第二話
サトルが遣東使として旅をはじめた二日目。
一行は昨日と同様にティレニア王国を北上していた。
「サトルさん、昨日の宿は高かったのではないですか? わたくし、野宿もするつもりですよ!」
「姫様、宿がある街ではちゃんと泊まりましょう。どうせこの先では野宿しなきゃいけない場所もあるでしょうから」
「姫様と野宿……野外でテントで二人っきり……はっ、ダメだぞ私! それでは戒めを破ってしまう!」
先頭は馬の手綱を引いたサトル、続けて騎乗したソフィア姫、横に護衛のプレジアという並びは今日も変わらない。
馬はかっぽかっぽと常歩で歩き、サトルたちが進む速度もとうぜん同じぐらいだ。
日の本の国ははるか先である。
「休める時に休むのが長旅のコツですよ」
「なるほど、そうなのですね! わたくし、ちゃんと休みます!」
「姫様、なんと素直な……ん? サトルは旅をしたことがあるのか? 官吏、それも文官だと聞いていたのだが」
「俺はもともと隣国、山岳連邦の出身ですから」
「ほうほう、では隣国までは道もわかるし安心だな! む? そういうサトルは顔色が悪いぞ? 疲れているのではないか?」
「あー、これぐらいは大丈夫です。……姫様がいるわけで二人先行させてるだけだから」
後半はサトルの独り言である。
サトルは自身が持つ固有スキル【分身術】を使って、この先に危険がないか分身を先行させているらしい。
サトルの【分身術】は、分身する時は魔力も体力も消費しない。
消費コストゼロで武器防具を装備したサトルを生み出すチートなスキルだ。
分身を解除すると、分身の経験値を吸収してレベルも上がる。
まさにチートスキルである。
だが、デメリットもまた大きい。
分身を解除すると、分身が消費した体力も魔力も、分身の記憶もケガや死も、すべてサトルが吸収するのだ。
実際にサトルがケガをするわけではないが、痛みや死を追体験することになる。
デメリットが大きすぎて、サトルは安全で安定して清潔な暮らしができる王都で下級官吏をしていたのである。
サトルの顔色が悪いのは、分身を二人先行させて安全を確保していたからのようだ。一晩休んでも疲れが抜けなかったわけではない。サトルはおっさんだが、まだ30歳なのだ。
「だいたい姫様が遣東使って権力争いの匂いを感じるし。とりあえず狙われてる感じはないけど」
ぼそりと呟くサトル。
聞こえなかったのだろう、同行者の反応はない。
一行が進む街道の左右には森が広がっていた。
王都から一日ちょっと離れただけで人の気配は一気に減る。
モンスターがはびこるこの世界では、人々は肩を寄せ合って暮らしているのだ。
昨日グレイウルフを討伐した牧場従業員のように、たくましい人々もいるが。
ティレニア王国はモンスター討伐に熱心な国だ。
街道を行けば、次の街に到着するまでモンスターと遭遇する方が珍しかった。
とはいえ何事にも例外はある。
「チッ、見逃してたか俺たち」
先頭を歩いていたサトルが舌打ちする。
ソロ冒険者として2年すごしたサトルだが、戦い中心の生活から離れて約10年経つ。
ソロ冒険者の頃も斥候だったわけではない。
二体の分身を先行させても、見逃すことはある。
「プレジアさん、姫様、警戒してください。前方、モンスターがきます」
「むっ、いい目をしているなサトル! 私に任せておけ!」
プレジアはワンショルダーバックパック、もとい、肩にかけていたズタ袋をドサッと地面に置く。
背中に担いでいたタワーシールドを左手に、両手剣を右手に持つ。
「は、はあ? 両手剣なのに片手持ちなんだ」
「プレジア、がんばってください! ケガしたら言うのですよ! わたくしの魔法で治しますから!」
「姫様、なんとお優しい……。サトル、敵はどこだっ!? 姫様に、護衛騎士である私の活躍を見ていただかなくては!」
サトルのツッコミは届かない。
ソフィア姫に励まされたプレジアはすでに殺る気満々で鼻息が荒い。
「あそこです。あー、出てきましたね」
街道の右手、森から飛び出してきたのは毛皮におおわれたモンスターだった。
サトルたちに気付いたのだろう。
後脚で立ち上がり、前脚を広げて威嚇する。
赤みがかった黒い毛皮のクマ、いや、クマ型モンスターだった。
「殺人熊、推定レベルは25。うわ、いきなり第三騎士団案件か」
「レベル25? だ、だいじょうぶですかプレジア!」
「お任せください姫様!」
レベル25のモンスターが出現したとなれば、一目散に逃げて、騎士団に出動を依頼するのが通常だ。
だが、サトルに焦った様子はない。
護衛騎士のプレジアも臆することなく殺人熊めがけて走っていった。
「速い。さすが王族の護衛を務めるだけある」
