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ファインズ男爵①

(1)


「イングリッド姉様――!!!!」

 劇場中から上がる人々の悲鳴と共に、マリオンがイングリッドの名を叫び、反射的に舞台に飛び込みそうになった時だった。

「殺されたくなきゃ、全員大人しくしろ!!」

 ドスの利いた男の太い声が一階席後方から聞こえてきたのだ。

「おいおい、ありゃ、もしかして……」

 マリオンを制止するため、ランスロットと二人掛かりでマリオンを押さえ込みながら、ハルが苦々しげに薄い唇を歪める。

「クロムウェル党のお出ましってか……」

 敵は多数いるようで、一階席後方に一人、一階席の左右に各一人、二階席及び、三階席の左右と後方にも各一人ずつ、銃を客達に突きつけている男達がそれぞれ立っていたのだった。

 ハルとランスロットに押さえ込まれつつ、マリオンは二人と共にイングリッドを狙撃した犯人であろう、一階席後方の男に目を向ける。

「……あ……」

 あれは、駅から歓楽街に逃げ込んだ自分を暴行した、バリーと呼ばれていた鼠男ではないか。

 鼠男は、あの時以上に凶悪な顔付きをして、人々を一睨みするとこう叫んだ。

「おい、お前らに良いことを教えてやろう!あそこに座っている、目付きの悪いクソジジィだが……」

 鼠男は、クレメンスに注目させるべく、二階のボックス席に指を差す。

「あいつは、俺達、クロムウェル党を狩るとか言って警察に全面協力しているみたいだが……。頻発していた通り魔事件も、リバティーンとかいうコーヒーハウスの店主達を殺したのも、みーんな、あいつに指示されてやらされていたんだよ!!あいつだけじゃねぇ、あそこで血流して倒れているあの女狐も共犯だ!しかも、あの女も単独で何人も殺している!!」

 途端に、人々の間でどよめきが起こり、パニックを起こす者、怒りを露わにする者、動揺して泣き出す者……、と様々な反応を見せ、劇場内は尋常でないくらいに騒がしくなった。

 当のクレメンスは、突然の告発によりしばし呆然としていたが、隣の席に座っていたダドリーから冷たい視線を送られたことにより、我に返る。

「ファインズ男爵様、こ、これはですな……、奴らが……」

「……別に、私は何も言っていないが??」

 ダドリーは緊急事態に直面しているにも関わらず、椅子の肘掛けの上に頬杖をつき、悠然としている。

(この男……、単に空気が読めないだけなのか、それとも、この騒ぎを楽しんでいるのか……)

 昔から、クレメンスはダドリーが苦手であった。

 冷たい美貌の奥底で何を考えているのか、さっぱり読めないからだ。

 ダドリーの視線から逃れるように、クレメンスは席を立つとバルコニーの手すりに掴まりながら、鼠男に向かって叫ぶ。

「さっきから聞いていれば……、証拠もないのに勝手な事ばかり言いおって……。儂を誰だと思っている!お前達など、警察に引き渡し次第、即刻死刑が下されるように取り計らってやるわ!!」

 よもや頭の血管が切れるのでは……、と思う程、額に青筋を立て、熟れた林檎のようにクレメンスは顔を赤くさせている。大声を出し過ぎたせいで、ぜぇぜぇと息を荒げて。

 ダドリーは、そんな彼を相変わらず冷ややかな目で眺めている。

「証拠??そんなもんはいらねぇよ。俺達はただ、お前ら父娘に報復したいだけだ。散々利用しておいて、都合が悪くなった途端に手の平返しやがってよ」

 怒りに駆られるクレメンスを鼠男は鼻で笑い飛ばすと、再び客達に話し掛ける。

「なぁ、お前ら、俺達と取引きをしないか??クレメンス・メリルボーンとその娘イングリッドを捕えて引き渡し、俺達を逃がしてくれれば、お前らの命は助けてやる。ただし……、もしも引き渡さなければ、この場にいる奴ら全員殺す。どうだ??たった二人の命で、ここにいる約二百人の命が助かるんだ。悪い話じゃないだろう??」

「なっ……!」

 鼠男の言葉にマリオンは絶句し、ランスロットは「あいつら、本当にクソだな……」と、眉間と鼻に皺を寄せる。

 クレメンスは、老人とは思えぬ素早さで、慌てて席に戻って身を隠した。

 マリオンは舞台をチラリと横目で見てみる。

 他の劇団員に抱きかかえられながら、顔面蒼白のイングリッドは床に寝かされている。

 撃たれた箇所が急所ではないものの流血が酷く、一刻も早く手当をしなければ、失血死してしまうだろう。

 クレメンスはともかく、イングリッドを絶対に死なせたくないマリオンの気持ちを読み取ったのか、ハルが提案を持ち掛けてきた。

「おい、マリオン。お前、足は速いか??」

「えっ??」

「……いざという時のために、燕尾服の内ポケットの中に銃を仕込んでおいた」

「……ハルさん、何をする気ですか??」

 ハルはいつになく真剣な面持ちで、こう言った。

「俺が囮になって、あいつらに銃をぶっ放して引きつけるから、その隙にお前とランスであの女を舞台から連れ去るんだ」

「ちょっ……!そんなことしたら、ハルさんが死んじゃいますよ?!」

 マリオンはランスロットにも自分の意見に同調してもらおうと、彼に助け舟を求めるが、ランスロットは下を向いて唇を噛みしめている。

「ランス……??」

「……俺も考えたけどよ……。他に何か方法あるか??」

「……待ってよ。そんなの僕は嫌だ……」

「嫌だじゃねえよ、マリオン。あの女を死なせたくないんだろう??」

「だからって、ハルさんも死なせたくなんかないです!!」

「おい!そこ、何を騒いでいやがる!!」

 マリオンがつい張り上げた大声に、一階席左側にいた男が銃口を向けてきた。

「チッ!」

 ハルが燕尾服の内ポケットに手を差し入れ、銃を抜こうとした時だった。


 パン!パン!!パン!!


