PH-079 生体電脳
投光器の点灯間隔の限界はどうしても秒単位になってしまう。
画像データ転送を何度も繰返しているのだが、まだ有意な反応が返ってこない。待っている間に、LEDライトを使って情報伝達速度を速める改造をエリーが後部席で始めたようだ。その間、俺が操縦席、サリーネが助手席に座っている。
多機能センサーを使った情報収集は一段落したようだ。
熱水の噴出時の温度は67度で一定だし、温水の成分は硫黄分を多少含んでいるが、硫化水素を発生するまでには至っていない。酸素濃度は外気と同じだ。
気温は32度近く、湿度が100%だから、外にでるとかなり暑く感じるだろうな。
「できたよ! これを携帯端末の出力に差し込んで、ケーブるで外に出せば良いんだけど……」
「外部活動は可能だ。俺が作業するがどうすればいいんだ?」
「多機能センサーの増設センサー用コネクタにこのケーブルを接続すれば、機内から制御出来るよ。ライトの向きはテープで固定するしか方法がないけど」
LEDライトとビニルテープを持ってアルゴの上部ハッチから屋根に上がる。俺達の動きを知ってクラゲの発光が少し変わったようだが、その外に変化はない。
伸縮ポールの上部に付けられた直径30cm程の円盤状の物体が多機能センサーの集合体だ。下部に設けられたコネクタの防水キャップを外して、LEDライトのケーブルコネクタを接続する。
バングルを使ってエリーに終了を告げたところで、タバコを取り出し火を点けた。
ずっと、機内だったからな。数分の気晴らしは次の作業を開始する上で、是非とも必要だ。
このホールにいる生物は目の前のクラゲだけだ。この洞窟もこいつが作ったんだろうか? 熱水の噴出量とこのホールの環境条件は、あまりにも都合が良すぎないか?
だが、この大きさでしかも土木工事が出来るような姿には見えないんだよな。
10分も機外にいないのだが、体はじっとりと汗をかいている。
吸い殻をバッグの携帯灰皿に入れて、早めに機内に入ることにした。
「どうだ?」
「やはり、LEDは良いよね。高速でアルゴの電脳とコンタクトの為のコードを模索しているみたいだよ」
「しばらくはこの状態が続きそうだな。エリーとリネア達は休んで良いぞ。俺が起きてる。何か変化があれば起こしてあげるよ」
エリー達はシートを倒して横になる。
コーヒーを作り、席の左にあるホルダーに置いといて、仮想スクリーンを整理する。表示しているのは、周囲の動体センサーと電脳の活動状況、それに相互の信号のやり取りを示す交信の内容だ。
意味不明な文字記号と数字の羅列が互いに繰り返されているな。
不意に、仮想スクリーンが開き、砦からの文面が表示される。優秀な電脳は多重作業を無理なくこなしているようだ。
その内容は、『状況報告を待つ』とある。
これだけの、内容でも微弱信号だとノイズから掘り出すのに時間が掛かるみたいだな。
『アルゴの電脳を介して意思疎通を模索中』と入力して送り返す。
眠気覚ましに、コーヒーをもう一杯飲んでいる時だ。相互の数字と文字記号がかなり一致していることに気が付いた。
これが一致した時に俺達は意思を通わせることが出来るのだろうか?
相互の信号の一致率をパーセントで比較すると、現在で60%ぐらいだが、数字が少しずつ上昇している。
このままいけば、1時間も経たぬ内に100%になるんじゃないかな。
刻々と上昇する数字をひたすら眺める。すでに80%を越えている。交わされる信号も、数字が少なくなり文字列が増えてきたようだ。
だが、クラゲと人間ではかなり進化系統が異なる筈だ。分類学上では種族どころか『門』の区分で異なるぞ。その両者が互いを認めることが出来るのだろうか?
信号の一致率は90%を越えはじめた。当初のクラゲの発行色は薄い緑だったのだが、今では色んな色に発光している。あの発行色も意味があるんだろうな。
そろそろエリーを起こしてみるか。3時間ほど経ったから、少しは休めただろう。
エリーを揺り動かして声を掛けると、直ぐに目を開いた。
慌てて前方のクラゲを見ているけど、何かあったのかな?
「よかった。夢だと思ってたの。リネア達も起こすね」
「そうしてくれ。電脳とクラゲ間で交わされる信号の一致率が現在96%だ。これが100%になったら、どうなるんだ?」
俺の質問に、「ちょっと待って!」と後ろで答えてる。何かしてるのかな?
