友達って何だっけと彼は思った
諸説あるが稲荷神とはお米の神である。
天照大神が偉大なる太陽神であるように偉大なる食物神であるのが稲荷神こと倉稲魂神である。
ではある。
ではあるのだが。
ぶっちゃけ、農家ってそんなにいなくね?問題と言うのがある。
例えばそう、江戸――東京。
江戸時代にはすでに百万都市だった大都会。
現在御影が暮らす新宿の町並みの中にも多くのお稲荷様を見ることが出来る。
が、あれらのほとんどは新宿で農業が盛んだった頃に出来たわけではないのだ。
例えばそれは商売繁盛だったり、家内安全だったり、火の用心だったり、そういった諸々を祈願して作られたものなのだ。
というか江戸の町の稲荷なんて大体そんなもんである。
いや、新宿を江戸の町扱いにしていいのかという問題はあるが。
稲荷神はお米の神様だ。
それは揺るがしようのない大前提だ。
だが、それはそれとして――商業の盛んな地で商売繁盛を祈られれば。
やはりそれは無視は出来ない。
人の祈りは神の有り様を変えてしまう。
それもまた霊的存在――認識を基盤とする者たちのルールである。
* * *
「ほい、ゴン」
「ぎゃ!!」
御影は小さな手桶ですくった水をばしゃっとゴンに向けてぶっかける。
いや、御影の体力的に五メートル飛ばなくてあえなく手前の地面を濡らすことになったのだが。
「うーん、もうちょっとか……」
「だいぶ体力ついてきたよなあ……」
体力向上は御影の大きなテーマである。
皿を洗うにしろ、家を探すにしろ必要なのが体力。
ちょこちょこちょこちょこ鍛えてはいるのだ。
「もっと体力ついたらどっか行こうぜ」
「いや、お前戦争してるって忘れてるだろ……」
げんなりするゴンを横目で見ながら御影は思う。
友達ってなんだっけ、と。
* * *
つまりは。
御影の認識によるゴンの変質をリューイはもくろんだ訳である。
霊的存在が信者の信仰認識によって変化することが避けられない以上、そして現状ゴンに一番多くの認識を注いでいるのが御影である以上、ゴンは御影の認識の影響をもろに受ける。
すなわち御影が「ゴンは弱い」「ゴンは味方」「ゴンはヘタレ」――「ゴンは友達」とか思えば思うほどゴンはそうならざるを得なくなっていく。
ていうかもうだいぶそうなっている。
ゴンの側の誤算としては祓魔結界の強度だろう。
遺伝子単位で引きこもりな豊蘆原をなめてはいけない。
あれにより御影との初対面がものすごいヘタレたものになってしまった。
この第一印象はかなりの失策と言っていい。
リューイ側の誤算としてはゴンがかなり独立性の高い個体で御影の認識の影響がゴンのみに留まっていることか。
これが邪神本体にまで波及するのなら――それだけで勝ちもあり得たのだが。
そして御影側の誤算としては。
まさかこんなところで「邪神と友達になれ」と言われるとは思ってもみなかったことか。
年齢=友達いない歴の門上御影、友達の作り方など全く知らない。
悲しすぎる現実を前に御影は内心うーんと首を傾げるのだった。
* * *
さて。
友達とはなんであったか。
とりあえず「友達=一緒にどっか行く」という安直な構図をもって遊びの誘いをかけたもののあっさり断られた御影、結構焦っていた。
じゃあ、友達ってなにするんだ? と思う御影の背後で足音。
「……っと、ここでお別れか」
「おう、またな」
そう言って、消えたゴンと入れ替わりにガンソン邸から現れたのはイヨルさんとジャイニーブさん。
ゴンは頑なにこの二人の前には姿を現さない。
「また、出たのかよ」
「ふむ……弱まった割にステルス性がみじんも衰えないな」
そんな会話を背景に。
御影は一人思うのだった。
またな、とかめっちゃ友達っぽくね!?
……まあ、なんというか。
これが友達いない歴=年齢であったとさ。




