PH-074 調査機の名はアルゴ
この世界で2度目の冬になった。
砦の周囲は全て銀世界だ。砦に3組のハンターは必要ないだろうという事で、ガドインさん達は向こうの世界に帰って行った。何か、季節労働者みたいだな。
俺達は、新しい調査機の試験運用に備えて機器を点検中だ。もっとも、エリーとドリネン爺さんが主にやっている。リノア達はレミ姉さんに仮想スクリーンやアナライザー、ライブラリーの使い方の特訓を受けている。
原理は分からなくても、使えるならそれで良い。リノア達には魔道具の一種として思われているんだろうな。高度な科学は魔法と同じだとは誰かが言っていたが、正しくその通りなんだろう。
そんなわけで、俺一人が暇になってしまった。
集会場で、薪ストーブの傍に座ってコーヒーを飲む。タバコの吸い殻もだいぶ溜まって来たな。
「一人なのか?」
俺に声を掛けてきたのは、アルビンさん達だ。
同じテーブルに着くと、早速タバコに火を点けている。
「エリ―達が例の調査機の点検中です。俺は採取専門ですから、邪魔をしないようにここで一服です」
「まったく……。俺達もようやく1年を暮したな。ここは面白そうだ。ここで退役まで暮らそうと皆で話していたんだ」
「中々面白いところね。色んな種族がいるんだけど、争わずに暮らしてるんだから、私達の世界よりもある意味文化的だわ。暮らしに必要なものは向こうの世界から手に入れられるしね」
「酒はこっちの方が美味いぞ。ドリネン爺さんはここに骨を埋めるとまで言ってるからな」
笑いながらデントスさんが話してくれた。確かに保全部の連中は飲める連中が多いからな。酒の良し悪しが仕事の良し悪しに直結しているようにも思えるぞ。
「この冬、アルビンさん達は?」
「俺達は、南の森の植生調査だ。雪の中では恐竜はいないからな。哺乳類はいるようだが、AK60なら対処できる」
去年は北の森を調査してたんだよな。雪で森の中を進むのは苦労したっけ。6輪駆動でも雪の中で何度か立ち往生したからな。
それでか、6輪駆動車の1台にキャノピーを付けて、キャタピラを付けていたのは……。キャタピラの幅を広くして溝を深めれば雪上車に近い動きができるだろう。
「俺達はキャタピラだが、本当にあの色物で出掛けるのか?」
「あれでないとダメなんじゃないかと思ってます。キャタピラでは池に到達しても、池の中を動けません。前のヤグートⅡならそれなりに行けるでしょうけど、大きすぎます」
調査機の大きさも問題があるな。大きいと小回りが利かないし、小さければ調査期間が短くなってしまう。
あの調査機の調査日数は精々3日程度だろう。行帰りで2日間、調査は1日って事だろうな。おもしろいものが見つかれば、再度出掛ければ良い。
10日程過ぎると、吹雪がやって来た。砦の広場にも50cm程の雪が積もっている。除雪もしていない砦の外は1m以上積もっているに違いない。
いよいよ、あの調査機で北東を目指す事になりそうだ。
明日は出発と言う夜。集会場に俺達4人とレブナン博士、それにレミ姉さんが集まった。
「それで、最初から池を目指すの?」
「はい。先ずは全体を観察してきます。あの池は大きさ的には直径1km程ありますが、厳冬期の寒さでも凍りません。
原因は北の洞窟から流れて来る温水にあると思いますが、それだけなら凍ってしまうでしょう。池にも温水の吹き出し口がある筈です。
となれば当然生態系の異なる植生があると考えられます」
博士は黙って俺の話を聞いている。まさか一緒に行くなんて言わないよな。
「最初だから、早めに切り上げてきなさい。映像記録も忘れずにね」
「食料は予定日数の倍、持っていきなさい。何もなくも定時連絡は忘れないでね」
レミ姉さんの言葉にサリーネが頷いている。トランシーバーはサリーネの担当だ。
リネアが周囲の状況を監視して、運転はエリーが行い、俺が映像記録と標本の採取を行う。
武器は魔法の袋を4人とも持っているから、十分に持って行けるし、食料や水だって十分に入るからな。特に問題はないんじゃないかな。
次の朝。朝食を終えると、レミ姉さんお手製のお弁当を受け取って、東のがらんとした元居住区を通って車庫に向かう。
すでに前照灯を上下に4つ点けた調査機が待機していた。
「やって来たな。燃料は十分積んである。予備を入れれば5日は連続して走れるぞ。ところで、この調査機の名前はどうするんだ?」
「『アルゴ』と名付けます」
「冒険をする船だな。昔話に出てきたな。良い名だ」
俺達はアルゴの側面ハッチから中に乗り込む。小さな機体だが、前席と後席の距離が1m程開いている。席をリクライニングさせて休むためだ。ベッドを設ける余裕も無いのでこうなってしまった。後ろには保管庫とシャワールームが付いている。
エリーが運転席に付いて、俺が助手席に収まる。後席にはリネア達が座ってる。可倒式のテーブルがあるから、ちょっとした記録はそこで出来るようだ。キーボードの代わりにタブレットを使ってるのが面白いな。サリーネは壁に設置されたトランシーバーでレミ姉さんと交信しているように見える。
