PH-075 北の池
一夜明けて、昨日の吹雪が嘘のように天気が良い。たぶん青空なんだろうが、この場所は氷片は立ち込めているから青空を直接見ることはできない。
それでも、上空の氷片がキラキラと輝いているから、眩しく感じる。
ビスケットと暖かい飲み物と言う代わり映えしない食事を取って、俺達は調査を始めることにした。
リノアが仮想スクリーンを拡大して周辺の状況を確認している。サリーネは先ほど本日第1回目の交信を完了したところだ。
「エリー、出発だ!」
「了解。ゆっくり行くよ」
雪をスクリューが噛むギシギシと言う音だけが室内に伝わって来る。速度は人が歩く程度だ。20分もしないで池に出るんじゃないかな?
氷片の濃度が薄まって来たかと思った時、俺達の前方に池が現れた。
池と言うよりも小さな湖に見えるな。水面から湯気が上がっているから対岸がみえなことも湖に見える理由なんだろう。
ゆっくりと池の手前まで近づき、エリーはアルゴを停める。
停まった場所から池までは3mもない。格納式のマジックハンドを伸ばして、センサーの付いた先端部を池に浸ける。
「温度は37度。若干酸性だな。酷くはないぞ。硫黄温泉よりは遥かにマシだ」
「気温は6度に上昇してるにゃ」
池の畔が緑のドーナツのような感じに1m程のベルトを作っている。ちょっと元気が無い緑なのは気温が低いからなんだろうけど、この季節の緑は珍しいだろうな。
よく見ると、草原の草とは種類が異なっているようだ。アナライザーで確認すると、この世界の他の草とは明らかに異なる。数種類を纏めて引き抜いて中型シリンダーに納める。
「どうするの?」
「そうだな……。池を一周してから入ってみよう」
エリーに伝えておいて、記録映像の撮影を開始した。
池の手前10m程には立木が全くない。そんな事から池から数m離れると深い雪原だ。アルゴは比較的雪が深くない場所を選びながら進んで行く。
緑のベルトを構成する草丈は10cmも無い。ピンと張ってもそれ位なんだろう。珍しい草ではあるが代わり映えしないようにも見えるな。
そんな中、池に波紋が浮かんだ。何か棲んでいるのだろうか? 水温は温泉にしては低いけど、外から比べれば天国だからな。
「一周したよ。あまり変化はないよね。北に小川が流れてたけど、水温を比べると、池に温泉が湧いてると思うよ」
「そうだな。小川の温度は18度だったからな。池から南に流れる小川の水温の方が遥かに高かったぞ」
南の小川の温度は16℃。やはりエリーの言う通りなんだろう。だが、そうなれば北の洞窟内の温度はかなり高いことになるんじゃないのか?
恐竜が越冬しているというのは本当なのかも知れないな。
池を一周したところで、一旦休憩を取る。
周囲に動体反応が無いことを確認してアルゴの屋根のハッチを開けて、一服を楽しんだ。気温は低いけど、簡易防寒服を着ているからそれ程寒く感じないな。風が無いせいなのかも知れない。
一服を終えて機内に戻ると、3人が仮想スクリーンを拡大して眺めている。池を見ているようだが、何か見つけたんだろうか?
「何かいたのか?」
「小さいのがいたの。何か分からなかったけど、目が2つ浮かんでた」
小さくて目が2つ? 色々考えられそうだが、それを確認する方法はただ1つだな。
「せっかく来たんだ。レブナン博士にお土産を持って帰らないとね。エリー、出掛けるぞ!」
「このまま、池にドボンで良いんだよね?」
「それで良い。池を周回しながら中心に向かってくれ。水底の地図を作る」
グンっと横を押されるような体感がして、アルゴが池を正面にする。ザザザーと祝竜が回転を始めると、アルゴは池に入って行った。
「機体の三分の二が水面に出てるよ。これ以上は沈まないと思う。機内に水漏れなし。水底の調査を開始するね」
歩く程度の速度で水面を時計回りに移動する。3次元ソナーで水底をスキャンしながら進めば池の立体地図ができるはずだ。
2周目に入ると、仮想スクリーンに水底の状況が映し出されてきた。平凡な池に見えるな。水中を映しているカメラの映像も隣に新たな仮想スクリーンを作って映し出す。
ゆらゆらと揺れている水草は緑だけではない。茶色や黒まであるぞ。あれを持って帰ろうか……。
その時、突然機体が揺れた。一度だけで済んだのだが、何かにぶつかったような感じだな。
「反応が直ぐ真横に出て消えたにゃ!」
リノアが教えてくれたものはいったい何だったんだろう?
「引き続き監視してくれ」
そう答えると、水中カメラの画像を前方だけでなく、四方を映し出すようにカメラレンズを修正する。
4方向同時なら、さっきの攻撃の主が分かるだろう。
小さな魚の群れがカメラの前を通り過ぎる。たぶん10cmに満たない魚だろう。そんな魚の群れを50cm程の大きな口を持った魚が追い掛けて食いついている。
あの大きな口の魚が、この池の頂点なんだろうか?
