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メリッサ

(1)


 コーヒーハウスはその名の通り、コーヒーや煙草を嗜みながら、新聞や雑誌を読んだり、とりとめのない世間話から政治談議まで気兼ねなくお喋りできる、言わば人々の社交の場であった。ここでは、女性客ではなく男性客が中心となっていて、中には一定数の人々が一つの趣味や目的を持って集まる、『俱楽部』と呼ばれるものも発足されていた。

 マリオンとランスロットは、歓楽街の中に立ち並ぶコーヒーハウスの中でも比較的安価な「リバティーン」と言う店に立ち寄った。

 店内の壁は薄汚れていて所々にヒビが入っており、雑然とした雰囲気で清潔感が余り感じられない。更に、煙草の煙がモクモクと漂い、ヤニ臭さが店中に染み付いている。煙草が苦手なマリオンは少しだけ顔を引き攣らせたが、清貧の自分やランスロットが足を踏み入れられるような店は、ここくらいしかないので観念して中に入る。

 二人は、カウンター席の一番右端に腰を下ろす。すると、すぐに若い娘が注文を取りにきた。

 マリオンは娘の顔を見るなり、あっ、と声を上げそうになった。

 素顔に近い薄化粧や、きっちりと編み込んだ髪に真っ白なシャツと黒いスカート姿という質素な出で立ちで、いつも見ていた姿とは随分様変わりしているが、間違いなく彼女だ。

 娘も彼の事を覚えていたようで、アイスブルーの大きな瞳を更に拡げて驚いている。

「……君は……」

「貴方は確か……」

「メリッサ……だよね??」

 娘は一瞬だけ押し黙ったが、すぐに「えぇ、そうよ。マリオン」と、太陽のようにとびきり明るい笑顔を見せた。

「奇遇ね。私、この店で働いているなんて一言も話さなかったのに。でも、こうして昼間に会えて嬉しいわ」

「僕もだよ。こんなところで君に会えるなんて」

 つられて、マリオンもニコリと微笑む。

「おい、メリッサ!客に油なんか売ってないで、さっさと注文取れよ!!」

 すかさず、店主らしき中年男がメリッサを怒鳴りつける。

「いっけない、あの人、客と必要以上に話しているとすぐ怒るから……」

 メリッサはペロッと小さく舌を出すと、マリオンとランスロットから注文を取り、すぐさま厨房の奥へと引っ込んでしまった。

「ねぇ、ランス」

「何だよ??」

「もしかして、メリッサが昼間はこの店で働いていることを知ってて、僕を誘ったの??」

「さぁな」

 ランスロットは白々しくとぼけてみせるが、嘘をつくのが下手な性分の為、マリオンはくすくすと声を立てて笑う。

「ランス、ありがとう」

「だから、俺は知らねぇよ」

 マリオンの真っ直ぐな視線から逃げるように、ランスロットはカウンターに肘を着いたまま、ぷいっと顔を背けてしまった。


(2)

 イアンとシーヴァの間に二人目の子供、アリスが生まれたことをきっかけに、「少しでも家計を助けたい」と言う理由で、マリオンはランスロットが働く大衆酒場「ラカンター」で週に何度かの夜、働かせてもらっていた。そこで、客を引く為にその店によく訪れる街娼のメリッサを見掛ける内、マリオンは図らずも彼女に恋をしてしまったのだった。 

 メリッサは、ストロベリーブロンドの長い髪とアイスブルーの大きな瞳が特徴的で、特別美人とか綺麗という訳ではなかったが、彼女は周りにいる者を明るい気分にさせてくれるような笑顔を常に振りまいていた。それは媚びを含んだものではなく、ごく自然な明るい表情で、マリオンは周囲に気付かれないよう、その笑顔をそっと見つめていたものだった。

 だから、彼女が客を連れて夜の街へ消えていく後ろ姿を見送ることは、何よりも耐え難かった。

「マリオン、そんなにメリッサが気になるなら、声掛けてみりゃいいだろうが」

 ある日、いつものようにメリッサが店に訪れた時だった。

 共に皿洗いをしていたランスロットが(彼は用心棒ではあるが、普段は店の厨房でマリオンと共に皿洗いや簡単な軽食を作ったりしている)、唐突にそんな台詞を投げ掛けてきたのだ。

「はっ??えっ??何言ってんのさ、ランス?!」

 動揺したマリオンは、危うく皿を落として割ってしまうところだった。

「馬鹿、お前何やってるんだよ!皿なんか割った日にゃ、ボスにどつかれるぞ?!」

「ご、ごめん……。と、言うより……、ランスが変なこと言うからだろ?!」

「はぁ??別に変じゃねぇよ。つーか、お前は隠してたつもりかもしれないけど、無意識にメリッサをガン見してるからバレバレ」

「えぇ……!!」

 ランスロットに指摘されたマリオンは、恥ずかしさの余り、顔を紅潮させる。

「お前は生娘か……。もうすぐ十九だってのに、初すぎるのも程があるぞ……」

「ランスが遊び過ぎなんだよ……」

「でも、俺の本命はシーヴァさん一筋だから!」

「いや、シーヴァはイアンさんの奥さんだってば……」

 最早何も言うまいと、溜め息をつきながら皿洗いに集中しようとしたマリオンだったが、「おい、ランス、マリオン!お前ら、何を無駄口叩いているんだ!!」と、ラカンターの店主、ハルが厨房に怒鳴り込んで来た。