「ふふ、そうですサトルさん。プレジアは強いんですよ? だから心配ないのです」
サトルにそう言いながら、ソフィア姫は心配そうに見守っていた。
きゅっと組んだ両手はプレジアの勝利を祈っているのだろう。
「はあああああーッ!」
気合いとともにプレジアが剣を振り下ろす。
最初に構えた通り、両手剣なのに片手で振っている。
170cm台の身長にくわえて筋力もあるらしい。
殺人熊はプレジアの剣を左腕に受けた。
肉を斬り裂き血しぶきを飛ばす。
だが骨は断ち切れなかった。
「くッ!」
剣を引き抜いてまた振ろうとするプレジアだが、殺人熊の攻撃の方が速い。
プレジアは、殺人熊の爪撃を盾で防いだ。
ガンガンと盾に打ちつける音が響く。
「プレジアさん、厳しいなら俺も戦います」
「いらんッ! サトルは姫様を守れ!」
サトルの申し出は拒否された。
護衛騎士としては、文官を戦わせると危険だと思ったのだろう。
サトルは二人にレベルもスキルも告げていない。
「姫様の護衛騎士が! この程度で負けるものか!」
プレジアは殺人熊の爪を、噛み付きをタワーシールドで防ぎ、両手剣を自在に振りまわしてチクチク傷を与えていく。
熊の攻撃がかすってソフィア姫が悲鳴をあげる場面もあったが、プレジアはそれで守るべき存在を思い出したのだろう。
以降、プレジアは堅実に戦った。
最後は出血で動きが鈍った殺人熊の口へ渾身の突きを叩き込み、貫いた。
殺人熊がどうっと倒れる。
プレジアの勝利である。
「プレジア! ケガは、ケガはありませんか!?」
馬から下りて、ソフィア姫がプレジアに駆け寄る。
青い顔をしているあたり、実戦を見る機会はなかったのだろう。
なにせソフィア姫は王宮を出るのも初めてなのだ。
「問題ありません! 姫様の敵は護衛騎士のこの私がすべて倒してやります! いたっ」
勝ち誇るようにガッツポーズしたプレジアが顔をしかめた。
無傷の勝利とはいかなかったらしい。
「まあ、たいへんです! 待っててプレジア、いまわたくしが……〈治癒〉」
ソフィア姫の手が淡く光り、負傷したプレジアの腕に当てられる。
傷口から流れ出す血が止まった。
「ありがとうございます姫様!……姫様のすべすべな手……触ったんじゃなくて触られたんだからセーフ。これはセーフだ」
「なんだそのデレッとした顔。プレジアさん、まさかわざと」
「そそそそんなわけないだろうサトル! さあケガも治ったし! 先を急ごう! 次の宿場町で騎士団に報告せねばな!」
バッと立ち上がり、露骨に話題を変えるプレジア。
怪しすぎる振る舞いである。
「あー、待ってください。解体してマジックバッグにしまいますから。魔石だけじゃなくて、毛皮に爪に牙、肉に肝、殺人熊はいいお金になるんです」
「そうなんですか? サトルさんは物知りですね!」
「まあ文官ですから。回収して路銀の足しにしましょう」
「だがサトル、次は宿場町だろう? 王都と違って買い取ってもらえる店がないのではないか?」
街道ぞいでも大きな街ばかりではない。
今日の宿泊場所は途中にある小さな宿場町の予定だ。
護衛騎士のプレジアでも、そのあたりはわかっているらしい。
「冒険者ギルドの出張所があるようですから、そこで買い取ってもらいましょう。こうしてモンスターを倒すこともあるでしょうし、冒険者登録しておいてもいいかもしれませんね」
「なるほど、その手があったか!」
「冒険者ギルド! わたくし、冒険者になれるのですね! 冒険譚は大好きだったのです!」
サトルの言葉に、ソフィア姫がキラキラと目を輝かせる。
8歳の女の子は冒険者に憧れていたらしい。
「素材の買い取りだけじゃなくて、配達依頼なんかを受けてもいいかもしれませんね。マジックバッグは隠しますから、かさばらない物だけですけど」
「わあ! わたくし、お手紙をお届けしたいです! お母様はお手紙を送りたいのに遠くてムリなんだって悲しそうなお顔をしてました! わたくし、そんなお顔する人を減らしたいです!」
冒険者という言葉も、配達依頼という言葉も、お姫様の琴線に触れたようだ。
張り切るソフィア姫を見てプレジアはデレデレしている。
「ちょうどいい依頼があったら受けましょうか。……姫様が冒険者登録できるかはわかりませんけど」
殺人熊の解体をはじめながら、サトルはそんなことを言っていた。
ソフィア姫を傷つけないように後半は小声で。
手早く殺人熊の解体を終えて、サトルたちはまた歩き出す。
モンスターとの戦いと後始末で時間がかかった分、馬は速歩だ。
サトルとプレジアは問題なく馬と併走している。
どうやら護衛騎士のプレジアもレベルはそこそこ高いらしい。
一行は、すぐに遅れを取り戻すのだった。