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不審な男

(1)


「おかあさん、このお花の名前はなあに??」

シーヴァと家の近くを散歩していたノエルが、草丈が三十センチ程ある、楕円形の葉で小枝を抱え込むようにしている黄色い花を指差し、尋ねる。

「このお花はね、セント・ジョーンズ・ワートっていうの」

「セ、センッ、トォ……、ジョ、ジョーンズ……、ワ??」

「セント・ジョーンズ・ワート」

 シーヴァは幼い息子が覚えやすいように、一字一句ゆっくりと丁寧に言葉を発する。

「セン、ト、ジョー、ズ、ワット!!」

 ノエルはたどたどしい口調ながらも、何とか花の名前を最後まで言い切る。

「ノエル、ちゃんとお花の名前言えたじゃない!良い子ねぇ、よくできました」

 優しく微笑みながらシーヴァが頭を撫でると、ノエルは途端にパッと満面の笑みを浮かべる。

「かわいいお花だぁね」

「そうね。でも、このお花は可愛いだけじゃなくて、お薬にもなるらしいの、だから、病気の人を助けてくれるお花でもあるのよ」

「すごーい!おかあさん、よく知ってるねぇーー」

「あら、ノエルってば、お母さんのこと褒めてくれるの??ありがとう」

 イアン譲りの薄いブルーの瞳をキラキラと輝かせて、ノエルは尊敬を込めた眼差しでシーヴァを見つめた。

「この花の別名をご存知ですか??」

 ややくぐもった男の声が背後から聞こえてきた。シーヴァは嫌な予感を感じつつ、振り返ると、そこには痩せ細って青白い肌が目立つ、腰のない金髪をした男が立っていた。

男は、顔色の悪さと体格からやけに不健康そうに見え、更に、シーヴァと同じハシバミ色の瞳はどこか茫洋としている。常にかすかな薄ら笑いを浮かべ、陰気で不気味な雰囲気を醸し出すこの男――、エゴンはシーヴァにとって少々厄介な存在だった。

「この花の別名はオトギリソウ。由来は、この草を鷹の傷薬として使っていた鷹匠の兄弟がいて、秘伝の薬にも関わらず、弟が他言してしまったことに激怒した兄が弟を切り殺した際、飛び散った弟の血がこの草についたから。よく見ると、葉には黒い班がついていますよね??これがその弟の血を思わせるとか……」

 得意げに話すエゴンとは対照的に、シーヴァの表情は見る見るうちに曇っていく。ノエルが突然現れたエゴンと、彼の話にすっかり怯えてしまい、さっきまでの笑顔を失くしてしまったからだ。

「……ご高説、どういたしまして。そのお話は一応知ってはいましたが、まだ幼い息子に聞かせるようなものではないと思ったので、あえて口にしませんでした」

 これ以上、エゴンの面白くもない薀蓄などに付き合いたくない為、シーヴァは彼の話をわざと遮った。

「おっと、失礼。ノエル君にはまだ早かったですね。ノエル君、怖がらせてごめんね」

 エゴンが身体を屈ませてノエルの頭を撫でようとしたが、ノエルはその手からサッと逃げると、シーヴァのスカートの裾を掴み、そこに顔を埋めて拒否の意を示す。

ノエルは髪の色や顔立ちのみならず、勘の鋭さや警戒心の強さまでシーヴァに似ている。きっと、幼いながらにシーヴァ同様、エゴンに対して得体のしれない気味の悪さを感じ取っているのかもしれない。

「やぁ、ノエル君は恥ずかしがり屋さんですねぇ。でも、今はいいかもしれませんが、大人になってからも人見知りが激しいと後々苦労しますよ??そうだ、実は僕、近所の子供達を集めて、字の読み書きや勉強を教えようと思っているんです。ぜひ、ノエル君も参加しませんか??ノエル君にはまだ早いかもしれませんが、今の内から勉強を通して色んな子供達と交流すれば、人見知りや物怖じしない子に育つかもしれません」

 エゴンは中流家庭育ちの寄宿学校の元教師だからか、教育に関して熱心な部分があるのだろう。

 だが、彼に対して信用を置いていないシーヴァが端から誘いに乗る訳がない。

「……字の読み書きでしたら、私も主人もマリオンもできますから別に教えていただかなくても結構です。それに、息子にはちゃんと同じ年頃のお友達が何人かいますし。お気遣いは無用です」