「ちょっと、ボス。聞いて下さいよーー。マリオンの奴、メリッサに惚れてるみたいなんです」

「ちょっ……!ランス!!」

 普段は大人しいマリオンも、ランスロットのいきなりの密告につい声を張り上げる。

「何だーー、マリオン。そうなら、とっとと言ってくれりゃ、協力したのに」

「……はい??」

 マリオンは、ハルの予想外の言葉に間の抜けた返事を返す。そんなマリオンなどお構いなしに、ハルとランスロットが勝手に話を進め始める。

「ランス。もしかして、マリオンは女を知らないのか??」

「多分。いや、間違いなく、こいつはまだ童貞です」

「何だって?!十九になるってのにか?!」

「そうなんですよーー。いくら、イアンのおやっさんに大事に育てられてきた箱入り息子とはいえ、男としては由々しき問題ですよねぇ」

「よし、マリオン!今日はもう上がれ!!帰るついでにメリッサを買ってこい!!」

「はいぃぃぃっ?!」

 一体、何がどうなって、そんな話になってしまうんだ。

「ちょ、ちょっと待ってください!そんな、女の人買うお金があったら、僕は少しでも家計の足しにしますよ!!それに、朝帰りなんてした日にはシーヴァに殺されかねません!!」

 マリオンは、ランスロットとハルに真っ向から反発する。が、その程度で二人が引き下がるはずがない。

「よし、わかった!!金なら俺が出してやる!!餞別だ!!これでいっちょ、男になって来い!!」

 ハルがマリオンの掌の中に、二枚の金貨を無理矢理押し込む。

「大丈夫だ、俺に朝まで無理矢理飲みに付き合わされたって、シーヴァさんに言っておけ」

 ランスロットが右手の親指をグッと立てて、マリオンに笑い掛ける。

「四の五の言わずに、とっとと行け!マリオン!!」

 そして、マリオンはランスロットとハルに半ば追い出される形で厨房を後にさせられたのだった。


(3)


「あ、あの……」

 その夜は適当な客が見つからないのか、カウンターから少し離れた二人掛けのテーブル席で一人酒を飲んでいたメリッサに、マリオンはおずおずと遠慮がちに声を掛ける。

「なあに??あら、お兄さん、良い男ね」

 メリッサはマリオンの顔を見るなり、にこやかに優しく微笑む。

 いつも遠くからしか見ていなかったが、近くで見たメリッサは丸顔で少し幼い雰囲気だった。ひょっとすると、自分と同じくらいの年齢か、少し下かもしれない。

「あ、あの……」

「??」

 見れば見る程メリッサの笑顔が余りに愛らしいので、マリオンの胸は激しく高鳴り、緊張による鼓動の速さに気を取られて言葉が続かない。そんな彼を不思議そうな顔でじっと見つめていたメリッサは、「お兄さん、もしかして、私を買ってくれるの??」と尋ねた。

「か、買うだなんて。そんな、そんなつもり……じゃなく……」

「じゃ、何なの??」

 駄目だ。このままでは、彼女が呆れるか苛立つかして、、目の前から去ってしまう。

「僕、マリオンって言うんです……!メ、メリッサさん!!貴女と、一度話がしてみたかったんです!!」

「…………」 

 メリッサは、アイスブルーの大きな瞳を真ん丸に見開き、口をあんぐりと開けてマリオンを凝視する。

(……ん??僕、何か、変なこと言っちゃったのかな……)

 恐る恐る、メリッサの様子を伺ってみると、何やら小刻みに身体をプルプルと震わせている。しまった、やらかしてしまったか。

「……あ、あの……」

「あっはっはっはっはーー!!」

 もう我慢の限界だ、とばかりに、メリッサは腹を抱えて大声で笑い出したため、今度はマリオンが口をあんぐりと開ける羽目になった。

「あはははは、って、ごめんねーー。街娼でいる時に、そんな風に声を掛けてきた人なんて誰もいなかったから、吃驚しちゃって……。で、ついつい、笑いが込み上げてきてしまったの。別に、貴方を馬鹿にして笑ってる訳じゃないからね」

「そ、それなら良いんだけど……」

「いいわよ。話くらいなら、いくらでも付き合ってあげる。どうせ今日は良さげな客もいないし、もう今日はやめやめ!!」

 そう言うと、メリッサは自分の向かい側の席を指差し、「そう言う訳でお兄さん、此処に座りなよ。こうなったら、朝まで付き合うわよ??」と、好奇心を瞳一杯に滾らせ、悪戯っぽく笑い掛ける。

 結局、マリオンとメリッサはラカンターの閉店時間まで飲みながら話していただけでなく、朝まで開いている別のパブに移動し、一晩中彼女と語り明かしたのだった。そして、ハルに貰った金貨は二人分の飲み代として消えたのであった。


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