助けてあげるわけには」
「ですが姫様! ここでドラゴンを助けたら無辜の民が殺されるかもしれません! それにジョセフィーヌの仇を!」
「ジョセフィーヌ? さっきカトリーヌって言って、白馬が喰われた時はキャサリンって言ってたような」
「ごめんなさい二度とニンゲンを襲いません皆様の言うことをなんでも聞きますから許してください死にたくないですごめんなさい」
「ほ、ほら、ドラゴンさんもこう言ってますし、ダメでしょうかプレジア?」
「上目遣いで涙ぐむ姫様可愛すぎます! やめましょう!」
「プレジアチョロすぎるだろマジかよ。それでいいのか護衛騎士」
サトルの分身が思わず突っ込む。
サトル本体は死んだような目でぼんやり主従とドラゴンを眺めるだけだ。死んだような目、というか死んだばかりである。6回ほど。
「サトルさん、その、ダメでしょうか?」
ソフィア姫が、寝そべるサトル本体に問いかける。
サトルの分身は「どうすんだ?」とばかりに本体に視線を向けてくる。
ドラゴンはびくびくとサトルたちをチラ見している。
「白馬の償いをしてくれるんならいいんじゃないですかねー。つぐないかー、おいドラゴン、お前が喰った白馬のかわりに姫様の馬になれ」
死んだ目のままサトルが言う。
適当だ。
もうなんかどうでもいい、というか生きてるのが辛い、考えるのがめんどくさい、という二重音声が伝わってくるほど適当だ。
死を6回体験した直後、人はすべてがどうでもよくなるらしい。辛い。
「オレイチ、は死んだからオレニー、あとは任せるわ。俺ちょっと限界」
「お、おう、じゃあ俺が寝てる間に俺たちの何人かは吸収させて、何人かの俺は見張っておく。何かあったら起こすから、休んでてくれ」
「頼んだオレニー」
寝転んだサトルがついに目を閉じる。
涙の跡も鼻水とヨダレもそのままである。
冒険者を引退して以来10年ぶりの死の追体験に、サトルは気力が尽きたらしい。
「サ、サトルさん? プレジア、わたくしたちはどうしたら」
「姫様、とりあえずドラゴンから離れましょう。ドラゴンはレベルが高く生命力が強いですから、攻撃しなければ死なないかと。むしろ近くにいると姫様が危険で」
「白馬のつぐないアタシが食べた白馬のかわりそうすれば死ななくてがんばれアタシ死にたくないからがんばれがんばれる」
サトルは気を失った。
指示を受けたのは分身の一人だけだが、何人かを残してサトルの分身が寝そべるサトルに自ら触れて吸収されていく。
そのたびに寝転んだサトルがうなされる。
寝転んだドラゴンはドラゴンでブツブツ言っている。
ティレニア王国の山あい、山岳連邦との国境のほど近く。
うららかな陽光に照らされた川原には、悪夢じみた光景が広がっていた。