めんどくせえなと彼は思った
「さて、これが契約書類一式だ。よく読んでおいてくれ」
「……すでに鈍器じゃん」
どさっと置かれた紙の固まりを見て御影は戦慄した。
広辞苑ほどはあるだろうか。
いや、一枚一枚は広辞苑ほどには薄くないためページ数はそんなでもないのだろうが。
このレベルの紙束もらって嬉しいのは札束の時だけである。
「いや、しょうがないんだよ。僕の権能が契約じゃん? 契約したことは無理矢理履行させられるじゃん? そうなるとどうしても契約書の隅をつつきたくなる人はいるんだよねえ。で、書き足し書き足しする事三千人の結果がこれ」
「迷惑な……」
「そして、こっちがそんなあなたのための『よく分かる契約書ガイド』と入居予定の住宅の見取り図と生活ルール。あと暫定シフト表と生活空間の地図とあとそれから……色々?」
ドサドサドサドサドサ!!
山であった。
「……デジタル化するとかデータベース化するとかいう知恵はないのか?」
「法律関係の巻子本を冊子本にしたのが数少ない僕の功績なんだよ? 紙冊子にこだわりたいじゃないか」
「ちっせえ功績だなあ……」
「あと僕には契約関係の書類一式をいくらでも作り出せるという能力があってね。契約書として使わないとすぐ消えちゃうんだけど」
「ちっせえ……むしろ器がちっせえ」
「最小の二語神と呼んでくれたまえ」
えへんと胸をはるリューイ。
威張ることじゃねえだろ。
それはさておき。
面接の後、俺とリューイは部屋に、先輩方はエルードに戻った。
高天原とやらには余り長居はできないらしい。
まあ、俺の部屋戻ってもなにもないんだが。
家具に類するモノは布団一式と勉強机だけなので床に直座りである。
「実際、僕は人気なかったからね。強い人には特に人気なかった」
「あー……」
契約と立身出世の神である。
既得権益を持つ者には目障りで仕方ないだろう。
「熱心に信仰してくれて出世街道ひた走っていたような子ほど僕のこと目の敵にするからねえ……。おかげで僕が主神になった瞬間エルードの勇者みんな逃げちゃった」
「……そもそもなんであんたが主神に?」
「一語神全柱と二語神のほぼ全てが邪神の攻撃で休眠状態になっちゃってね。動ける二語神が僕しかいなくなっちゃって……」
「怪しさ全開だなあ!?」
それは逃げる。
だって、ものすごく怪しい。
窓際の二語神。邪神の侵攻。一人だけ生き残り。
スリーストライクバッターアウトである。
「いやだって、僕野良犬に負けるぐらい弱いから戦場連れてってもらえなくて留守番してたんだよ」
「そうやってアリバイを作って……」
「つーかぶっちゃけ主神になっても特に良いことはなにもないからね? ハーレムどころか未だに僕童貞だからね?」
「…………それは生前から?」
「300年間キヨラカに生きてますともええ!!」
うわあ……、と一瞬思ったものの。
冷静に考えれば俺もそのルートだった。
住所不定無職に色恋沙汰などある訳ないのだ。
「あ、それで思い出したけど――不純同性交遊は絶対ダメだからね?」
「…………いや、別にそういう趣味はないけど」
「いや、趣味云々の話じゃなくてさあ……来てみれば分かるけど生殖行為と求愛行動のバリエーションって恐ろしく幅広いからねえ。 豊蘆原基本粘膜接触でしょ? 相手によっては即死もあり得るから」
「……マジで?」
と言ったものの。
そりゃまあ、世界が違ったらそれぐらいはあり得るか。
体液の成分、保有する菌の構成……地雷はいくらでもあるだろう。
しかし、現実は俺の想像の遙か上を行った。
「例えばイヨル君とか卵生だし」
「マジで!?」
「デフォル人は卵生だよ。確か312中90くらいの世界が卵生人類だったはず」
「……え、マジで卵で生まれんの?」
うんとリューイは頷いた。
「卵生は卵生で良いとこあるからね。卵生んだら母親がフリーになるとか、父親が卵の世話に積極的に関われるとか。そもそもトカゲや鳥から進化した人類なら卵生が基本だし」
「マジかあ……」
「あとは血液そのものを流し込むとか、腕一本切り落としてそれを食べるとか……まあ色々?」
「……」
最早絶句である。
いや、「男しかいない」って時点で有性生殖なのは確定なので、なにがしかの方法で遺伝情報を交換しなければならないのだが……。
え、普通に減数分裂して生殖細胞作るのってそんなにレアなの?
