ありがとう
(1)
ハルは引き続きカウンターの下に隠れながら、残りの一人と銃を撃ち合っている。
しかし、クリスタル・パレス脱出時に負った傷に加え、現在の銃撃でも新たな傷を負ったことによる多量の出血で、彼の体力はそろそろ限界に達しようとしていた。
それでもハルは男に向けて発砲し続けていたが、遂に弾切れを起こしてしまう。
「クソが!!」
バンッ!!
一瞬の焦りを突かれ、ハルは左の肩口を押さえてカウンターの上に突っ伏した。撃たれた箇所から、鉄臭く、生温かい液体が大量に流れ出し、白いシャツを深紅に染めていく。
(……終わったな……)
ハルは観念したが、意外なことに男は発砲してこない。
怪訝に思い、目線だけを動かして男の方を見てみると、男は銃を下ろしている。
「運が良い奴め。俺も丁度弾切れだ。しかも装弾する弾が、もうなくなった」
男は銃を床に投げ捨てると、つかつかとカウンターまで近づいて来る。
「それだけ出血してりゃ、放っておいてもお前は直に死ぬ」
男はハルの胸倉を掴むと、カウンターの上から床に引き摺り下ろし、彼の身体の上にのしかかる。
「馬鹿な男だ。始めから大人しく有り金を渡しさえすれば、死ぬことなんかなかったのに」
「……言っただろ。お前らがぶっ壊してくれた店の修繕費が必要だから、金は渡せないって……」
すかさず、男はハルの顔を平手で殴りつけると再び彼の胸倉を掴み、顔を近づける。
「どのみちお前が死ねば、自動的にこの店は潰れる訳だから、必要ないだろう??」
「……生憎、俺の後釜なら、すでに決まっている。そいつのためにも潰すわけにはいかねぇんだよ……!!」
ハルは男の両の目に目掛けて血混じりの唾を吐きかけ、怯んだ隙を見て男の股間を膝で蹴り上げる。
男が痛みで悶え、身体を浮かせたのを見計らい、ハルは男の身体の下から這いつくばりながら抜け出そうとした。
だが、瀕死状態のハルが出来るのはそこまでで、とうに限界に達した体力では男に敵うはずがない。すぐに男はハルの身体に再びのしかかり、彼の首に手を掛ける。
「最後に、何か言いたいことはないか??」
ハルはゆっくりと口を開く。
「お前……、クロムウェル党だろ……??」
「あぁ、そうだ」
「……クリスタル・パレスを……、焼き討ち……した、連中の残り……か??」
「違う。あれはバリーに付いていった奴らの仕業だ。俺達はあいつらがクリスタル・パレスで暴れている隙に、歓楽街で繁盛しているって評判の店に何軒か押し入って、金を奪っていた。謀らずも、あいつらのお蔭で警察の目を掻い潜り、好き放題やらせてもらったよ」
「……うちの前、にも、盗みに入ったのか……」
「あぁ、三件程な。ここ以外の店は、ちょっと銃で脅しただけですぐに金を出してくれたってのに、お前らときたら……。散々、手こずらせやがって……。俺以外の連中を、よくもやってくれたな!!」
男は、ハルの首をギリギリと強く締め上げる。もはや抵抗する力すら残されていないハルは、されるがままだ。
(……最悪な末路だ……。まさか、アダと同じように、俺も犯罪者に殺されて一生を終えるとは……。……アダを守れなかった事への天罰か……)
遠のいていく意識の中、ハルが皮肉交じりの笑みを口元に浮かべた、その時だった。
パン!!パン!!
乾いた銃声により、ハルの意識は再び戻され、彼の首を絞めていたはずの男が右肩を押さえながら玄関の方を睨みつけていた。
玄関には、ブルブルと身を震わせ、今にも泣き出しそうな顔をしながら、マリオンが男に銃口を向けて立ち尽くしていたのだった。
(2)
「ハ、ハルさんから、離れろ!!」
マリオンは上擦った声で叫び、男を銃で威嚇する。
だが、女性と見紛う線の細さと、中性的な容姿に加え、怖気づいているのが目に見えて分かる様子に、男は鼻で笑い飛ばす。
「坊や、怯えてるようじゃ俺は殺れないぜ??」
パン!!
銃弾は男の頬を掠るが、「そんなへっぴり腰じゃ、ねぇ??」と、肩を竦めてみせる程の余裕を見せつける。
マリオンの銃が撃てる弾は、残り一発だ。
もう無駄には使えない。
ハルはマリオンに人殺しをさせたくない、と言ったが、ハルをどうしても助けたいマリオンは覚悟を決めて、男の頭に狙いを定める。
バン!バンバン!!バン!!
マリオンが引き金を引くよりも早く、彼の背後からランスロットが男に向けて、両手で二丁の銃を同時に発砲した。
「ぎゃあああ!!」
両足と両腕を撃たれた男は倒れ、痛みで床を転げ回る。
「マリオン、お前に銃は似合わねぇ。……殺しは、もっと似合わねぇよ」
「…………」
ランスロットは銃を放り投げ、マリオンと共にハルの元へ駆け寄る。
「ハルさん!ハルさん!!しっかりして下さい!!」
マリオンは、全身を血で真っ赤に染めたハルの身体を抱き起こす。
「ボス!すぐに医者呼んでくるから!!それまで、持ちこたえてくれ!!」
「……無駄だ……」
立ち上がって外へ行こうとしたランスロットを、息も絶え絶えにハルが引き留める。
「……これだけ、失血……してるんだ……。もう、手遅れ、さ……」
「あんた、何言ってるんだ!!」
「そうですよ!ハルさん!!諦めないでください!!」
ハルは虚ろながら慈しむような優しさを湛えて、金色掛かったグリーンの瞳で、必死に激励する二人をじっと見つめる。
「……ランス……、こんなボロボロに……、なっちまった……が、ラカンターは、お前に任せ……る。絶対……、潰す……なよ??……マ、リオン……、お前には……、これを、くれて、やる……。絶対……、なくす、なよ??」
ハルは、シャツの胸ポケットから血で汚れた懐中時計を取り出し、マリオンに手渡そうとするが、もう手に力が入らないせいか、手渡す直前に床に落としてしまう。
「ボス、もういい……。もういいから、喋らないでくれ……」
ランスロットがハルの手をギュッと握りしめる。同様に、マリオンも涙目になりながら、ランスロットと共にハルの手を強く握る。ハルの手から伝わる体温は、もうじき死を迎えることを嫌でも感じさせられるくらいに冷たかった。
「……俺が、お喋りなことは、知ってる……だろうが……。だけど、もう……、疲れた……。ランス、マリオン……、ありがとう……な……」
ハルが瞼を閉じたと同時に、二人で握りしめていた彼の手から力が抜け、指先がガクリと落ちた。
次の瞬間、ランスロットは言葉にならない声を上げて嗚咽を漏らし、マリオンは言葉を失ったまま、静かに涙を流したのだった。




