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5 馬鹿と勇気の交差点

 十九時二十三分


 一人店を出た長江恭平は、雑楽坂を呑田橋方面へと下るスーツ達の後頭部を暫く見つめ、踵を返して歩き出した。

 てくてくと坂を上りスーパーの前を通り過ぎた足はだんだんと速度を落とし、やがてぴたりと足が止まった。


 ――学校では絶対に話しかけるなよ。


 何だろう。少し残念なのは。何故だろう、少し悔しいのは。

 分かっている。答えなんて。

 もっとかんざしさんと喋りたかった。もう少し、あと少しで良いから、あの人に面白い奴だと認識されたかった。認められてみたかった。

それから、それから――。


 ――ああ、本当は、俺。


『……何でも無い』と溜息を吐きながら夜に向かって顔を上げた瞬間、それがぱしゃりと顔に当たった。


「うわ……っ」


 うめき声と共に剥がしたその紙を――その宣伝用紙に書かれていた文面を見た恭平は、大きく溜息を吐いて爆発的に走り出した。


 デート中のカップルや会社帰りのサラリーマン、それからきっと近所の人。名前も知らない人達の間を不格好なフォームですり抜けて、自転車の脇を疾走し、勾配のきつい坂道を全速力以上のスピードで下る下る。


 探せ。間に合え。知ってるんだ。分かってんだ。だって、本当は、俺――。

 それでもきっと、長江恭平と言う人間は。今を逃したら、多分二度と。今夜にでも言い訳を重ね始めて。明日の朝には絶対に、こんな気持ちではいられなくなっているはずだから。こういう気持ちを、この熱さを、斜めに見ている人間だから。


 だから、今。


 今、言わなきゃ。今追いつけなかったら、意味が無いんだ。

 走る。坂を下って。人の間を、漫画みたいに足を回転させながら。

 出来る。あの人となら。自分一人じゃできない事が。絶対に。

 予感がする。熱がある。自分の中の腐りかけたゴミが燃える様な熱が。

 だから、言う。言わなきゃ、多分、駄目なんだ。

 言うんだ! 言わなけりゃ、学校行って寝るだけの明日がまたやってくる。明日の明日も明日の明後日も。金魚の糞みたいな生活が、また。

 ああ違う。そうじゃない。嘘を吐くな。それが嫌なんじゃ無い。やりたいんだ。

 お前は、多分、今、やってみたいことがあるんだから。

 だから、ほら! 言えよ、お前! 今、吼えろ!


「かんざしさああああああああんっ!」


 交差点でスマホをいじいじしている背中に向けて、肉屋の前から大声を張り上げて。


「なっ!? ナガッ!? な、し、死んだはずじゃっ!?」


 動揺しまくるクラスメイトに飛びかかるようにして、その柔らかな手にグワシと紙を握らせる。


「生きてるっ! 生きてるから、ラジオ! やろうっ! 俺と、君でっ!」

「ラ、ラ、ララララジオ? 私が?」


 訳が分からず目を白黒させる彼女に何度も頷き。


「そう! ラジオ! 学校じゃ絶対話しかけない! 約束する! だから、これで、ラジオをやろう! お願いだ! 俺とラジオをやって下さい!」


 強引に彼女の前に商店街ラジオの募集紙を突き出して、無理矢理に視界に入らせる。


「こ、公式? い、いや……で、でも、だな……私は」


 完全に面食らった小柄な少女に、ざわつく周囲の視線が集まった。信号待ちの暇を持て余した人たちは情熱的な若い男女になんだなんだと下世話な視線を向けてくる。


 どうですみなさん。おかしい奴ですか? 恥ずかしい馬鹿ですか? 俺もそう思います。きっと今夜の満月のせいでしょう。


「ちょっ……いや、待て待て待て、だから、私は……」

「お願いしますっ! かんざしさんっ! 俺は、君とやってみたいんだっ! かんざしさんっ!」

「だーーーーっ馬鹿っ! わ、わかった、わかったから離せっ! っていうか、私をその名でよぶんじゃなああいっ!」


 顔面を思いっきり突き飛ばされて地面に転がった恭平の爪先の向こうを、真っ赤になった尾張ユリカが走り去っていく。


「や……ったぁ」


 一人取り残された少年の周りでがやがやと騒ぐ人達の中、恭平が天に向かって拳を突き上げると、人垣は何故か暖かな拍手で包まれた。


 家に帰った後かんざし一筋三十年さんのツイッターを覗いてみると、《今日は男子に話しかけられた。シャツの上から乳首の位置が分かるタイプの》と書かれていて、ベッドの上で乳首を押さえて少し泣いた。


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