PH-012 人体実験?
俺の事故によって救われた者がいるならそれで良い。
とっさの行動だったのだろうが、女の子は救われたはずだ。どうも自分の過去が記憶に無いってのは問題ではあるが、長い人生の中で1割にも満たない記憶なんだと、さっさと諦めてしまおう。この時代の寿命は軽く200歳を突破しているらしい。それもプラントハンターによってもたらされる生物から抽出された薬効成分によってだ。
こんな俺にエリーは付いてきてくれるし、レミ姉さんもバックアップしてくれるから、何とかやっていけるだろう。
「バンター君は、どう思っているか分からないけど、私の見る限り今の貴方は事故前のバンター君と変わりが無いわ。ただ記憶が無いだけなの。エリーもそんな貴方だから一緒にいるんだと思うわ」
「自分が誰かも分からないんです。……でも、周囲がバンターと認識してくれるのはありがたいです」
このままバンターとして人生を送るしか無さそうだ。それによって失うものは何もない。得るものは可愛い妹に綺麗なお姉さんなら十分じゃないか?
何もなく、5時間が過ぎてエリーを姉さんが起こしている。エリーと簡易ベッドを代わって今度は俺が横になった。
コーヒーの香りで目が覚める。
どうやら少し寝すぎたようだ。エリーが渡してくれた濡れたペーパータオルで顔を拭き取ると、カップに入ったゼリー状の朝食とコーヒーカップを姉さんが渡してくれた。
「南に30kmを先に偵察したわ。相変わらず川は見つからないけど、北部に山脈が走っているから、今日中には見付るんじゃないかしら?」
「遅くまで寝てしまって申し訳ない。それで、恐竜たちは?」
「数km北に群れがいた。角がある草食恐竜だよ」
たぶんトリケラの祖先じゃないかな? おとなしいなら問題ない。
「そうそう、忘れるとこだったわ。せっかく持ってきたのに……」
レミ姉さんが食事を終えた俺に差し出したのは、封の切れたタバコの箱とライターだった。受け取ってはみたものの、これって使えるのか? ライターはだいぶ使い込まれたジッポーのようだが?
「事故前に、まだ早いって取り上げたんだけど、既に成人年齢の17歳を過ぎているし、職業に付いているからね。返してあげる」
「このライターは私があげたんだよ。16歳の誕生日に!」
エリーに言われてライターを見ると、小さくEtoBと書かれている。どんなバイトをして手に入れたのかは分からないけど、そのころから喫煙してたってことなのか?
「上部のハッチを開けて外で楽しむなら、私達は文句を言わないわ。これが携帯灰皿ね」
そう言って、小さな灰皿を渡してくれた。金属製の箱型だから何かあればこの中に入れて車内に戻れば良さそうだ。
残りのコーヒーを一口で飲んでしまうと、早速に天井ハッチを開けて上半身を外に出す。何となく乾燥した空気で匂いもない。
タバコの箱を空けると、姉さんが新しい箱を買ってきてくれたようだ。20本すべてが揃ってるぞ。
1本を抜き取ってライターで火を点けた……。途端に咳き込んでしまう。たぶん隠れて吸っていたんだろうが、病院暮らしが長ければこうなるんだろうな。それでも、習慣がついてしまうと問題なく吸えそうだ。
携帯灰皿に吸いかけたタバコを投げ込むと、素早く車内に戻って天井のハッチを閉ざした。
「利き腕が変わったのね?」
そんなレミ姉さんの言葉に俺が首をひねる。
「それ以外にコーヒーの趣味も変わったよ。今はたくさん砂糖を入れるの!」
そんな事をエリーが付け足した。コーヒーにはスプーン2杯の砂糖じゃないのか? 砂糖を入れないコーヒーなんて、考えただけでもゾッとするぞ。
「やはり誰かの記憶や習慣が取り込まれているのかしら? でも間違いなくバンター君はバンター君なんだから、不安になったら相談してね」
そんな話をしながらも、エリーが出発の準備を始めている。今日には川が見つかると良いな。
ゆっくりとヤグートが動き出した。レミ姉さんはライブラリーからこの時代だけの情報を抜き出してサブのライブラリーを作っているようだ。それによってアナライザーの調査時間を短縮するようだが、いったいどれぐらいの種がこの時代にはあるんだろうな。
「エリー、ちょっと停めてくれ!」
ゆっくりとヤグートが停まると、小さな岩の日当たりのよい場所にある野草を眺める。
「どうしたの?」
「あれです。エリー、あの岩の近くまで進めてくれ」
近づいたところで、アナライザーのセンサーを近づける。
「ライブラリーに情報が無いわ。新種ってこと?」
「あの花が気になったんですが、この時代に花はまだないんじゃないですか?」
花はかなり後になってからだと思う。この時代の受粉は風が行ってるはずじゃなかったか?
「やはりね……」
「何ですか?」
レミ姉さんの小さな呟きに質問を返した。
「バンター君の昏睡状態は、現代医学でどうにもならないほど長く続いていたの。ほとんど回復は絶望視されていたわ。
そんなバンター君に1つの実験が行われたの。ある意味、バンター君の入院治療費を棒引きしてくれるような条件だったから、内容を良く聞いてシスターが判断を下したわ。
その実験は、人間による記憶の分別能力を利用してプラントハンターギルドのライブラリーの分類整備が出来ないかを試す試みだったのよ」
たぶん膨大なデータを催眠教育の形で俺に送ったのだろう。結果がどうなったかは分からないが、3か月でその実験は終わったらしい。
「その結果かなりの情報を、プラントハンターギルドは得ることが出来たと、シスターが教えてくれたわ。その最大の成果が、ミッシングリングを多数見つけた事らしいの。その時の記憶がバンター君は持っているのかも知れないわ」
すべての進化は繋がっているって事なんだろうな。ある日、突然に違った植物が生まれることはないだろう。
環境条件に合うように何種類かの植物が生まれてその内の何種類かが次に繋がるのだ。その期間は早いものでも1万年は掛かるんじゃないか?
