諭しても意味は無いのだと、
「どうしてセックスが気持ちいいか、知っているかい?」
紫煙を吐き出しながらマダムが問うた。馬鹿らしい質問だ。答える気もなく黙っていると、おれを気にした風もなく彼女は微笑む。
「愛は気持ちのいいものと錯覚させるためだよ」
それはあなたの持論でしょうと、思ったがおれは口にはしない。どこか遠くを見つめる彼女の邪魔をしたくなかったのもあるし、口答えを論破されたらと柄にもなく恐れたからでもある。
「人は愚かしいね。着飾った人形を愛でるのが好きな輩もいれば、激しく虐げられて喜ぶ輩もいる。お前も知っているだろうよ。それを満たすのがここだものね。だけどねぇベロニカ。一番可哀想なのはね、愛を求める者さ」
ベロニカとはおれの名だ。マダムは男だろうが女だろうが、拾った者には必ず花の名前を付けた。彼女が息を細く吐く。シガーの匂いが微かに苦い。
「愛されたいとか愛したいとかね。自分の求めるものが何かも知らずに、ただそれが心地よいものとだけ盲信するのさ。ああ、神様は全く意地悪だよ。ねぇ、ベロニカ、そうは思わないかい? 人に快楽を与えて溺れさせてね。特に愛を求める者をね」
貴女もそうだったのですか。そう聞こうとしてやめた。少なくとも彼女にとっては過去の話に成り果てているに違いない。
マダムの目がおれを捉える。おれを捨てた母とおそらく同じ年の程の彼女には、いたいけな少女の面影はもはや無かった。おれの知らない時代で、愛を求めたのだろう哀れな少女の面影は。
ついと彼女が目を細める。
「ベロニカ。よく似合っているよ」
「当たり前でしょうよ、マダム。貴女が選んだのだから」
欲にまみれた男たちへ提供する“花”を美しく飾るのに、彼女に勝る者はいない。腕にまとわりつく上質な絹が少しだけ鬱陶しい。今からおれは“女”になる。
口の中で笑い声を立てて、彼女は言った。
「期待しすぎてはいけないのさ、分かっておくれよ、ベロニカ」
辛うじて頷いて、おれはマダムの部屋を後にする。
マダム、それは、かつておれと同じだった貴女からの助言ですか。
問えなかった言葉をゆっくりと飲み下す。気づいた。ここは男たちの欲望を満たす場所では無いのだ。
「だけどね、マダム、知っているはずだ。愛への期待など、そう簡単には捨てられない」
だから貴女の手元には、ほら、まだそんなにもたくさんの“花”がある。
しかしそれも、考えても仕方の無いことだ。大きく息を吸い込む。シガーの移り香が、相変わらず苦い。