二週間後
(1)
クロムウェル党の残党による、イングリッド・メリルボーンへの狙撃、ダドリー・R・ファインズ男爵射殺未遂、クリスタル・パレスへの焼き討ち、歓楽街での連続強盗及び殺人から、およそ二週間が経過した。
その間、クロムウェル党員は全員検挙され、マリオンが渡した証拠を元にクレメンスとイングリッドのメリルボーン父娘は逮捕された。
一夜の間に凶悪な事件が多発したことにより、ファインズ男爵は『警察組織の体制を一から見直し、治安法の改善と強化を行使する』という声明を発表。そして、メリルボーン製糸工場の経営権はファインズ家に譲渡され、従業員はそのままに、引き続き稼働することが決定したのだったーー。
(2)
「それで、クロムウェル党やメリルボーン父娘の刑罰はどうなったんだ??」
イアンの元に訪れた職人仲間達が、新聞に目を通している彼に尋ねる。
「……クロムウェル党員は全員死刑を宣告され、逮捕されてすぐに刑が執行されたらしい。クレメンス・メリルボーンも死刑を宣告されたが、減刑を申し立て、裁判を行うそうだ。娘のイングリッドは、情報提供をしたことで死刑は免れたが、禁固八十年の刑……、まぁ、要は終身刑を言い渡された、とさ」
新聞を読み終わり、丁寧に折りたたみながら、イアンは職人仲間達の質問に答えた。
「この期に及んで、メリルボーンの奴は……」
「あいつ、自分が悪い事していた意識ないのか!」
職人仲間達は呆れるやら憤るやらで、クレメンスの事を一斉に非難する。
「娘の方はどうなんだろう??」
「新聞には特に何も書かれていないから、多分、罪を認めて大人しく刑に服すんじゃないか??」
仲間達の質問に答えつつ、イアンは複雑な想いに駆られる。
一度だけだが、イングリッドとは顔を合わせて言葉を交わしたことがあった。
二か月半前、マリオンに連れられて遠慮がちに家の中に入ってきたイングリッドは、知的な雰囲気を持つ、物静かな女性だった。
何やら二人で込み入った話を始めたため、空気を読んだイアンとシーヴァは子供達を連れて散歩に出掛け、小一時間程後に家に戻るとイングリッドが丁度出て行くところだった。
イングリッドは、イアンに向けてぺこりと軽く会釈をすると、「マリオンが素直で優しい青年に育ったのは、貴方のお蔭なんですね」と、彼に話し掛けてきた。
「まぁ……、出会った頃から、あいつは稀に見る純真な子供でしたが」
「でも、彼がその頃からの純粋さを失っていないのは、貴方が沢山の愛情を掛けていたからだと思います。先程、チラリと拝見しただけですが、幼い娘さんの世話を嫌がりもせずに見ていた。正直、男性がこんなに子供に手を掛けることが私には意外でしたし……、マリオンや貴方の子供達が少しだけ……、羨ましいと思いました」
その時のイングリッドが見せた表情――、淋しそうに目を伏せ、自嘲気味に弱々しく微笑んだ顔は大人の女性が見せるものではなく、叱られた後の小さな子供のようで何とも幼気だったのだ。
イングリッドは女優だから、もしかしたらその表情は演技だったかもしれないが、イアンは、無機質な仮面の下に隠している素顔を垣間見てしまったような気分に陥ったものだ。
だから、世間ではイングリッドのことを「希代の悪女」「人を人と思わぬ、冷血な女狐」などと評されてしまっているが、イアンはどうしてもそんな風には思うことが出来ないでいた。
「ところでイアン。マリオンはもう大丈夫なのか??」
「あぁ……、どうかな……」
イアンの何とも歯切れの悪い、曖昧な返事には理由があった。
ハルの死から、マリオンは常に見せていた無邪気な笑顔をぱったりと見せなくなり、すっかり塞ぎ込んでしまっていたからだった。
クリスタル・パレスの事件にて多数の犠牲者が出たことにより、事件から一週間はイアンとマリオンは昼夜を問わず、棺桶造りの仕事に忙殺された。食事や睡眠を摂ることさえままならない、不眠不休の作業に没頭している間は逆にまだ良かった。
唯一の外出だった、ハルの葬儀に参列した時も、彼が死んでから日が浅い事もあり、立ち直れていないのも無理はない、とあえて気にしないようにしていた。(ちなみに、ハルの棺を作ったのはマリオンである)
だが、怒涛の一週間が過ぎ、仕事もひと段落ついてからも、マリオンの笑顔は一向に戻らなかった。
イアン自身も、最初の妻子を立て続けに亡くした経験があるので、マリオンの喪失感からくる悲しみや苦しみ、至らない自分自身への苛立ちや憎しみというものが痛い程によく理解できる。けれど、経験しているからこそ、早くその絶望から立ち直らせてやりたかった。
そして、二週間が過ぎた今、イアンはある決意をするーー。
次の日の朝、いつもより早い時間に起きたイアンは、朝食の準備をしているシーヴァの隣に立った。
「あら、イアン。おはよう。珍しいわね、こんな時間に起きてくるなんて」
「シーヴァ、ちょっと相談があるんだが……」
「何??」
シーヴァは鍋をかき回しつつ、イアンの顔を横目で見返す。
「今日は仕事が休みだから、マリオンと一日出掛けてもいいか??」
「別にいいけど……、一日って、帰りは何時頃になるの??」
イアンは少し言いにくそうにしながらも、こう切り出す。
「ひょっとしたら……、午前様になるかもしれん……」
「はぁ?!」
予想通り、シーヴァは眉間に皺を寄せ、ハシバミ色の瞳で睨みつけてきた。
「何を寝ぼけたこと言ってるの。寝言は寝ている時に言いなさいよ」
(お前の場合、寝てる時に言ったとしても、『イアン、うるさい』って怒るだろうが……)
心の中でシーヴァに文句を言いつつ、イアンは尚も続けた。
「あのな、シーヴァ……。俺の話を最後までちゃんと聞いてくれ」
「??」
胡散臭い話を聞くかのように、疑わしげに顔を顰めるシーヴァの耳元に唇を寄せ、イアンは理由を述べる。話が終わるとシーヴァは、「……そういうことね。それなら午前様だろうが、朝帰りだろうが好きにしていいわ」と、納得してくれたのだった。
「ごめんなぁ。子供達の世話を任せっきりにしちまうけど……」
「気にしないで。私も、マリオンの事はずっと気になっていたから。でも……、気になっている癖に、私は何もしようとしなかった……。イアンと違って、私は冷たいのかも……」
シュンと項垂れるシーヴァに、「黙って見守ることも一つの愛情だ。お前と俺の表し方が違うだけの話さ。人と比べることじゃない」と、イアンは優しく諭す。
「そうかな……」
「俺が今日やろうとしているのも、あくまで一つの方法だ。上手くいくかは正直分からないが……」
「大丈夫よ。きっと上手くいくわ」
イアンに向けて、シーヴァは穏やかに微笑む。
そんな彼女の笑顔を見つめながら、マリオンの笑顔が再び戻ることをイアンは願った。