 大仰に喧しく手を叩く音が聞こえ、悲鳴を上げかけた人々は黙り込み、男達も銃の引き金を引きかけた手を思わず止めて、その場に居る全員が音のする方向に注目する。

 手を叩く音はまだ鳴り止まず、むしろその存在に気付けと言わんばかりだ。

 マリオンは、音の聞こえる場所と鳴らしている人物を確認すると、驚きの余りにコバルトブルーの瞳を見開いたまま、固まってしまった。

 手を叩いていた人物は、ダドリー・R・ファインズ男爵だったからだ。


(2)


 ダドリーは、会場中の人々全員の視線が自分に集まったことを確認すると、手を叩くのを止める。隣では、クレメンスが気味悪そうにダドリーの行動を眺めていて、彼の腹心が顔を青くしながら、「男爵様、おやめください!!」とダドリーをこの場から退席させようと必死に取り縋っている。

「エイドリアン、手を放せ」

 腕を引っ張る部下に、ダドリーは冷たく言い放つ。

「なりません!」

「放せと言っているだろう??これは命令だ」

 ダドリーが目を細め、わずかに険しい顔付きをすると、腹心の男は更に顔を青くさせた後、すぐに手を放した。その部下を一瞥すると、ダドリーは先程のクレメンスと同じく、バルコニーの手前に姿を見せる。

「クロムウェル党とか言ったな」

 低い声質と淡々とした口調ながら、はっきりした声でダドリーは客達やクロムウェル党の男達に話し掛ける。が、次に、彼が口に出した発言と行動に誰もが耳と目を疑った。

「お前達は、本当に頭が悪いのだな」

 そう言うと、ダドリーは可笑しくて堪らないとばかりに、「くっ……」と声にならない笑い声を上げ、必死で噛み殺そうとしたのだ。その様子を目の当たりにした人々は、ただただ茫然とし、中には「男爵様は、気でも違われたのだろうか……」と不安に駆られる者すらいた。

 鼠男も、ダドリーの姿にしばしポカンと間の抜けた面を晒していたが、やがて、「何が可笑しい!!」と、今にも発砲しかねない勢いで逆上し始めた。

 そんな彼に、ひどく蔑むような視線を送るとダドリーは更に続けた。

「勘違いしているようだが、この街の統治者はメリルボーンではなく、私だ。その私の目の前で、お前達は過去の悪行を晒し、今また罪を犯している。メリルボーンへの復讐心に駆られるのは勝手だが、私に全てを知られた以上、お前達にとって一番始末するべきは私ではないか??」

 それだけ言い残すと、ダドリーは心底呆れていると言いたげに肩を竦め、バルコニーから姿を消したのだった。

 馬鹿にされた鼠男はしばらくの間、怒りで身体をワナワナと震わせていた。他の仲間は人々に銃口を向けつつ、鼠男からの指示を待っている。

「おい、計画は変更だ。まずはファインズ男爵を殺せ。メリルボーン達は、その後でいい!!」

「こいつらはどうするんだよ!?」

「何の権力も持たない奴らじゃ、大した真似なんかできない。だから、解放しろ!その代わり、男爵を探し出して殺せ!!」

 仲間達はやや戸惑いながらも鼠男の言葉に従い、銃を下ろすと、脱兎のごとく劇場から次々と姿を消していく。解放された人々も、我先にと劇場の外へ逃げ出そうと躍起になり、あっという間に出口は人だかりが集まった。中には、順番を守らず横入りしようとして、喧嘩を始める者もいた。

 必死で逃げ惑う人々を他人事のように眺めながら、マリオン達は自分の席で騒ぎが落ち着くのを待っていた。

「信じられねぇ……、あれじゃ、どうぞ自分を殺してくださいと言っているようなものじゃねぇか!!」

 ランスロットが、先程のダドリーの行動の意味が掴めずに混乱していると、「多分、自分一人に狙いを集中させることで、他の人間を守ろうとしたんだろうよ」と、ハルが説明する。

「おい、マリオン。計画は中止だ。俺達も早く逃げた方が……」

「駄目です!!」

 ハルの言葉を遮って、マリオンは叫ぶように言い切る。

「こんな事態になったからこそ、一刻も早く男爵様に手紙を渡さなきゃ!!」

「マリオン!どこへ行くんだ!?」

 ハルの問いに答えるよりも早く、マリオンは並んでいる人が一番少ない非常口に向かって走り出していた。

「ったく、仕方ねぇな……」

 ハルとランスロットも、マリオンの後に続いて、非常口へと続いたのだった。

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