ファインズ男爵②
(1)
ダドリー・R・ファインズーー。
この街を二百年以上に渡り統治し続けている男爵家の現当主であり、この街の最高権力者でもある。明晰な頭脳と常に冷静沈着で何事にも動じない性格を持ち、冷たくも完璧な美貌を誇る男だ。
爵位を受け継ぐ前は、毎晩のように歓楽街の娼館や賭博場、酒場に取り巻きを引き連れては金を湯水のように使って派手に遊んでいたらしいが、伯爵家の令嬢と結婚し爵位を継ぐと、それまでの放蕩振りが嘘のように落ち着き、街の統治に尽力している。
クリスタル・パレスを建設した理由も、街の内外の人々が観光に訪れることによる経済効果を図るための他に、昨今の不況により職を失った人々に働き口を与えるためでもあったという。
そして、その彼こそがマリオンと血の繋がった実父であった。
一度は自分を実の子だと認めず、すげなく突き放した父が同じ馬車という狭い空間の中で、向かい合わせになって座っている。
極度の緊張と畏怖の念を抱え、顔を俯かせてガチガチに身を強張らせるマリオンとは対照的に、ダドリーは座席の背に深く身を持たれ掛けさせ、相変わらず悠然とした様子で手紙の中身に目を通していた。
馬車に乗り込んだ当初、クロムウェル党の銃撃から逃れようと、馬を全速力で走らせたことにより馬車が激しく揺れる中、手紙をダドリーに手渡すだけで精一杯だった。だが、追っ手が迫って来ないことが分かった今では通常の速度に戻っているというのに、マリオンにはダドリーと言葉を交わす余裕など皆無であった。
カサリ、カサカサカサ。
数枚の紙同士を重ね合わせる音が聞こえた。
ダドリーが手紙(クレメンスとハーロウの間で交わされていた、様々な契約及び、各事件の計画書等)を全て読み終え、紙をたたんだ音だった。
「……クロムウェル党とメリルボーンとの間に黒い繋がりがある、とは噂では耳にしていたし、実際に証拠を掴もうと部下達に調べさせてもいたが……。首領のハーロウ・アルバーンが警察上層部と繋がりを持っていたこと以上に、奴がファインズ家より位が上の子爵家出身ということで、命令に逆らえなかったのだろう。警察ぐるみで私の部下達の仕事を妨害されて、中々証拠が掴めなくてね。だが、アルバーンが殺害され、残りの党員たちが愚かな行動を起こし、更にはメリルボーンとクロムウェル党との繋がり及び、昨今起きた、数々の凶悪事件の真相を示す証拠が得られた。これでクロムウェル党を壊滅させ、街の秩序と安全を守ることが出来るだけでなく、ようやくあの狐顏の狸爺を失脚させられる。あの男、元を質せば中流の成金上がりの癖に、ファインズ家に取って代わりこの街を支配したがっていた。全くもって、目障りで仕方がなかったよ」
ダドリーは、右側の頬をピクリと僅かに動かし、薄い唇を歪める。
メリルボーン家を潰せることが愉しいと言わんばかりの表情に、マリオンの背筋にゾッと寒気が押し寄せる。やはり、この男の冷酷さが恐ろしくて堪らない。
「マリオンとやら。何故、レディ・イングリッドはこの手紙を自分自身で私に渡すのではなく、お前に預けたのだと思う??恐らく、彼女の罪を少しでも軽くして欲しい、と、お前が私に嘆願してくれると踏んでの事だろう。もしくはお前が手紙を渡すことに失敗した場合、全責任を擦り付けるためかもしれない。どちらにせよ、父親に似て食えない女だ」
「……それは、違……」
「違わないだろう??そこまで考えなかったのか。これだから、下層で育った人間は頭が回らなくて、ほとほと嫌になる」
ダドリーの嘲りに対し、反論の余地がないマリオンは再び黙り込んでしまった。そんな彼の様子を見下すように眺めつつ、ダドリーは言葉を続ける。
「……まぁ、お前が何を思ってこの手紙を渡してきたのか、私にはどうでもいいことだ。結果的には、この手紙のお蔭でいくつかの問題が解決されるのだから」
そう言うと、ダドリーはマリオンの、自分と同じコバルトブルーの瞳をじっと見つめる。
「相応の褒美はくれてやる。お前の望みは何だ??」
「…………」
マリオンはしばらく逡巡したのち、ダドリーの瞳を真っ直ぐに見返しながら答える。
「……僕の望みは、愛する家族や仲間、恋人と、穏やかに暮らせる日々が再び訪れることです」
ダドリーは拍子抜けでもしたのか、僅かに目を見開き、軽く瞬きを二、三度繰り返すも、すぐにいつもの鉄面皮に戻り、再び口を開く。呆れたような、馬鹿にするような口調で。
「そんなもの、この手紙を元にクロムウェル党の残党やメリルボーンを逮捕してしまえば、嫌でももうすぐ訪れる」
「それならば、僕が望むものなど他にはありません」
マリオンは、一段と強い口調ではっきりと言い切る。が、数十秒の沈黙を得て、遠慮がちに言葉を発した。
「……あの、男爵様……」
「何だ」
「……やはり、一つだけ、いいでしょう……か??」
「構わない。さっさと言うなら言え」
ダドリーの無感情で冷たい口調に怯みつつ、マリオンは望みを口にした。
「イングリッド様への刑罰は、なるべく軽くして欲しいのです。確かに、あの方も犯罪に加担してはいました。けれど、それはクレメンス様に半ば強制的にやらされていたことですし……」