「燃料電池の出力は安定してるよ。現在、15%。巡航でどれ位上がるかは分からないけど、80%以下で動かすね」
「リネア達は準備出来てるか? 出発するぞ!」
「準備完了にゃ。いつ出発してもだいじょうぶにゃ」
「出発!」とエリーが声を上げると、ゆっくりとアルゴが動き出した。
まだ平地だからか、スムーズに進んでいるぞ。予想していたゴツゴツした感触はあまり伝わってこないな。それだけサスペンションが良いって事だろう。
滑るように広場を横切り、砦の門を出る。途端に速度が増してきた。仮想スクリーンに目的地までの地図を示して、速度と踏破距離、それに燃料電池の出力を表示させる。
すでに時速30km程に達している。燃料電池の出力は50%付近だ。かなりの余裕がありそうだな。
アルゴの全面は半球状の防弾ガラスを強化樹脂で覆っている。厚さは30mmを越えているし、AK60を近距離から放っても撃ち抜けない。その前にパイプを組み合わせた油圧バンパーが付いているから何かに衝突しても全面ガラスは持ちこたえるだろう。後部席の左右にも直径30cm程の丸窓が付いている。
丸窓から見ると、走行装置が雪煙を上げているとリノアが教えてくれた。
今のところ順調だな。出発後、30分で最初の連絡をサリーネがしているようだ。この後は1時間おきに連絡をすることになっている。
今回の調査は草原地帯を北に向かい、最短距離で森の中に入って池に至るコースだ。東に大きく回り込んで北を目指すことになるから、距離は200kmを越えている。
現在の速度を維持するなら7時間以上かかるんじゃないかな。
今夜は池の近くで野営することになりそうだが、雪が危険な生物を阻んでくれるに違いない。外気温は現在マイナス5℃だ。恐竜には耐えられないだろう。大型のグリズリー位なら、全く問題にもならない機体だからな。
2時間程経過したところで休憩を取る。電子レンジでエリー達はココアを作っているけど、俺はコーヒーが一番だな。出掛けに入れて貰ったポットのコーヒーをカップに注いで頂いた。
「周りが真っ白だから、現在地が分からないよね」
「その為にナビがある。今のところコースは正確だよ。草原のルートを半分ってところだろうな。1時間程、今度は俺が運転するよ」
真っ直ぐ進むだけだからな。リネアにだって出来そうだ。ハンドル操作ではなく、レバーが2本。レバー操作が左右の推進スクリューの回転方向に連動している。手前に引けば前進だし、中央位置で回転が止まる。また、前に倒せば後進するから、左右のハンドルを逆に操作するとほとんど位置を変えずに方向を変えられる。
20分程の休憩を終えると、今度は俺が機体を前進させた。
思ったより操縦が楽だな。左右のブレもほとんどない。機体の各部の異常も無さそうだ。
「気圧が下がってるにゃ。出発時から比べて30hPaほど徐々に降下してるにゃ。外気温度、現在マイナス12℃、風速14mにゃ」
「前が見えないよ。でも、ここら辺はまだ草原なんだよね」
「赤外モードの仮想スクリーンを展開した方が良いだろうな。障害物センサーも作動させといた方が良いぞ」
エリーがサングラスを掛けて、視野を確保したようだ。長時間は疲れるだろうから、早めに代わってやろう。
そんな事で、小刻みに休憩を取りながら運転を代わっていく。すでに100kmは過ぎているな。
ナビで現在地を確認しながら、当初の計画通りのポイントで左折する。周囲には全く目印になるものは無いから、ナビの座標表示が唯一の頼りだ。
左折して30分もしない内に、立木が突然姿を現す。吹雪で樹氷のような姿をした木々が俺達を出迎えてくれた。
そんな木々を縫うようにアルゴが進んで行く。
やがて背丈の高い木々が行く手に現れると、少し吹雪が弱まってきた気がするな。
「気圧の降下は停止してるにゃ。気温マイナス10℃、風速3mにゃ」
リノアが報告してくれる。サリーネはキチンと1時間おきに砦と交信しているようだ。現在異常なしという簡単な通信だが、レミ姉さん達は安心してくれるだろう。
「なんか、森の奥がガスってるよ」
エリーの呟きにナビから顔を上げて森の奥を見た。
さっきまでは、かなり遠くまで見通せたのだが、現在は視界が100mを切っている。霧という事はないだろうな。細かな氷片が森の中に満ちているような感じに見える。
「綺麗にゃ!」
後席で呟いたのはサリーネかな? 確かに綺麗ではある。だが、動物を視認できないんだよな。
「周囲に動体反応は?」
「今のところないにゃ。静かにゃ」
半径300m以内は安全って事だろうな。人が歩くよりも少し早いぐらいの速度でアルゴは森の奥へと進んで行った。
池の手前1kmでアルゴを停める。
もうすぐ夕暮れだ。夜間の調査は止めて、今夜はここで泊まることにした。
夏なら、池が見えるんだろうが、木立の切れた前方はキラキラと輝く氷片が濃く舞っている。
夕食はビスケットのような携帯食料とコーヒーだ。周囲の幻想的な雰囲気の下で食べる食事にしてはちょっと興ざめだな。