やがてコーヒーのカップを持ってエリーが操縦席に戻って来た。3人でコーヒーを作ってたみたいだな。
「互いの価値判断がどこまで通用するか分からないけど、意思を伝えられるんじゃないかな?」
「曖昧だな?」
「だって、相手は全く未知の生物だよ。この世界の住人との意思疎通とは全く異なるんじゃないかな」
エリーもあまり期待していないようだ。
まあ、挨拶ができて、互いに敵対する意思がなければそれで十分な気がするな。
「互いの交信信号が一致したみたい。何て、話しかけてみようか?」
「そうだな。『こんにちは』の次に俺達の名を告げてくれ」
エリーが仮想キーボードを使って挨拶文を作っている。それが終ったところでエンターキーを押すと、俺達は成り行きを見守ることにした。
すでにアルゴの機内照明まで消している。このホールを照らすのは、天井と壁面に群生した発光キノコとクラゲの生体発光、それにアルゴの多目的サンサーの支柱に取付けたLEDライトだけだ。
エリーの送った信号は3秒にも未たない点灯だった。
信号を受けたクラゲは自らの発光を抑えているように見えたが、俺達の方向に向かって触手の先端を向けると、その先端部分を発光させた。
「返事が来たよ。『歓迎。敵対行為は無用。我はゾア0101。グレモナスの生体電脳を祖とする』。……名前はゾアってことだね。グレモナスは分からないけど」
「あの残骸がそうなんじゃないかな。あれだけの量なら、ヤグートⅢの10倍はありそうだぞ。古代文明が栄えていたかどうかは分からないが、宇宙からの来訪者の末裔という感じだな。交信記録は砦に送ってくれ。相手に敵意がなければ、おしゃべりするだけでも色んな情報が分かるはずだ」
俺の言葉に、エリーが喜んでキーボードを叩き出した。
会話記録は俺の目の前の仮想スクリーンにも映し出されるから、話の流れが分かる。
最初はエリーからの一方的な質問に答えていたが、途中からはクラゲからの質問が混じり始める。
エリーの答えに、すぐに反応して次の質問が来るのもおもしろい。表示された文字の内容だけをみると、異文化をバックボーンとした人間同士の会話に思える。かなり高度な思考をもった知性体に思えるな。
クラゲの神経結合を人工的に結び付けた電脳ならば、その神経ネットワークは製作者達の脳の神経結合を模しているはずだ。目の前のクラゲにはその文化を何らかの記録として持っているのだろう。
グレモナスというのが大型宇宙船で、クラゲの下にある残骸がグレモナスの調査艇である事が分かったぞ。
会話記録はリネアが次々と砦に伝送している。レブナン博士とレミ姉さんが食い入るように俺達の情報をみてるんだろうな。
あれから何も言って来ないところをみると、俺達のコンタクトに大きな問題はないということだろう。
それにしても、生体電脳とはとんでもない科学力だ。レブナン博士達はそれを夢見て俺達を使った実験を行ったに違いない。
推論能力を電子工学的に行わせるプログラムがどこまで可能かということもあるのだろう。ゾアの場合は生体を自ら構成する過程で神経節のネットワーク化を行ったんだろうな。
すでに出来上がった状態で新たな仕事を負わせることに俺の脳がどこまで追従したかは分からないが、意識を保った人間よりは少しは上ぐらいだったろうな。そんな作業に特化してしまったら俺は意識を回復しなかったはずだ。
ゾアの情報も少しずつ分かってきた。
どうやら、最初からこの大きさではなかったらしい。調査機で恐竜から逃れてこの洞窟に逃げ込んだところを大型恐竜に破壊され、調査機から逃れたゾアが成長して現在の大きさとなったようだ。周囲を見ることもできるらしいが、いったいどこに目があるんだ?
エリーの問い掛けに興味を持ったらしく、質問を拒否することはないのだが、俺達の情報を教えるのには苦労する。最初はアルゴを1つの生命体と考えていたようだ。ゾアが調査機の電脳として積み込まれていなければ、アルゴの中の俺達を認識することは難しかっただろうな。
調査機に乗っていた人類? は俺達とそれ程大きな違いは無かったようだな。身長が2mで2つの目を持ち、酸素呼吸生物という事だ。左右対称の腕と足を持っているのも同じではあるが、果たしてどれ位俺達に似ているかは分からない。
そんな中、ゾアからの要望が送られてきた。何と、外に出たいとのことだが、それは理解できるな。こんな洞窟の奥では時間の経過さえ分からなくなってしまう。
とはいえ、途中のトンネルをゾアが通るのはいくらクラゲでも物理的に無理だぞ。
「エリー、トンネルの大きさがゾアに合わないと伝えてくれ」
「分かった。大きいものね。確かに無理だよ」
だが。ゾアから帰って来た返事は俺達の意表をついていた。
体の一部を持って行けという事らしい。それが新たなゾアとなるという事だ。だが、それだと、元のゾアが外に出る事にはならないんじゃないか?
次に送られてきた体の1部の大きさに驚いてしまった。直径が3m程になりそうだ。
「現状では無理だな。次にやってきた時に持ち帰ると伝えてくれないか?」
「了解。でないとエリー達が外に出ないといけないもんね」
運送容器と、その間の生命維持に関してはレブナン博士に任せよう。俺にはちょっと荷が重いからな。
ゾアも了解したようだ。今まで待ったんだから、もう少し待つのは問題ないって事だろうな。
再度訪問することを伝えると、俺達は急いで砦に戻ることにした。
途中のホールでキノコや地衣類を集めながら進むのだが、恐竜がホールの奥に見え隠れしているのが動体センサーで分かる。種類までは特定できなかったが、だいぶいるようだぞ。