「それは出来ない話だ。レディ・イングリッドは何人もの人間を手に掛けているし、この手紙にも彼女が犯した罪の証拠がいくつか残されている。本来ならば死刑に処されてもおかしくないが、情報提供したことでの差し引きで死刑は免れるかもしれない。だが、おそらく終身刑を下されるだろう」
「そんな……」
ダドリーの非情な言葉に、マリオンは愕然となり絶句する。
「……それでは、残されたメリルボーン家の人々の生活と身の安全を守っていただけないでしょうか……。イングリッド様とクレメンス様は罪を犯しましたが、他のご家族は清廉潔白な方々です。だから……」
「甘い。罪を犯すと言うことは、親族が日陰の身となり、生き辛くなることまでが含まれている」
「…………」
ダドリーの言葉はどれも至極正論である。マリオンも頭では充分理解しているつもりだが、それでもイングリッドや(クレメンス以外の)彼女の家族の今後がどうにかならないものか、と足掻きたくなるのだ。
「何故、お前はそうまでしてレディ・イングリッドを庇おうとするのだ??彼女に何か弱みでも握られているのか、はたまた、彼女のトイ・ボーイなのか??」
マリオンはすぐさま頭を激しく横に振り、否定の意を示す。
「もしくは、恋慕の情でも抱いているのか??」
イングリッドのことを慕ってはいるが、それはシーヴァの場合と同じく、肉親に対する情に近いものだ。マリオンは再び首を横に振る。
「分からぬ奴だ。まぁ、お前に関して言えることは、馬鹿が付くくらいのお人好しで底抜けに純粋な人間だ、というところか。外見こそ、私とエマの両方に似ているが、性格はどちらにも似なかったようだな」
マリオンはたった今ダドリーが発した言葉に耳を疑う。そして、ダドリーの顔を、穴が空くのではと思うくらいに凝視した。
(2)
「たった九年程度で忘れる程、私の記憶力は低下していないが??」
「……で、でも、あの時、男爵様は確かに、僕を自分の子でないと……」
「あぁ……。あれは、メリルボーンがお前を利用してつまらぬ計画を立てているのが透けて見えていたからだ。最も、私の妻は嫉妬深い女ゆえ、計画云々関係なくお前の存在を公に認める訳に行かなかったがな。お前がどういう経緯を持ってして下層社会で生活するようになったかは分からないが、エマはどうしたのだ??」
「母は……、九年前……、僕が男爵様と対面する直前に流行病で死にました」
「そうか……。身の程を弁えない、尊大さと傲慢さに天罰が下ったのだろう」
「……なっ……」
確かに、エマはクレメンスの愛人になった途端に散財と放蕩の限りを尽くし、クレメンスを困らせていただけでなく、実の子であるマリオンを忌み嫌い、育児放棄していたのだ。『顔こそ美しいが、性格は最低最悪で下品な我が儘女』だと、メリルボーン家の使用人及び、クレメンスの正妻から陰で非難されていた程だった。
「……では、何故、男爵様は母を見初めたのですか……」
「率直に言うと、若気の至りだ。当時、私は大学を卒業したばかりの青二才で、まだ女というものが分かっていなかった。そこにエマが付け込んできたのだ。貧しい暮らしから脱却して贅沢な暮らしがしたかったエマは、私を誑かして行く行くは愛人くらいには収まりたかったらしい。だが、まだ爵位を引き継いでいない私など何の力も持っていない上に、先代である父に彼女との関係が見つかってしまった。エマが仕事を辞めさせられる直前に、メリルボーンが愛人として彼女を引き取りたいと申し出て、体のいい厄介払いが出来たという訳だ」
「…………」
「お前は、自分が両親に望まれて生まれた子供だと思ったのか??残念だが、エマも私もお前の存在など別に望んでいなかった」
ダドリーの話が進むに連れ、マリオンはどんどん項垂れていったが、自分でも驚く程にショックを感じてはいなかった。むしろ、「ああ、やっぱり。そうだろうとは思っていた」と妙な納得をしていただけだった。それはきっと、マリオンにはすでに家族と呼ぶべき存在がいて、お互いに必要とし合っていることが確信できているからだった。
そうこうしている内に、馬車はファインズ家の屋敷の前に到着した。
「マリオン。手紙の件に関しては礼を言おう。それとイングリッド・メリルボーンの減刑、残されたメリルボーン家の人間の保護に関しても、一応の考慮はしてみよう」
「……あ、ありがとうございます……」
「そういう訳だ。ところで、屋敷に着いたから、お前はもう馬車から降りてくれないか。私とよく似た容姿のお前の姿を家の者に見せたくない」
「……あ、はい……」
ダドリーの厳しい口調に追い立てられるように、マリオンは慌てて馬車の扉を開けて、外へ降り立つ。
「それと」
扉を閉める直前、ダドリーはマリオンの方に目をくれようともせずに、冷たく言い放った。
「私の前に二度と現れないでくれ」
「……分かっています……」
ダドリーがマリオンにそれだけを告げると、馬車は開かれた門を潜り抜けるようにして中に入り、徐々に小さく消えていったのだった。
馬車が通り抜けた後、すぐに閉ざされてしまった門の前でマリオンは立ち尽くしていたが、「……早くラカンターに戻らなきゃ。ランスとハルさんに心配掛けちゃうな……」と、誰に言うでもなく小さく呟く。
実の両親からは望まれていなくとも、自分の身を真剣に案じてくれる人達がいてくれる。それだけで、もう充分すぎるくらい充分だ。
帰ろうーー。
マリオンは、駆け足で一気に走り出したのだった。