「遺伝情報の伝達に魔力が関わらないのは僕が召還した中じゃ豊蘆原人だけだしね。正直美人なお兄さんだ~ってキャッキャウフフして命がある保証はどこにもないと思いたまえ」
「……はい、気を付けます」
「ガランからきた勇者はジャイニーブ君の義弟でもふ狐耳の美少年だけど手出ししたらダメだからね?」
「はい、気を付けます」
「もふるのもダメだからね?」
「…………………………………………はい、気を付けます」
「いや、そんなこの世の終わりみたいな顔されても困るよ!!」
だって、狐耳もふりてえよ!!
美少年はどうでもいいけど狐耳はもふりてえよ!!
ジャイニーブさんの義弟だろ!? もふもふに決まってるじゃねえか!!
「いや、彼はガラン世界屈指の毒使いだからね? 迂闊に触ったら死ぬからね?」
「なんて残酷な運命なんだ……」
もふもふを目の前にしながらもふれななんて……。
俺は何のために生きているんだろうか……。
「とにかく!!」
うなだれた俺の頭をはたいてリューイは言う。
「異世界人との迂闊な接触は自殺行為と知りたまえ」
「……はい、気を付けます」
「食器もジャイニーブ君やイヨル君とは絶対分けてね? 君はもちろん二人の命もかかってるんで」
「……はい、気を付けます」
「そういうわけでトイレは水洗じゃないんで気を付けて」
「はいい!?」
さらっととんでもない発言が飛び出したぞおい!!
え、くみ取り? くみ取りなの? いやその方が不衛生だろ!?
「排泄物は基本乾燥させて焼却処理。当人にとっては単なる善玉菌でもよその世界の人間からしてみれば致死性の病原体である可能性もあるからね。それ専用の安全快適な魔法トイレを総力を上げて作りました」
「ご、ご苦労様です」
「シャワーも五日に一回ね。多分中日になると思うけど」
「それは大丈夫」
住所不定無職をなめてはいけない。
五日に一回ならむしろ多い方だ。
週末に帰れることを考えれば三日に一回。十分すぎる。
しかし、なんだなあ……。
皿洗うだけかと思いきや色々とややこしいな異世界……。
「そして、そのあたりの事をまとめた冊子がこちらになります」
「まだあんのかよ……」
「あと、一回契約前にエルード来てもらうから」
「は!?」
え、いいの? それありなの?
「いや、こっちもやりたくないんだけど……御影君治癒魔法も通じないわけだろう? 怪我したときの対策を練りたいから健康診断と採血を受けて欲しいんだよね。健康診断はともかく採血は世界越えたときに成分変わらないとも限らないし……」
「め、めんどくせえな……」
つい本音が出てしまった……。
しかし、なんだな。
ラノベとかで「有無をいわさず異世界に拉致」みたいな展開をよく見るけど……これはもう拉致っちゃえってなるわ。めんどくさすぎる。
召還される方もする方も両方めんどくせえよ。
大変なんだなあ……異世界召還。
「安心してくれたまえ。伊達や酔狂で小役人から二語神に成り上がった訳ではないさ。この程度の面倒くささ屁でもないね!!」
「……」
小役人。
リューイは確かにそういった。
事務処理が得意な神、魔法の使えない神、だとも聞いている。
なによりもーー戦えない神。
必然のようにわき出る疑問。
――一体コイツは何で神になったんだ?
しかし。
御影がそれを口にすることはなかった。
空気を読んだとか、自主的に規制したとかそんなことはこの男に限っては全くない。
基本自分のことしか考えない自己中男である。
言わなかった理由は単純明快。
「……お茶の場所とポットの使い方教えましたよね? なんでお茶の一つも出してないんですか?」
そんな言葉ともに。
大層お怒りになったくうさんがお帰りになったからである。