PH-013 逃げるが勝ち
命を考えると倫理や道徳それに宗教が複雑にからんでくる。
レミ姉さんの話を聞くと、施設のシスターは有名なプラントハンターだったらしい。何かが起こって、プラントハンターを辞めたようだが、それ以降は教団の施設でプラントハンターの卵を育成しているようだ。
何が起こったのかを記録したライブラリーは、ギルド内で厳重にプロテクトされており、それを見ることができるのはプラントハンターギルド組織の頂点にいる数人のみらしい。
シスターはそれを契機に、自然崇拝を行う穏やかな教義を持った教団に入信したようだ。そこで何年か過ごして今の施設を作ったらしいのだが……。
だが、それっておかしくないか? プラントハンターの頂点に立つような人物が遭遇した事件で、それを契機に宗教に走るなんて事は余程のことだ。普通なら2度とプラントハンターとの係わり合いを持つことは避けるだろう。だけど……、今は、プラントハンターに成りえる人材を育てている。
「姉さん。結局、俺達が世話になった施設って何だったんでしょうね?」
「ハンターに成りえる人材の発掘かな……。そうそう、もう1つ大事なことがあったわ。くじけぬ心、ありのままを受け入れて、その中で自分をどう生かすか……。どの年代の子供達にも、シスター自らが教えていたわ」
それが、シスターの目的か……。
自分と同じ境遇に近い状態が生じた時、冷静に対処できるようにしているってことかな? ある意味、心の教育ってことになるんだろう。それが宗教色を帯びれば、世間一般には教団の教えをとして映るはずだ。
ひょっとして、シスターは計画的に行動したのかもしれない。他人には挫折したハンターに見えるかも知れないけど、自分を超えるハンターを育成する為に、自分の名声が使えるときを利用して、教団の1施設としてそこに納まったのかも知れないな。
「バンター君はいつもシスターに可愛がられていたのよ。優等生だったし、皆の面倒も良くみていたからね。あの事故があった時、一番動揺したのはシスターだったわ。でもね、必ず回復するといつも言ってたわよ」
自分を超える者として認めてたのかな? でも、それならギルドの実験を許可したのが分からないぞ。……待てよ。膨大なライブラリーを俺に分別させたということは、類推能力をそれによって高めることが目的なのか?
何気なく、お土産の植物を選んでいるけど、それをお土産にするという選択を俺がしているのはそう言う理由なのか? 訓練と言えども、新種をたまに持ち帰るのは、それが起因してるんじゃないだろうか?
「そろそろエリーを起こして休みなさい。無理に昔を思い出さないでね。どんな記憶を持っていようとも、私の大事なバンター君に変わりはないんだから」
レミ姉さんは、俺が別人だということに、薄々気がついているんだろうか?
そんな思いを浮かべながら俺は深い眠りについた。
あくる日、草食獣が活動を始める前にヤグートを前進させて、素早く目的のシダを採取した。体高2m位の小型恐竜がうろついていたが、ヤグートを見るとたちまち四散していく。
「……これは、目的のシダじゃないわ。ライブラリーとの合致率85%。亜種よ」
「でも、ライブラリーの画像とそっくりよ?」
「細胞の元素数比が異なるの。進化の途中に現れた植物みたいね」
「アルカロイド反応はありますか?」
「出てるわ……。それが原因ってこと?」
毒性植物として草食恐竜には認識されているのだろう。何度か食べて体に異常をきたしたら、その植物は食べないはずだ。だから、ここに恐竜がいないんだな。
「幸い、ここには恐竜が寄り付きません。ここで夜を待って、恐竜の近くに移動しましょう。川沿いに下ればいいはずです」
毒性を持つシダの群生の中にいるなら、川沿いでも比較的安全だろう。日が上がって、恐竜達の動きが活発化してくると、ソテツの林から小さな恐竜が顔を出すがヤグートには興味を示さないようだ。
近くにある目立たないシダ植物を数種類マジックハンドで採取して小型のシリンダーに入れて置く。残りのシリンダーは5個あるから、今夜にも目的のシダを採取したところで適当に入れておけばいいだろう。
「近付いたら教えてくれよ!」
エリーに監視をお願いして、上部ハッチを開ける。上半身だけだして一服を楽しむことにした。3回目だと、それ程違和感がないな。
外気温は30度を遥かに超えているようだが、湿度はそれ程でもない。川の周囲だけが植物が繁茂しているのはそのせいかもしれない。
たまに大きな唸り声や、叫びが聞こえる。肉食恐竜の狩りが始まったのだろうか?
