プロローグ 1
とあるダンジョンの最深部。
そこに一人の若者がいた。
「いよいよダンジョンボス戦か……」
若者の呟きに応える声はない。
通常、ダンジョン攻略は5~6人のパーティで、時に複数のパーティが集まって行われる。
だが、男はソロで最深部まで攻略してきたらしい。
この世界では、異常なことである。
「ここまで2年、長かったなあ。でもこれで還れる、はずなんだ」
過去、ほかのダンジョンを踏破した者の話では、ダンジョンの最深部にはダンジョンボスがいるのだという。
そして、ダンジョンボスを倒すと異界に繋がるのだ、と。
「いくらチートがあるって言っても……異世界転移はキツイって」
強大なダンジョンボスにソロで挑もうとする若者は、遠い目をしていた。
ここではない何処かを、これまでの過去を思い出すかのように。
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「な、なんだここ……は? 俺はたしかに家で寝て……え?」
街を見下ろす丘の上。
そこに、一人の少年がいた。
少年の名前は、孫乃 悟。
18歳の普通の高校生、のはずだった。
昨夜、眠りにつくまでは。
今朝、見慣れぬ街を見下ろす高台の上で目を覚ますまでは。
「なんだこの服。コスプレ? なんか文明を感じないんですけど」
昨夜からの変化は場所だけではない。
服装も変化していた。
ジャージで寝ていたはずなのに、いま着ているのは麻のような布の服だ。
腰にはベルトなのだろう革紐を巻いて、その革紐には布の小袋がついていた。
「なんか薄汚れてて使用感あるし……袋には……10円、じゃなくて外国のお金?」
状況を確認しようと、身につけた服や持ち物を確認する少年。
だが混乱はおさまらない。
なぜか使用感がある服、外国の硬貨にしてはやけに粗悪なコイン。
「はは、なんだ夢か。いやー、リアルな夢だなー。ははっ、そうそう夢、これは夢。……まさか異世界転移なんて、ねえ?」
少年の震えは止まらない。
高台から、呆然と眼下の街を見下ろす。
街は山に囲まれた盆地にあるらしい。
街をぐるりと囲う石壁の高さは5メートルほどだろうか。
石壁の内側に高い建物は見当たらない。
高層ビルも電車も車も見当たらない。
街の横を流れる川には小さな帆掛け船が浮いていた。
それはまるで、中世の城塞都市のようで。
とにかく、ここにいても何もわからないと、男は眼下に見える街を目指すのだった。
「どうかファンタジー世界でありますように! そして俺にチートスキルがありますように!」
やけにテンション高く。
少年は問題なく街に入れた。
言葉は通じたうえに、身分証がなくても所持していた銅貨を払って門を通れたのだ。
開いてはいたが頑丈そうな金属の扉と鎧を着た門番は、少年を怯えさせるには充分だったが。
「なんだあれ怖すぎる。とりあえず問題なくてよかった……」
門を抜けた広場でブツブツ呟く少年。
怪しすぎるのか、少年に近づく者はいない。
「それにしても、怪しまれない服装といい所持金といい、ゲームの初期装備みたいな……都合よすぎてやっぱ夢? 誰かに送り込まれた? それとも意識とか魂だけ宿った憑依系?」
やがて考えることをやめたのか、少年が顔を上げる。
あらためて門前広場の光景を目にする。
「お、おおおおおおお! 獣人さん! 武装した人たち! つまりやっぱり異世界! 剣と魔法のファンタジー!」
叫んだ。
通行人がビクッとして少年から距離を取る。
完全に不審者である。
テンションが上がりきっている少年は気付かない。
「どどどどうしよう! まずは宿を、いやここは異世界観光、そうだ、それより冒険者ギルドを! やっぱり定番だよな!」
そう言って少年は歩き出した。
田舎から街に出てきた若者とでも思われたのだろう。
最初こそ不審がられたものの、門前広場にいた人たちは生暖かい目で少年を見送った。
だが。
少年がご機嫌でいられたのは、冒険者ギルドにたどり着くまでであった。
「それではサトルさん、こちらの石板に手をかざしてください」
「……これは?」