「でも、一応参加する価値はありますよ」

「いえ、結構です」

「そう遠慮なさらず」

「ですから……!」

 しつこく食い下がるエゴンにシーヴァは次第に苛立ちを募らせていき、言葉を荒げそうになった時だった。

「シーヴァ!アリスが泣き始めたから、そろそろ家に戻ってきて欲しいって、イアンさんが……」

 イアンの頼みでシーヴァを探していたマリオンが、声を掛けてきたのだ。

 いつもならば、「何よ。少しの間くらい、何とかアリスの面倒見てよね」とか、悪態をつくところだが、むしろ今日はありがたかった。マリオンもエゴンの存在に気付くと、僅かに表情を強張らせる。シーヴァとは違い、誰とでも打ち解けやすいマリオンですら、彼のことが苦手だった。

 エゴンは、「ご主人がお呼びみたいですね。では、僕はこれにて失礼します」と、薄ら笑いを顔に張り付かせたまま、そそくさと去って行った。


(2)


「マリオン、助かったわ……」

 シーヴァはホッとしたのか、フウッと息を吐く。

「シーヴァ、また、あの人に絡まれていたの??」

「……うん……」

 シーヴァがエゴンに絡まれるのは今に始まったことではなかった。

 エゴンがこの界隈に住み始めたのは一年程前で、彼とシーヴァが知り合ったのも同時期だった。

 アリスを産む少し前ーー、臨月の腹を抱えて市場の野菜売りの店で品物を物色していると、シーヴァの背後、しかもかなりの至近距離で人の気配を感じたので振り向くと、陰気そうな痩せた男、エゴンが立っている。

もしかしたら彼の買い物の邪魔をしていたかもしれない、そう思ったシーヴァは、「すみません、もしかして、私、邪魔してましたか??」とエゴンに尋ねた。 すると、「いえ、別に僕は何も探してないです。僕に構わず、品物を探してください」と返されただけだったので、その言葉に甘えて、引き続き品定めをしていると、今度はシーヴァの身体に密着しそうな勢いでエゴンが寄り添ってきたのだ。

「あの……」

「あ、気にしないでください」

 いや、意味なくそんな風に引っ付かれたら、逆に気になるんだけど。

 それでなくても、シーヴァは他人、特に、男に必要以上に絡まれることが生理的に受けつけられない。

 結局、エゴンにさり気なく引っ付かれることに耐えられなくなったシーヴァは、その日、この店で買い物をするのを諦めることにしたのだった。

 ところが、それからというもの、彼は事あるごとにシーヴァの前に姿をよく現すようになり、彼女の周りを意味なくうろついたり、やたらと話しかけてくるようになったのだ。まるで、シーヴァの行動をどこかで観察していて、見計らうかのようにして現れるので、始めの内は思い過ごしだと思っていたシーヴァも、最近ではエゴンに対して嫌悪と恐怖を感じている。

 今では完全に回復しているが、アリスを産んだ時に体調を少し崩していたことで家事を手伝ってくれたり、買い物に付き添ってくれていたマリオンもエゴンの不可解な行動に気付いた為、シーヴァが彼になるべく絡まれないように、絡まれていたら助けてくれたりと気遣ってくれているのが、せめてもの救いだった。

「にいちゃん、僕、あのおじさん、キライ。だって、気持ちわるいもん」

 家に戻る道中、シーヴァに手を引かれたノエルが可愛らしい顔を歪めながらマリオンにそう訴える。小さな子供はどこまでも正直だ。

「こーら、ノエル。そんなこと言っちゃ駄目だろ??」

 口では嗜めるものの、マリオンも内心はノエルに同調している。

「ねぇ、シーヴァ。やっぱり、エゴンさんの事をイアンさんに言おうよ」

 シーヴァは唇を引き結びながら、首を横に振る。

「駄目よ。イアンに余計な心配を掛けさせたくないの。それに、あの人は優しいから、この事に気付けなかった自分自身を責めてしまう」

 そう言われてしまっては、マリオンも返す言葉を失くすしかなかった。

 やや気まずい雰囲気のまま、家に辿り着いた三人は思いがけない人物が玄関の前に立っていることに気付く。

「……どちら様ですか??」

 先程のエゴンの件により、いつも以上に警戒心が強まっているシーヴァがあからさまに不信感を露わにさせて、その人物に問い掛ける。

「す、すみません……。こちらで、手桶を作っていただけると聞いて、やって来たんですが……」

 シーヴァの射るような鋭い視線にややたじろいでいるその人物を見て、マリオンは驚く。

 ストロベリーブロンドの長い髪と、アイスブルーの大きな瞳をしたその女性はメリッサだった。


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