再会
(1)
イングリッドは他の客達から向けられる、不躾なまでの畏怖と好奇に駆られた視線を一切物ともせず、カウンター席に歩みを進める。踵の高い靴でも履いているのか、彼女が一歩進むたび、カッカッと硬質で耳障りな音が鳴り響く。
イングリッドはランスロットの目の前までやって来ると、あからさまに訝しげな顔をしている彼に「今日は、貴方に謝罪しに来たのよ」と、淡々とした口調で話し掛けた。
「危害を加えようとしていた悪漢から私を守ろうとしてくれていたのに、貴方にまで発砲したあげく怪我をさせてしまって……、申し訳なかったわ」
「別に……。あんなのただの掠り傷だし、あの状況下じゃ撃たれても仕方なかったと思うし……。謝られる程のことじゃないっすよ」
ランスロットは面倒臭そうな口調で素っ気なく言葉を返す。
そんな彼の、横着とも取れる態度に腹を立てもしないどころか、イングリッドは持っていたトランクを差し出す。
「これは、私からのほんの気持ちよ」
おそらくトランクの中身は慰謝料だろう。ランスロットも察しがついたのか、思い切り眉間に皺を寄せて、さっきまでの悪戯めいた笑顔から凶暴な猛獣を思わせる恐ろしい形相へと変貌した。金さえ出せば何でも解決出来るという、富裕層特有の傲慢さをイングリッドから感じ取ったのだ。
ランスロットの豹変振りを目の当たりにしたメリッサは身を震わせて怯えるが、イングリッドは相変わらず冷たい無表情のまま怖気づくどころか、「遠慮することなんかないわ」と、尚もトランクを強引に彼に押し付けようとする。
「……いらねぇよ」
「そんなこと言わないで」
「そんなもん、いらねぇつってんだろうが……!!」
店中に響き渡る程の大きな声で、ランスロットはイングリッドに怒鳴り散らす。
彼は元々上流階級の人間を毛嫌いしている節がある上に、他人から無理矢理何かを強要させられることが何よりも大嫌いなのだ。
「ランス、落ち着けよ」
見兼ねたハルがランスを宥めすかせていると、イングリッドがわざとらしく溜め息をつく。
「馬鹿ねぇ。卑しい貧民の癖に、無駄に強がっちゃって。どうせ大した稼ぎじゃないんだから、さっさと素直に受け取ればいいのに」
淡々とした口調でランスロットを嘲るイングリッドに、「お客さんも余計なこと言って、こいつを焚き付けないでくれ」とハルが注意する。
「ランス、一体どうしたの!?」
ランスロットの怒鳴り声は店の奥まで届いていたらしく、ようやく奥からマリオンが姿を現した。
イングリッドはマリオンの姿を目にした途端、狐のような細い瞳を僅かに見開き、動揺の色を浮かべた後、慌てて店から去って行った。
マリオンはイングリッドが足早に去ったのを見て、何故だか分からないが彼女と話をしなければいけない、という強い使命感に駆られ、ハルの制止を振り切って、イングリッドの後を追い掛けていた。
「待ってよ!『イングリッド姉様』!!」
カッカッと硬質な音を立てて歩いていたイングリッドが、マリオンの声でピタリと動きを止める。そして、やや表情を強張らせながら、ゆっくりと背後を振り返る。
そこには、息を弾ませ、苦しげに呼吸を整えているマリオンが立っていた。
「貴方は……、もしかして……。……マリオン、なの……??」
「覚えてくれていたんですね……」
「忘れる訳ないでしょう……」
イングリッドが自分の事を覚えていたーー、その事にマリオンは嬉しさを隠せず、つい笑みを零した。そんなマリオンに、イングリッドは口元を嗜虐的に歪めながら、言い放った。
「だって、貴方は私にとって自尊心を満たしてくれる、都合の良い玩具だったんだもの」
(2)
イングリッドが投げつけた侮辱的な言葉に、マリオンの顔からサーッと音を立てて血の気が引いていく。その様子を、面白いものでも見るようにして、イングリッドは眺めている。
「人買いに売り払われたと聞いていたし、てっきり今頃は名うての男娼にでも身を窶しているかと思っていたから、まさか、大衆酒場で働いているとはね」
「イングリッド姉様……」
「下層に成り下がった者に、姉様なんて気安く呼ばれたくないわ」
「…………」
マリオンは、かつてのイングリッドからは想像できないような、冷たい態度に愕然とし、言葉を失っている。
道端に打ち捨てられた子犬のような、余りにいたいけなマリオンの姿にイングリッドの加虐心は益々募っていき、更なる言葉の暴力を彼に浴びせる。
「言っておくけど、貴方に優しくしていたのはね……、屋敷の中で誰よりも惨めな境遇の貴方を哀れむことで自尊心を保ちたかっただけよ」
「…………!!」
「そうじゃなきゃ、誰が貴方みたいな、『不義の子』を相手にするもんですか」
エマがメリルボーン氏と愛人関係になる前だったとはいえ、別の男性との間に出来た子供であるマリオンは、メリルボーン家の人々や使用人達から陰で『不義の子』と蔑まれていた。
メリルボーン家の血筋を一切引いていないのだから、そう呼ばれても仕方ないと言えば、仕方ないのだが、まだ幼いマリオンにそんな複雑な事情など分かるはずもなかった。故に、彼は常に周りからの愛情を求め続けていた。
現在でもマリオンが笑顔でいることが多いのも、「いつも笑ってさえいれば、いつか誰かから愛してもらえるのでは」と言う期待を抱えて育った幼少期の名残だ。
そして、もう一つは、イングリッドからの励ましによるものだった。
「マリオンはね、せっかく可愛らしい顔立ちをしているんだから、もっと笑った方がいいわ。私は、マリオンの笑顔を見るのが大好きなの」
人知れずマリオンが泣きべそをかいていると、どこからかイングリッドがひょっこり姿を現しては、彼が泣き止むまでずっと傍で慰めてくれていた。
しかし、今目の前にいるイングリッドの口からは、マリオンに向けていた優しさはただの偽善だった、と告げられたのだ。信じられなかったし、信じたくもなかった。
だが、真偽の程はともかく、混乱する頭で必死に考え出した言葉をマリオンは正直に伝えようと思った。
「……、あの時の、貴女の優しさが例え偽物であったとしても……、それでも僕は、貴女に救われていたことは確かな事実だから、一生感謝し続けるつもりです」
そう述べた直後、マリオンはイングリッドに深々と頭を下げたのだったーー。