「レベルとスキルを判定する魔道具です。ギルドは冒険者となられる方の戦闘能力を把握して、適切な依頼を受けていただくよう心掛けておりますので」
「はあ、なるほど。というかレベル制でスキル制の世界なんだ。はっ! もしかしてこれで俺のチートが明らかに!?」
「冒険者ギルドであればこの魔道具はそれほど珍しくは……黒髪黒目で見かけない顔立ちですし、サトルさんは外国のご出身ですか? 冒険者ギルドがない国から移動してきたなら、レベルは期待できるかもしれませんね」
「あー、まあそんな感じです!……そっか、日本人顔はめずらしいのか。みんなやたら彫りが深くて体もゴツいもんなあ」
道行く人に聞いて少年がたどり着いた冒険者ギルド。
新人冒険者として登録をお願いした少年は、カウンターに座る女性から説明を受けていた。
この世界は、レベルもスキルもあるらしい。
異世界に来た以上は何らかの特別な力があるはず。
少年は期待を胸に、魔道具だという石板に手をかざした。
石板に、光る文字が浮かび上がる。
受付嬢が文字を読み取る。
知らない言語のはずなのに、なぜか少年は書かれた文字を理解できた。
石板にはサトル・マゴノという名前が表示されている。
表示されているのは名前だけではない。
「レベル1……? スキルは……【分身術】? 初めて見るスキルですね」
「くっ、レベルは最初から高くないタイプだったか! でも【分身術】って便利そう! あー、ステータスの数値表示はないのかー」
目を見開く受付嬢に、少年、もとい、サトルはまんざらでもなさそうだ。
だが。
「サトルさん、冒険者登録はされますか? レベル1では戦闘系の依頼を受けさせるわけには……いえ、訓練してレベルが上がればいずれは可能ですけれども」
「え? みんな最初はレベル1じゃないんですか? モンスターを倒さないとレベルは上がらないんじゃ」
「その、日常生活でもレベルは上がりますから、レベル1は幼子ぐらいでして……」
「え? で、でも、【分身術】ってなんかすごそうなスキルも!」
「ぶんしんじゅつ……聞いたことがないスキルですから、戦闘に役立つかどうかは」
「おいそこの新人、あんまり無茶言うな。どんなスキルだってレベル1じゃ討伐依頼にゃ連れてけねえよ」
冒険者ギルドには酒場も併設されていた。
話に割って入ったのは、歴戦の勇士といった風情のゴリマッチョだ。禿頭で、頭や顔に古傷が残る凶悪な面相である。
「まずは街中の依頼を受けるんだな。ここにゃ訓練所もある、せめてレベル5は超えてねえと、危なくて街の外に行かせられねえ」
ポン、とサトルの肩を叩くゴリマッチョ。
見ず知らずの新人のことを心配するあたり、顔に似合わず優しい男である。
だがサトルは忠告ではなく「弱いとバカにされた」と思ったようだ。若さゆえの過ちか。もしくは、異世界転移とファンタジー世界に浮かれていたのかもしれない。
「俺は! 【分身術】って冒険者ギルドの人も聞いたことないチートっぽいスキルあるし!」
「このギルドにゃ【剣術】【槍術】【弓術】、魔法スキル持ちだっている。【分身術】が何かわからねえが、戦闘に直接役立つようには聞こえねえなあ」
「ぎゃはは、ぶんしんだってよ! どう使うんだコゾー? 俺がコゾーの身を斬り分けてやろうか? この剣でなァ!」
「おいやめろって、新人クンが泣いちゃうだろ」
ゴリマッチョは親切心だったようだが、酒場にいた酔っ払いたちは違う。
からかいの言葉は、浮ついたサトルの心に冷や水を浴びせかけた。
「……依頼を受けなくても、モンスターを倒したら買い取ってもらえますか?」
「え、ええ、買い取れる素材は、ですけれど」
「それだけわかれば充分です!」
「あっ、おい待て新人! ちっ、酔っぱらいどもは黙ってろ!」
レベルとスキルのチェックを経て、冒険者登録は終わっている。
受付嬢がカウンターに置いた冒険者証を奪うように掴んで、サトルは冒険者ギルドを飛び出した。
レベル1、弱いとバカにされて悔しくて。
見返してやると心に決めて。
孫乃 悟、18歳。
異世界転移初日にして、ぼっち、いや、ソロ冒険者となることを決意した少年である。