その間にいろんな亜種が生まれるはずだ。アナライザーで一致率が低い植物はそんな亜種なんだろうな。
小さな花を付けた植物をマジックハンドで採取すると、密閉容器であるシリンダーに納める。残り11個もあるからな。最後は適当に入れるとしても、本命のシダを探すまでは、なるべく珍しそうな植物を探していこう。
昼食もゼリー状の簡単なものだ。歯ごたえがある物が食べたい気がするが、ガムで我慢するしか無さそうだ。
30km程移動すると無人機を飛ばして先方と周囲を探る。
午後の2回目に無人機を飛ばした時、ついに待望の川を見つけることが出来た。
「問題は、周辺の恐竜達だな。かなりの群れが集まってる。彼らを狙う肉食恐竜にしてもしかりだ」
川に群れを作っている、柔らかいシダやソテツの群生が川べりに繁茂しているから、草食恐竜の良い餌場になっているようだ。その後ろに肉食獣だが、チラノ達かもしれないな。あちこち移動の激しい恐竜は小型の肉食獣に違いない。
「こんなにいるの?」
「それで、バンター君の作戦は?」
「もう少し前進して、再度、川の周辺を調査。比較的恐竜の少ない場所を探すしか無さそうだ」
エリーがヤグートを前進させる。少なくとも20kmは離れていたいな。
ヤグートの停止と同時に無人機が数百m上空から川辺を中心に恐竜の状況を俺達に伝えてきた。
草食恐竜は同一種類ごとに数個の群れを作っているようだ。1個の群れは数百単位だな。それを狙う肉食恐竜も群れをつくっているが、大型の肉食恐竜は精々数頭だが、小型の肉食恐竜は数十頭で、草食恐竜の周囲をあわただしく飛び回っている。
レミ姉さんが無人機の画像データを解析して地図を作っている。その地図は俺の前にあるスクリーンにも展開されているのだが、所々に穴があるぞ。川の流れに沿って数百m程の横幅だが、そこには草食恐竜が寄り付かない。たまに小型の恐竜が走ってくることがあるけど、長く留まることはないようだ。
無人機を回収して、画像解析が本格化する。
すると、目的のシダが恐竜のいない場所に、少なからず生えているのが分かった。ほとんど水辺だな。やはり水生のシダなんだろう。
「明日、再度無人機を飛ばして、この場所に恐竜がいなければシダを急いで採取して川を離れればいい。残りのシリンダーの中身は別の場所で探そう。この川に長くいるだけ危険が増す」
「それしか無さそうね。それじゃあ、周囲を見張って頂戴。エリー、食事の準備を手伝って!」
俺には食事を作るなど出来ないからな。
ここは2人に任せて周囲を見張っていよう。肉食恐竜もどうやら何種類かいるみたいだ。赤外線スコープなら近くを通る恐竜を見ることも出来るだろう。
夕食は、インスタントだけどスープが付いていた。飲み物はコーヒーだが、意外と薄目だ。これから寝る事を感がえればあまり濃いコーヒーも問題だな。これ位が丁度いいのかもしれない。
昨夜と同じように1人ずつ睡眠を取って明日に備える。
エリーに周囲の確認をして貰って、深夜にタバコを試してみる。朝は咳き込んで終わりにしてしまったが、なぜか吸い慣れた気持ちがあるのも確かなのだ。
タバコを箱から抜き出して口に咥えるのも慣れた感じがするし、ジッポーと言う言葉が自然に出たんだが、このライターも手になじむ。ひょっとして、以前の俺はかなりのヘビースモーカーだったのかも知れないぞ。
今度は、咳き込みもせず吸い終えたが少し頭がくらくらする。軽いニコチン中毒かもしれないな……、ちょっと待て! ニコチン中毒って何だ?
急いで天井ハッチを閉めると、自分のシートに戻って、端末を立ち上げた。
『ニコチン中毒』を検索する……。確かに、ニコチン中毒の一種のようだな。だが、今の時代のタバコにはニコチンに似た働きはするがニコチンそのものは入っていないらしい。ということは、この記憶は誰の物なんだ?
「どうしたの。お兄ちゃん?」
「ああ、タバコを吸って頭がくらくらするから原因を調べてたんだ?」
「そんな話は聞いたこともないよ。昔はそんな時代もあったらしいけど、タバコの排斥運動が高まって、新しい種類のタバコが作られたときに副作用が無くなったらしいよ」
「そうなんだ。だとしたら、煙が問題だったのかもな……」
たぶん軽い酩酊感を味わうために、同じような作用を持つ植物を探したんだろうな。それもプラントハンターの偉大な足跡なのかもしれない。確か、最大の副作用は肺がんや胃がんだったんじゃなかったか?
「エリー、がんの撲滅はいつの時代だった?」
「200年前には、特効薬が出来たよ。今は病気で亡くなる人はいないみたい。老衰が死因のトップだけど、数百年前に比べれば寿命は倍だし、老化そのものを抑制する薬も数十年前に発見されたみたいだし……」
シスターがこの世界で見た唯一のお年寄りだった。それ以外に見掛けなかったという事は、シスターは薬の服用を拒んだのだろうか?
バイオテクノロジーが発達して医学、薬学の応用がされている世界が俺達の住む世界のようだ。
更なる発展を望んで俺達プラントハンターが活躍しなければならないようだな。




