仲間の優しさ
ファインズ家の前から離れてはみたものの、よくよく考えてみると、ここは上流階級の人々の屋敷が集う区域で、本来はマリオンのような庶民が足を踏み入れることすら許されない場所――、つまり、地の理が全く掴めていない場所なのだ。
ラカンターに早く向かわねばいけないというのに、これでは歓楽街にどう戻ればいいのか分からない。
どうしたものかとマリオンは思案した後、財布の中身を確認する。少々高くつくが、辻馬車に乗ることに決めたのだ。
自家用の馬車を所有するには、御者、馬の世話係である馬丁、馬の餌及び馬小屋など、莫大な維持費が掛かるため、上流階級の人間でも辻馬車を利用する者も少なくない。
マリオンは住宅街を抜け、大通りまで出てみる。すると、通りの歩道脇に沿って、客待ちしている辻馬車が何台か並んでいたので、その内の一台に乗り込む。勿論、例によって、『良家のご子息』を演じながら。
持ち合わせで料金が足りるのか、内心ドキドキしつつも馬車に揺られていたマリオンは、クリスタル・パレスの近くを通り掛かった途端、窓ガラスに張り付くようにして炎上するクリスタル・パレスに見入ったのだった。
「おや、火事が珍しいのですか??」
「あ……、いえ……」
御者の問いかけに曖昧に返事をしながら、マリオンはひたすらクリスタル・パレスを眺めていた。あそこは、メリッサと楽しい時間を過ごした思い出の場所だった分、炎に包まれ、灰になっていく様が異様に悲しく思えたのだ。
だが、感傷に耽る以上に、ランスロットとハルは無事に脱出できたのか、という心配ばかりが募っていき、一刻も早くラカンターに戻り、二人の無事を確認したい気持ちの方が勝っていた。
「ミスター、歓楽街に出掛けるのはいいんですが、くれぐれも犯罪には気をつけてくださいね」
「は、はぁ……」
「さっきクリスタル・パレスが火事で燃えてましたけど、こういう大きな事故が起きた時は連動して別の犯罪も起きやすいんですよ。警察とかがあっちに集中してしまう分、他が手隙になってしまうから、便乗して悪さをする奴らが出てくるんで」
「……そうですね、気を付けます。ありがとう」
マリオンを世間知らずのお坊ちゃんと思ってか、御者が忠告を促してくれたが、酒場で働くマリオンにとってはとっくに周知していることだ。それでも、親切心で教えてくれたのだろうから、と、素直に受け取り礼を述べる。
クリスタル・パレスを通り過ぎてしまえば、歓楽街も近い。
引き続き馬車に揺られていると、数分程して「ミスター、到着しましたよ」と御者が扉を開ける。
御者に料金を支払うと(財布の中身ギリギリの金額だった)、マリオンは駆け足で一目散にラカンターまで走っていく。浮浪孤児だった時にスリを働いていただけに、マリオンは足の速さには自信があった。そして、ものの一〇分もせずにラカンターに到着したのだった。
今夜は店を臨時休業しているため、裏口の扉を思い切り叩くと、すぐにランスロットが扉を開けて出迎えてくれた。
「マリオン!!無事だったか!!」
ランスロットは、心底安堵した、と言いたげに眉尻と目尻を下げ、マリオンの背中をバシバシと叩く。
「ランス、痛いってば!!」
マリオンは背中の痛みに顔を顰めながらも、ランスロットなりに自分を心配してくれていたんだと思うと、心にじわりとした暖かいものが流れてくる感覚を感じた。
「ランスが無事ってことはハルさんも無事なんだよね??」
すると、ランスロットの表情が一瞬曇る。が、すぐに、「あ、あぁ……、勿論だよ!」と答える。彼にしては歯切れの悪い返事にマリオンは不安を覚えたが、ランスロットは嘘をつかない、つくのが下手な男なので無事には無事なのだろう、と思い、あえて何も聞かなかった。
「おっ、マリオン!帰ってきたか!!」
噂をすれば何とやらで、ハルが姿を現した。
「ハルさん!!」
「てことは、男爵に手紙を無事に渡せたんだな??よくやった!!」
ハルは、左手でマリオンの頭をポンポンと軽く叩く。
(あれ??ハルさんって、確か右利きじゃなかったっけ??)
不審に思ったマリオンは、さり気なくハルの右手に視線を移す。途端に、言葉を失った。包帯がグルグルと巻かれたハルの右手の指が、一本足りなかったからだ。
「あぁ……、ちょっと小指をやられちまっただけだ。大した怪我じゃない」
マリオンの様子に気付いたハルが、自嘲気味に苦笑いを浮かべる。
「……ごめんなさい……」
「お前が謝ることじゃねぇ、気にすんな」
「……だって、僕の付き添いなんかしなければ……」
「だからよ、俺が好きでお前の護衛に付いただけだし、これは自己責任だ。前にメリッサにも言った言葉をお前にも言ってやる。俺の運が悪かっただけで、お前のせいじゃない。それでもまだウジウジと自分を責めるつもりなら、こっちの手でボコボコに殴ってやるから」
「…………」
「華やかな反面、危険も多い歓楽街で生まれ育った分、喧嘩はお手のものだ。左手とはいえ、俺の拳は結構利くぞ??」
「……遠慮しておきます……」
「じゃ、自分を責めるのはやめろ」
「はい……」
二人のやり取りをずっと見ていたランスロットが呆れて溜め息をつく。
「マリオン。イアンのおやっさんの、自分を責める癖にいつもげんなりしている割に、お前もしっかり引き継いでるぜ??」
「えっ、やめてよ……」
「あと、ボス。マリオンも帰ってきたことだし、いい加減医者に行ってもらいますよ??」
「はいはい、分かりましたよっと。あーあー、ランスに一本取られちゃ終わりだぜ……」
「あんたなぁ……」
そう言うランスロットも、ハル同様に擦過射創による傷が身体のあちこちに付いている。傷だらけの二人の姿に心を痛めながらも、マリオンは努めて明るい口調で言った。
「ランスだって、ボロボロじゃないか。今度は僕がラカンターで留守番するから、二人共医者に行ってきなよ」
マリオンは、シーヴァがイアンに向けてよくやっている、手でシッシッと追い払う仕草をして二人に医者へ行くよう促す。
その時、施錠してあるはずの玄関の扉をけたたましく叩く音が聞こえてきたのだった。