やはり、車内でジッとしている方が安心出来るな。早々に体を引っ込めてハッチを閉じた。
「ハッチを開けると賑やかだね」
「だけど、騒いでるのは恐竜だぞ。やはり昼間は近寄らないほうが良いな」
このヤグートには武装と呼べるものはスタンロッドにスタングレネード弾だけだからな。強行突破はやらない方が良いに決まってる。夜間なら、スタングレネード弾の閃光がある程度役に立ってくれるだろう。
2時間程の昼寝を順番に取って夜を待った。
夕食の後はコーヒーを飲みながら、草食恐竜が眠りにつくのを待つ。夜行性の恐竜が移動してくるが、数はそれ程多くないし、肉食恐竜がたまに大声で吼えているのは、群れから外れた草食恐竜を狩り込んでいるのだろう。
早々と上弦の月が沈んで辺りが真っ暗になる。上空の星空が綺麗だけど、見知った星座はどこにもない。そろそろ行動を開始する時間だな。
「始めるぞ。エリー、ゆっくりと下流に岸辺を移動してくれ。精々3km程だからバッテリーで動かせないか?」
「残量95%だから十分だよ。2時間以上動けるから問題無し!」
エリーがヤグートを人の歩く程の速度で、下流に向かって岸辺を移動させ始めた。
恐竜達は水辺から100m以上離れた場所に群れを作って休んでいる。夜行性の小型草食恐竜は、俺達の接近を感じて、スタスタと2本足で逃げてしまった。
これなら、問題なく目的のシダを採取できるんじゃないか?
30分程経過したところで、シダが群生した場所を見つけた。水の中から茎を伸ばしているが、昼間に恐竜達が食べたのだろう。しっかりと葉の形を保った茎は10本もないんじゃないか?
「リブノプテリス……、ライブラリーとの比較97%。間違い無いわ!」
レミ姉さんの言葉に、早速マジックハンドでシダを集めて大型シリンダーに詰め込んだ。これで目的は達成したから、周辺の小型のシダを小さなシリンダーに入れてお土産を作る。
「バンター君、何か近付いてるわ。川の方からよ」
「エリー、180度方向を変えて、昼間の場所に急いで戻るんだ!」
川から来るとなれば、大型のワニみたいな奴に決まってる。そいつが草食恐竜ってことはないはずだ。俺達が川辺でシダを採取するときに起きる水音を聞きつけてやって来たんだろう。
左回りに車体が旋回すると、水素タービンエンジンを稼動させて、ヤグートが速度を上げて川上に移動する。
動体感知スクリーンには、速度を増してヤグートを追ってくる赤い輝点が映っている。現在の距離は150mぐらいだが、どんどん距離を縮めているぞ。
「エリー、少し右手に向かってくれ。そうすれば奴も陸に上がってくる。少しは追跡速度が遅くなるだろう」
「右手にはソテツやシダが生い茂ってるよ!」
「構わん。6輪駆動で体当たりしろ。そう簡単にヤグートは壊れないはずだ」
中、後輪の4輪駆動から6輪駆動に切り替わる。地面を噛むタイヤの感触がシートにも伝わってきた。
ドン! と衝撃が走る。ソテツを1本へし折ったようだ。短い間隔で次々と衝撃に見舞われる。シートベルトがあるとはいえ、ちょっときついな。
それでも、速度を落とさずに、むしろ上がっているようにも思える速度で疾走していく。目的地は昼間休んだ毒性シダ類の群生地だが、そろそろ、奴の姿が分かるかな?
後部カメラに映った恐竜の姿をみて驚いた。4本足のワニみたいな姿だが足が長い、かなりの大型だ。背中に大きな背ビレが見えてるぞ。
「どうやら、スピノサウルスみたいね。チラノサウルスより凶暴らしいわよ!」
名前が分かっても、あまり現状では役立たないな。
腰を浮かせて、バッグからスタングレネードを2個取出した。
シートベルトを外して、車内の補強用パイプを掴みながら後部シートに移動する。天上ハッチを開けて、スタングレネードを後ろに投げる。
ハッチを閉めると同時に、後方に閃光が走りくぐもった音が聞こえる。
「まだ、追って来ますか?」
「目を回してるみたい……。気が付いたわ、やはり追ってくるわ。距離60m」
少しは効いたみたいだけど、すぐに回復してしまったか……。
「エリー、林はまだ抜けられないか?」
「あと30mも無いわ。そしたら、どうするの?」
「北東に全速力だ。何があっても停まらずに進むんだぞ!」
ぎりぎりで北東に進路を変えられそうだ。
「これも使って!」
レミ姉さんがスタングレネードを1個手渡してくれた。1回で数秒相手を無効化できるなら、これで10秒程度稼げるな。
30m程に近付いたところで、再度スタングレネードを投げつける。
その間に距離を100m以上離したところで、エリーが大きくヤグートの方向を変えた。
「前方に大型恐竜2体、避けられないわ!」
「ぶつかっても良いから真っ直ぐだ。衝撃に備えろよ!」
一段とヤグートの速度が増す。すでに時速40kmを超えてるんじゃないか!
前方にいたのはチラノサウルスのようだ。こちらに突進してくるが、今更避けられない……。
ズルっというような嫌な感触がシートを通して伝わってくる。
「チラノサウルスと接触! 被害は……、ありません!」
動体監視用スクリーンには2体の恐竜が接触した様子が示されていた。互いに相手の横に回り込もうとしているようだが、俺達の後を追いかけてこなければそれで十分だ。
1時間以上、ヤグートを走らせて、周囲に恐竜がいないことを確認したところで速度を緩め、車体を停止させる。
もう少し馬力があっても良いかもしれないな。それに、このスタングレネードよりも大型が欲しい。そんな反省をしながら明け方を待つ。
朝が来て周囲の見通しが良くなったところで、ヤグートの前方に時空間ゲートを作って俺達はこの世界を後にした。