PH-006 森を歩くとヒルが降る
俺達が、2回目の採取に出掛ける朝が来た。
エリーが扉を叩く前に、全て準備を整えておいたし、念の為に持参する品は円筒形の密閉容器に入れてバッグの上に取り付けてある。手袋と白地のポンチョはベルトに挟んで置けば直ぐに装備できる。
ベネリの弾丸は全て散弾だ。狼対策には都合が良いし、イノシシなら前回同様44マグナム弾が効果的だ。
「行こう、お兄ちゃん!」
扉の向こうから聞こえたエリーの声で、急いでソファーから腰を上げる。
ゲート区域に入ると、俺達の担当をしてくれるお姉さんを探した。直ぐに自動小銃を肩に掛けたお姉さんを見つけて近寄って行くと、向こうも俺達に気付いたようだ。俺達にニコリと微笑掛けてくれた。
「20分前ね。ゲートの準備はできてるわ。直ぐに出掛ける?」
お姉さんの問い掛けに俺達が頷くのを見て、「こちらよ」と先に立って歩き出した。前のゲートと違うようだな。すでに採取に旅立ったプラントハンターがいるのだろうか?
「これに依頼品を入れて頂戴。大型密閉容器が1つに、小型が6個入っているわ。依頼品以外は何を採取してきても良いわ。でも、なるべく変わったのをお願い」
俺がお姉さんからナップザックを受け取っている間に、エリーが行き先をオペレーターと確認している。最後に俺がもう一度依頼書の年代と座標を確認してオペレーターに問題が無い事を告げた。
直ぐに、階段の上に光点が現れ、それが広がると波立った鏡面が姿を現す。
「出掛けようか?」
俺達はゆっくりと階段を上がり、鏡面に入って行った。
時空間ゲートから足を踏み出した俺達の周りには、この前と同じような風景が広がっていた。センサーを設定して、周囲に危険な獣がいないことを確認する。
14時方向を眺めたときに、岩だらけの尾根から緑の木々が顔を出しているのが見えた。どうやら、目的地はあの森になりそうだ。
「今回も長く掛かりそう……」
「5km以上ありそうだな。先ずは1時間歩こう」
岩山にはあまり近付きたくないが、方向を定めるには良い目標だ。
サングラスを通して周囲の状況が映しだされるが、今のところは問題ないようだ。動体反応があっても俺達の半径50m以内に近付く獣はいない。
エリーは俺よりも広くセンサーの範囲を設定しているようだから、たまに首をめぐらして相手を確認している。それでも視認することはできないようだな。草丈が膝程がある繁みがあちこちにあるので、そこに巧妙に隠れているのだろう。
1時間程歩くと、岩山に森が隠れてしまった。まだ3kmは先になるだろう。ごつごつした岩肌が露出した場所で最初の休憩をとる。
地面に持参したポンチョをそのまま置いて腰を下ろし、水筒の水を一口飲んだ。エリーが急に辺りを見渡し始めたが、俺にはその原因が分かったぞ。たまたま尾根を見ていた視界の端に鳥が飛んだのだ。
「エリー、上を見てごらん」
「え! ……鳥だったの? 素早く動いてたからどんな獣かと探してたんだけど」
鳥にもこのセンサーは反応するようだ。飛行可能で凶悪なのもいるということかな? まあ、この時代なら凶暴な鳥なら地上を走るはずだ。恐竜が跋扈する時代なら分からないけどね。
「移動が速い場合は、鳥も疑う必要があるな」
「そうだね。気をつけるね!」
身近い休憩を終えて、再び歩き始める。
尾根の端を廻ると、低い山麓にそって森が広がっていた。谷に面しているから、森の中に小川が流れている可能性もありそうだ。
「結構いるみたい」
「そうだな……。セーフティは外しておけよ!」
かなりの生物が暮らしているようだ。周辺が荒地だから小さな草食獣は森に隠れることになる。
「全長30cmでフィルターを掛けるぞ」
ネコ位ならそれ程凶暴とも思えない。センサーで検知された獣達の輝点のほとんどがフィルター処理で消えてしまった。それでも2箇所に反応が残る。
ヒル対策にポンチョを被り、念の為に手にフィットした手袋を付けた。ベネリを何時でも撃てるように小脇に抱え、俺が先頭に立って森へと足を踏み入れる。
サングラスが紫外線量の低下を検知してグラスを透過する光量を上げた。途端に周囲が明るく見える。ほとんど素通しだな。それでも。目の前30cm程の場所に周囲の状況を示すセンサー情報を表示してくれるから、不意打ちを食らうことはないはずだ。とは言え、50mなど肉食獣なら数秒も掛からない。
10m程進んでは立ち止り、周囲の確認をしながら進む。ところどころに倒木はあるのだが、大きなマッシュルームは見当たらない。
「本当にあるのかなあ……」
「時空間ゲートの設定に誤りは無かった。座標に対して10km程の誤差があるらしいから、時間いや季節的な誤差があるのかも知れないな」
「季節が違ったら見つからないよ! 調べてみるからね」
時空間ゲートのついての仕様がファイル化されているのだろうか? 俺が周囲を探る間、エリーが仮想スクリーンに映る文字を目で追ってる。
周囲数mを一周するようにして数本の倒木を巡ったが、やはり見付らない。
「お兄ちゃん、時間軸のずれは10日程度らしいよ。という事は、やはりこの森のどこかって事になるのかな?」
「そうだな。少し斜面を下ってみるか。キノコは胞子で増えるはずだから、あまり乾いた場所には無いのかも知れない」
そう言いながら、エリーの背中で動いているヒルを採取ナイフで弾き飛ばす。
「ありがとう」と言いながら俺の背中に回ってヒルがいないか確認してくれた。たまに落ちて来るんだが、俺の指ほどの大きさの黒いヒルは白いポンチョで直ぐに分かる。戦闘服だと皮膚には入り込まないだろうが、見つけにくいだろうな。
チロチロと小さな水の流れが聞こえてくる。沢に近いようだ。
先ほどよりヒルの降る数が多くなってきたようにも思える。カサっと音がした赤と黄色の模様が見えた時には、ベネリを撃っていた。
「毒ヘビだ。エリー、動体センサーの感度を上げておけ!」
俺のセンサーには感知していなかった。ネコ程度の感度にフィルターを掛けたのだが、1m程のヘビでは感知を免れたのかも知れないな。
「お兄ちゃん、あちこちに反応が出てるよ!」
エリーが驚いたように教えてくれた。俺の監視スクリーンには表示されていないから、同じように毒ヘビなのかも知れないな。
俺達が、教育期間に注射されたナノマシンや免疫注射には、神経毒や血液毒に対する免疫機能も付加されていたらしい。
とはいえそれは既知のヘビ毒だけのはずだ。果たして、このヘビの毒は解明されているのだろうか?
