裏の裏
(1)
「計画はどうやら失敗したようね」
手下からの報告を受けて心中穏やかではない、と言った、苦々しげな表情を浮かべているハーロウに、イングリッドが話し掛ける。どこか侮蔑するような言い回しで。
「お父様は完璧主義者だから、たった一度の失敗すらも許さないわよ」
「黙れ、女狐」
「ようやく本性を現したわね」
「黙れと言っている」
ハーロウは、強引に力ずくでイングリッドをベッドに押し倒す。
「触らないで、汚らわしい。計画に失敗した以上、貴方は直にお払い箱になるわ。だから、私が貴方の情婦でいる必要もなくなる」
バシッ!!
肉を打つ乾いた音が部屋に響く。
「顔は殴らないでくれる??女優にとって顔は商売道具であり、命なのよ??」
さすがのイングリッドも顔付きを険しくさせ、怒りの感情を露わにするものの力に物を言わせた男に敵う訳もなく、ハーロウのされるがままに身を奪われてしまったのだった。
事が終わると、ハーロウはテーブルに置かれたアブサンをグラスに注ぎ、喉に流し込む。
直後、呼吸困難と心臓発作のような症状が彼を襲い、喉と胸を押さえて膝から床に崩れ落ちる。
「どう??数種類の毒物と阿片を混ぜた、アブサンのお味は??」
一糸纏わぬ姿のままベッドの上で寝そべりながら、歌うように軽やかな口調でイングリッドはハーロウに尋ねる。ハーロウは目を見開き、ヒューヒューと苦し気な呼吸を繰り返すのみで、イングリッドの問いに答えることが出来ない。
「あら、言葉に出せない程美味しかったの??それは良かったわ。ちなみに、全て致死量以上で入れてあげたから!」
イングリッドは妖しげな笑みを浮かべると、大量の血を口から流し出したハーロウをベッドの上に引っ張り上げる。
「貴方の死因は毒殺ではなく、ベッドでの腹上死ってことにしておいてあげるわ」
衣服を身に着けたイングリッドは、瞳孔を開いて冷たくなったハーロウを一瞥すると、彼の机の引き出しの中から、クレメンスからの手紙を探し出す。
「……これでいいでしょ??お父様」
(2)
メリルボーン家及び工場に害をなす者の徹底排除をクロムウェル党に行わせつつ、その裏で、クレメンスはクロムウェル党を潰そうとしていた。
だから、彼らが命を狙っていたメリッサの恋人がマリオンだと知ったイングリッドは、わざとマリオン達に計画を密告したのだ。メリッサを取り逃がすことにより、ハーロウ及び、クロムウェル党に制裁を加える口実ができるからだ。
ハーロウさえ亡き者にしてしまえば、所詮は頭の悪いただのチンピラ達の集まりでしかないので、後は適当な理由をつけて、党員を少しずつ始末していけばいいだけだ。
なぜ、大規模な工場経営者でしかないクレメンスが、裏社会の悪党退治にまで手を拡げようとするのか。
それは、街の治安を脅かす悪党を始末することで、街の人々のメリルボーン家への信用を取り戻す為、引いては、ファインズ男爵家を失墜させる為であり、クレメンスがファインズ家に代わり、この街の統治者になるという野望を長年抱いていたからだった。
だが、昨今の不況により、ファインズ男爵が工場の買取り及び、経営権の譲渡を申し出てきたのだ。当然、クレメンスはその申し出を跳ねつけたが、彼の考えとは裏腹に工場は倒産の危機に陥ってしまった。
そこで、賃金のかかる家庭持ちの従業員を全員解雇した。非常に合理的ではあるが、非人道的な方法により、街の人々の不興を買ってしまったのは言うまでもない。
ならば、メリルボーン家以上にファインズ家の信用を落としてしまえばーー、と考えたクレメンスは、メリルボーン家への危険分子排除を理由に、クロムウェル党に悪事を働かせて、街を荒らした。そして、彼等を捕まえられず、のさばらせているファインズ家に怒りの矛先を仕向けさせたところへ、クロムウェル党を壊滅に追い込む。統治者でありながら、何もできなかったファインズ家は、おそらく人々からの信用を失うだろう。そして、クレメンスを統治者にするべきと声を上げだすだろうーー、それがクレメンスの思惑だった。
しかし、クレメンスは街の人々の事を甘く見過ぎていた。
彼が思っているよりも人々は愚かではなかったし、全ての不安や怒りの矛先がメリルボーン家に向けられているなどと、思ってもいなかったのだった。
イングリッドは父の傲慢さと甘さを分かっていながら、あえて彼の命令に従い続けていたが、近頃では、本当にこれでいいのか、と彼女の中で迷いが生じ始めていたのだったーー。




