表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/41

本性

 一通りの家事を済ませた後、シーヴァはノエルとアリスをメリッサに預け、近所に住むカーラの家へと出掛けた。カーラが親戚から貰った山羊のミルクを分けてくれるということだったので、少し大きめの甕を腕に抱えながら。

 甕の中に乳白色の液体を注いでもらいつつ、しばらくの間、シーヴァはカーラと世間話を交わしていたが、「家で子供達が待っているし、主人が帰ってきているかもしれないから」と、用が済み次第、すぐに家路を辿った。

 シーヴァが歩みを一歩進めるごとに、甕の中でタプンタプンと液体が跳ねる音が聞こえてくる。アリスがまだ乳離れしていない上にシーヴァの乳の出が余り良くない分、山羊のミルクは必需品だし、それがタダで手に入ると言うのだから、相当有り難い事である。

(今度、カーラに何かお礼を返さなきゃね……)

 どういう形でお礼を返そうか、思案しながら歩いていたシーヴァの前に突如、エゴンが姿を現した。

「これはこれはシーヴァさん。こんなところで会うとは、奇遇ですね」

「…………」

 途端に警戒心を剥き出しにするシーヴァに構わず、エゴンは彼女に尚も話し掛け続ける。

「そんな大きな甕を女性が運ぶのは大変でしょう。お手伝いしますよ」

「あと少しで家に着きますし、結構です」

 これが他の人であれば素直に言葉に甘え、甕を運んでもらうところだが、成るべくエゴンと関わり合いたくないシーヴァは、あえて彼の親切心(を隠れ蓑にした、見え見えの下心)をすげなく跳ねつけた。

「まぁ、そう遠慮なんかせずに」

「いえ、一人で運べますから結構です」

「僕も一応、男の端くれですから、このくらいの甕なら持てますよ」

 いかにも体力のなさそうな、青ヒョウタンみたいな成りしてよく言うわ、と、シーヴァは心の中で毒づく。

「強情な人ですね」

 エゴンは、いつもの薄ら笑いを浮かべながらシーヴァとの距離を一気に詰めると、彼女の腕から強引に甕を取り上げようとしてきた。その際に両手をギュっと握られ、ゾワリと全身の肌が粟立ったシーヴァは、危うく甕を落としそうになったと同時に「触らないで!!!!」と思わずエゴンを怒鳴りつけたのだった。

 しまった、と思ったものの、シーヴァを小馬鹿にするように肩を竦めてみせるエゴンの姿を見て、すぐさまその気持ちは取り消されることとなった。

「手に触れたくらいで、そんなムキになって怒らないでくださいよ。男を知らない生娘でもあるまいに。貴女は見掛けによらず、随分貞淑な女性ですねぇ」

 気のせいか、エゴンの薄ら笑いの中に、怒りの感情が見え隠れしている様な気がする。

「でも、娼婦上がりの汚れた女が、今更貞淑ぶってもねぇ……」

「……なっ……」

「ちなみに、いくらですか??」

 一瞬、シーヴァは自分が何を言われているのか、理解できなかった。いや、本当は分かっていたのだろうが、あえて理解したくなかったのかもしれない。

「今、貴女の家には訳有りの居候が滞在しているから、多かれ少なかれ、生活費に負担が掛かっているのでしょう??貴女が僕に一晩買われてくれるなら、一か月は楽ができるだけのお金を払ってあげますよ??」

 やはり、この男は自分をそういう目で見ていたのか。汚らわしいのは一体どっちだ!

 シーヴァは怒りと屈辱で身体を震わせ、美しい顔を醜く歪めると、ギリギリと音が出そうなくらい、唇をきつく噛みしめる。そして、あわや甕の中身をエゴンに向けてぶちまけそうになったところ、シーヴァの前に誰かが立ちはだかる。

 女性の割に長身のシーヴァでさえ、見上げなければ顔を確認できない程に大柄な人物はごく僅かだ。その中で最も背が高く、最も近しい存在と言えば、彼に他ならない。

「……イアン……、どうしてここへ……」

「……教会から帰る途中、エゴンさんとお前を見掛けたから声を掛けようとしたんだが……。どうもお前の態度が変だったから、少しだけ様子を伺っていたんだ」

 イアンは口調こそ穏やかなものの、いつもなら八の字に下がっている眉や目尻が吊り上がっている。明らかに、彼が怒りに駆られているという証拠だ。

「エゴンさん。妻は、十一年前に俺が娼館から引き取った時点で堅気に戻っているんだ。いやらしい目で彼女を見るのはやめてくれ」

 エゴンに向かってきっぱりと注意を述べると、イアンは有無を言わさずシーヴァの腕から甕を奪い取る。

「シーヴァ、帰るぞ。子供達とメリッサが待っている」

 イアンに促され、彼と共にシーヴァがエゴンに背を向けた時だった。

「イアンさん。そういう貴方こそ、シーヴァさんをいやらしい目で見ていたのではないのですか??でなきゃ、娘同然の女性を自分の妻になんか迎えたりしませんよね??」

 またもや耳を疑うような発言を口にするエゴンに腹を立てたシーヴァは、後ろを振り返り、切れ長のハシバミ色の瞳でキッと彼を鋭く睨みつける。

「よせ、シーヴァ」

「……だって!!……」

「言わせたい奴には言わせとけばいい」

「私だけならともかく、イアンの事を悪く言われるのだけはどうしても許せないのよ!!」

 シーヴァはイアンの制止を無視して、エゴンに向き直る。

 相変わらずエゴンは、焦点の定まらない茫洋とした瞳で、気味の悪い笑顔を浮かべている。

「貴方はイアンを馬鹿にしているけど、本当は羨ましくて堪らないだけでしょ??周りの人達から慕われ、若く美しい妻と可愛い子共達がいて、マリオンという跡継ぎにも尊敬されている。片や、中流家庭育ちで元教師という肩書がありつつ、孤独に苛まれ、無為に日々を生きる貴方にしてみたら、何であいつが、って気に入らないんでしょ??」

 シーヴァの指摘により、エゴンの顔から先程までの薄ら笑いが消え失せ、仮面のような無表情に変わる。

「……僕は今まで、両親の期待に応えるべく勉学に励んできたし、学校や生徒、彼等の親達に報いるべく、常に努力を重ねてきたのですよ??こんな、しがない清貧の棺桶職人風情よりももっと人に必要とされ、慕われるべき人間だ。それなのに、この界隈の連中ときたら、揃いも揃って僕のことを敬おうとしないどころか、腫れ物に触るようによそよそしい態度で接してくる」

「当然よ。貴方は自分の思いを人に押し付けるばかりで、人の気持ちをまるで顧みようとしない。全てが余りに一方的すぎるのよ。とにかく」

 シーヴァは、冷たい視線でエゴンを一瞥すると、こう告げた。

「私には、貴方の行動全てが迷惑でしかないの。だから、金輪際、私には近寄らないで。私だけじゃない、イアンやマリオン、子供達にもね」

 それだけ言い残すと、再びシーヴァはイアンと共にエゴンに背を向け、足早に家へと歩みを進めたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