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「ほんと、あの頃は若かったなあ。おっさんもみんなも心配してくれただけなのに」
ダンジョン最深部、ダンジョンボスがいる部屋の前でサトルは一人呟く。
けっきょく、強くなって誤解が解けてもサトルはソロ冒険者として活動した。
そこにはもう「見返したい」という気持ちはない。
「異世界、かあ。楽しいっちゃ楽しいんだけど……トイレもアレだし衛生観念もアレだし不潔だし虫は出るしマジで危ないし娯楽は少ないし美味いメシは高いしメニューは少ないし」
2年前、この世界に夢を見ていた自分を思い出し、サトルは自嘲するように笑う。
剣と魔法の中世ヨーロッパ風ファンタジー世界。
最初こそ「夢に見た異世界」に喜んでいたサトルだが、日常生活を送るうちに気付いてしまったのだ。
元いた世界の、日本での生活がいかに安全で清潔で恵まれていたか、ということに。
以来サトルは、還る方法を探していた。
パーティを組まずソロでいたのは「いつか還るかもしれない」からだ。
自分が抜ける前提なのにパーティを組んだら迷惑がかかると思ったのだろう。決してコミュ障でもぼっちが落ち着くからでも、人とのかかわりが面倒だからでも童貞なせいでもない。たぶん違う。いや、童貞ではあるのだが、それはいいとして。
「さて、最後の準備に取りかかりますか! どうか還れますように!」
サトルがダンジョンに潜りはじめたのは「踏破すると異界に繋がる」という情報を得たからだ。
集めた情報の中で唯一、還れる可能性を感じたのはそれだけだった。
「だいたい、俺はソロだけどソロじゃないしね!」
サトルが立ち上がる。
と、ダンジョンボスがいるはずの広間を覗き込んでいた男がサトルに近づいてきた。
左腕には固定された円盾をつけ、右手には長さ1メートルほどの棍棒を持っている。金属で強化された棍棒は、あるいは「金砕棒」と呼ぶべきだろうか。
濃いブラウンの革鎧、厚手のマントは野営時の寝具代わりでもある。
サトルとまったく同じ格好をした男。
「オレイチ、中はどうだった?」
「やっぱりダンジョン最深部っぽい。敵は身長3メートルほどで一体。予想通り昆虫系、ベースは蟻っぽかったよ、俺」
格好だけではなく、顔も瓜二つだ。
まるで、双子のように。
「よし。じゃあ予定通り10人でいくか」
「もっと増やさなくていいのか? いくらレベル47っていっても、過去の踏破者はレベル60台だったんだろ?」
「敵が大型じゃないなら、あんまり人数を増やしても意味ないだろう」
「たしかに。まあそこは俺に任せるよ。デメリットもあるし」
「そいうこと。んじゃ、やりますか」
そっくりな二人が言葉を交わす。
もしサトルを知る者が見ても、どちらがサトルか見分けられなかったことだろう。
なにしろ、二人ともサトルなのだから。
「分身の術ッ!」
手で印を結ぶサトル。
と、サトルが増えた。
二人だったサトルが、10人に。
スキル【分身術】の効果である。
増えたサトルも本体のサトルと同じ格好をしている。
ちなみに手で印を結ぶ必要はない。厨二病の残滓である。
「これほんとチートスキルだよなあ。【分身術】スキル持ちは俺だけらしいし、固有スキルなのかも」
「だいたい装備も同じってのがチートだよね俺!」
「これで俺が持ってるポーションやお金も増えればなあ。一生遊んで暮らせたのね、俺サン」
「出所不明の武器や防具は盗難品を疑われるからなあ。なかなか難しいね、オレニー」
「ほらほら、喋ってないで行くぞ。作戦はわかってるな、俺たち?」
「当たり前だろ、俺を誰だと思ってんだ。俺だぞオレジュー?」
静かだったダンジョン最深部がにわかに騒がしくなる。
サトル一人しかいないとも言えるし、10人の冒険者がいるとも言えるだろう。
「さあ行くぞ俺たち! ダンジョンボスを倒して、元の世界に還るんだ!」
サトルの号令に、サトルたちが「おう!」と応える。
孫乃 悟、現在20歳。
わずか2年でレベル47まで上げたソロ冒険者が、ダンジョンボスに挑む。