ベネリのバレルで下草を払うと、まだ毒ヘビが生きている。背中の片手剣を引き抜いて、頭から10cmぐらいのところで胴体を両断した。エリーからナップザックを受け取ると、小さな密閉容器に頭部を剣先で転がしながら入れる。
雑木を2m程に切り取って、エリーと2人で辺りを払いながら目的のキノコを探す事にした。たまに、カサっと落ち葉が動くから、結構ヘビが多いな。
森に入って2時間以上経過した時に、朽ち果てた倒木の裏に目的のキノコを見つけた。
直ぐに、エリーがアナライザーで確認をすると96%の確立で『グラノアリエ』と表示されたようだ。
たくさんあるから、ここで5個を布袋に入れれば依頼は完了となる。後は、オマケの採取だが、同じ場所に生えている小さな赤いキノコと粘菌の一種を小さな密閉容器に入れる。残り3個は、沢に生えた水草を3種類入れておいた。
「依頼終了だな。斜面を登って行こう。ここはヘビばかりだ」
「そうだね。エリーも賛成する!」
エリーもヘビとヒルにうんざりしていたみたいだ。俺の話にそう答えると、先に立って斜面を登っていく。
森の地面が乾いてくると、ヘビの反応もいつしかなくなったようだ。上からヒルも降らなくなった。
だが、俺達を遠巻きにして少しずつ距離を詰めている存在がある。
「群れで狩りをするって、狼だよね」
「ライオンだって数頭で狩りをするらしいぞ」
エリーにはそう答えたけど、やはり狼じゃなかろうか。ネコ族は本来1匹で行動するのが基本だからな。
森の出口が見えてくる。サングラスが紫外線を検知して自動的に明るさを調整し始めたようだ。
「ついて来るよ!」
「どうやら俺達を獲物に決めたらしい。セーフティは外してあるな。いつ襲ってきてもおかしくないぞ」
俺達との距離を50m程開けている。まだ緊急警報が鳴らないが、すれすれの距離ではあるな。3、4秒で俺達に襲い掛かれるだろう。
出来れば背後を突かれないような場所を見つけようとしてるんだが、残り数本の雑木で俺達は森を出ることになる。
「エリー、走れるか?」
「うん」というエリーの返事を聞いて、片腕を前方の尾根から転げ落ちたような岩に伸ばした。
「走れ!と言ったら全速力で駆けるんだ。後ろも見ずにだぞ。あの岩に付いたら振り返って狼に銃弾を浴びせるんだ。良いか……、今だ。走れ!」
エリーが走り出すと同時に、俺も走り出す。走りながらも、胸のストラップから手榴弾を取り出してピンを引き抜き、赤い輝点近くに投げた。
30m程の距離を走る途中で、炸裂音が後ろから聞こえてきた。エリーが驚いて肩をピクリと動かしたが、立ち止らずに走り切って岩に到達する。体を反転させて、エリーがMP-6を乱射し始めたので、何発かの銃弾が俺をかすめる。
数秒も遅れずに俺もエリーの隣に駆け込むと、後ろを向いてベネリを構える、と同時に発射した。目の前数mに大型犬ぐらいの狼が牙を剥いて迫っていたのだ。エリーが乱射するわけだ。
俺がベネリを使い始めると、MP-6の銃声が途絶える。あれだけ派手に撃ったら弾切れになるな。直ぐに射撃が開始されたから、今度は俺が急いでベネリのチューブマガジンに散弾を押し込んだ。
遠巻きにした狼をエリーが倒し、近付いた狼は俺が射殺する。数分の出来事だが、エリーは2つのマガジンを使い切ったようだ。
ウオオォォン……。1頭の狼が遠吠えのように吼えると、次々と狼達が追従して遠吠えに加わると俺達を囲んでいた狼達が森に姿を消して行った。
「まだ油断するなよ。マガジンは新しいのに代えるんだ。準備ができたら、俺達も帰還するぞ」
センサーでは狼達が既に100m以上俺達から離れているのがわかる。とは言え、次の奴が襲ってこないとも限らない。150m付近でゆっくり移動している個体があるとエリーが教えてくれた。
銃の準備ができたところで、右腕に装備したバングルの帰還スイッチを押した。時空間ゲートが完全に開くまでの数秒が長く感じられる。
「お兄ちゃん、帰ろう!」
そう言って俺に振り向いたエリーの片足は既に鏡面の中だ。エリーに頷いて、俺も後に続いて鏡面に足を踏み入れた。