そんな思いで映像を見ていると、水底に近付いた魚が突然消えた。
水底の泥が跳ねあがって濁りを作っているから、擬態した生物があの魚を食べたのだろう。とはいえ、さっきの機体への衝撃を与えたやつとは思えないな。もっと大きな奴がいるに違いない。
三周目に入った時だ。突然後方で固定の泥が沸きたち、何かが突き出された。その先にはアンコウのような大きな口を持った魚が突き刺さっている。ゆっくりと触手のようなものが泥で視界が悪くなった水底に沈んでいく。
「後ろに反応にゃ。でも直ぐに消えたにゃ……」
「どうやら、正体が分かったよ。水底の泥の中に棲んでるようだ。触手を持ってるけど、あまりしなやかじゃなかったな。固い感じの触手だ。その先に大きな口をした動きの良くない魚が刺されていたぞ」
何だろう? 軟体動物と言うよりは、甲殻類に近い気がするな。
捕まえる方法はいろいろあるから、今はそんなのが棲んでいるという情報だけで良いだろう。
段々と周回が重なるにつれ、水底の状況も分かって来た。水面下1mの水温データも一緒だから、昼食前に温泉の噴き出し口は分かるだろうな。
どうやら、この池には両生類も棲んでいるらしい。リノアの告げた緊急警報で、接近する動体をカメラで確認したら、大きなサンショウウオがいた。長さは2m近い。その他にも、10種類ほどの動物や魚類を確認したところで、池の中で昼食を取る。
水中カメラが捉えた映像を確認し合い。温泉の噴き出し口を眺める。ほとんど池の中心部だ。水深10m程のところにある砂原が沸き立つようにして温水を吐き出していた。
温泉の噴き出し口付近にはまるで水草が生えていないが、10m程離れた場所から水草が一面に水底を覆っている。大きな恐竜の骨まで見えたが、どんなことで池の中で命を落したかについては分からなかった。
池の地図ができたところで、手当り次第に水草の標本を集めて回る。
シリンダーを全て標本で満たしたところで、俺達は池を後にした。比較的浅い場所を探して池から出ると雪の森に進んで行く。
数km離れたところで、アルゴを停めると、今日の調査を終了した。
簡単な食事を済ませると、サリーネが砦に長い交信を始める。語尾に「にゃ」が付くけど、慣れればおもしろく感じるな。
砦のレミ姉さんもにこにこしながら聞いてる姿を簡単に想像できるぞ。
周囲に異常が無いことをリノアに確認して貰い、アルゴの屋根でタバコを楽しむ。池の傍と違って、森の中は寒さが堪えるな。早々に機内に引き上げて暖房の出口で体を温める事にした。
「かなり変わった池だったよね」
「ああ、温泉だけど、あそこに入るのは問題だな。大サンショウウオはともかく、「あの姿を見せない生物が気になるところだ。植生はかなり豊かだから、この冬、何回か訪れる事になりそうだぞ」
「次は、北の洞窟が良いな。あの池、恐竜がいないんだもの!」
それは、勘弁して欲しいな。確かに見たくもあるが、その前に自分の命が危なくなりそうだ。だが、アルゴの操縦は意外と小回りが利く。大きな洞窟でも小川に沿って移動するならそれ程困難ではないかも知れないな。問題があるとすれば機体の強度位だろう。
翌日。朝食を早めに済ませて、俺達は一路砦に向かって進んだ。
吹雪ではないが、どんよりとした空だから、雪が降るのかもしれない。俺達が進んできた航跡は、1日目の吹雪で完全に埋まってしまったらしい。
途中で昼食を取り、日暮れ前には砦に到着することができた。
車庫にアルゴをバックで入れると、保全部の連中が、採取したシリンダーを一輪車に乗せて、地下のラボに持っていく。
そんな光景を眺めて、俺は集会場に向かった。エリー達は新しく作ったお風呂を楽しむようだ。保全部の連中が楽しみで作ったんだろうけど、砦の連中には好評のようだな。俺も報告が終わったら出掛けてみよう。
集会場に入ると、レミ姉さんが出迎えてくれた。博士は俺達が運んできた標本の一次分類に立ち会っているらしい。
俺がテーブルに着いたところで、薪ストーブのお湯を使ってコーヒーを入れてくれた。砂糖3つを入れるとスプーンで良くかき混ぜる。
タバコを取り出して、とりあえずの一服を楽しむ。終わったころにはコーヒーが飲めるだろう。
「ご苦労さま。博士が標本を見て驚いてたわ」
「やはり、変わった場所でした。簡単な調査データと画像はアルゴから砦の電脳に伝送してあります」
「次は、アルビンに行かせるわ。画像から見ると池の周囲は大型調査機が駐車できそうね」
「可能ですが、池は危険です。出来ればヤグートⅡ並の機体が良いでしょう。姿は確認できませんでしたが、大きな触手を持った生物が何匹か生息してます」
どうやら、長期的に採取活動を行わせる事を考えているらしい。
アルビンさんなら俺より経験があるから、良い調査ができるんじゃないかな。水生植物の採取と敵対生物の対応の両者の経験が必要だ。俺達よりも遥かにハンター歴が長いんだからその辺りの知識・経験とも十分だろう。
となると、次の俺達の仕事は、北の洞窟になりそうだ。今回の調査行を基に少し改造しなければなるまい。