女二人
(1)
メリッサがマリオン達の家に匿われてから、二週間が経過した。
あの夜の翌朝、マリオンとランスロットはメリッサを一旦ラカンターに預けて、家に戻った。そして、イアン達を始め、近所に住む人々の中でも特に信用に置ける者達を集めて、メリッサの事を話した。
イアンとシーヴァも事情が事情なだけに、当初はメリッサを匿うことに対して躊躇っていたが、彼女がマリオンにとって大切な女性だと知ると最終的には首を縦に振ってくれたのだった。ある一つの条件と引き換えに。
その条件とは、メリッサを家で匿うのは一か月間だけでその後は、イアンとシーヴァの知人夫婦が住んでいる街へ一時的に移り住んでもらうということだった。そこなら、この街から随分離れた場所でクロムウェル党の手も回ってこないかもしれないし、その夫婦が彼女の面倒を見てくれるから、と。
例え一か月間だけとはいえ、イアン達に世話と迷惑を掛けることになったメリッサは、家事や子守りを積極的に手伝い、少しでも馴染もうと必死だった。その甲斐あって、今ではすっかり家族の一員のような存在になりつつあったーー。
(2)
「シーヴァ、ちょっと出掛けてくる。遅くても、昼過ぎには戻る」
「行ってらっしゃい」
イアンはその日、珍しくマリオンに仕事を任せただけでなく、朝から出掛けようとしていた。アリスに食事を与えている最中だったシーヴァは、席に着いたまま彼を送り出す。
「おとうさん、どこ行くのーー??」
扉を開けようとするイアンの足元に、ノエルが纏わりついてくる。
「んーー、お父さんはな、今から教会に行ってくるんだよ」
「僕も連れてって!」
「お前が行っても退屈なだけだぞ??すぐ帰って来るから、お母さんやアリス、メリッサと一緒に家で待ってるんだ」
「やあだ!連れてって!!」
「ノエル、頼むから言う事を聞いてくれ」
「じゃあ、行かないで!お父さん、行っちゃやあだぁーー!!」
普段と違うイアンの行動に何かしらの不安を感じているのか、ノエルはしきりにイアンを引き留めようと駄々をこねた末に、大声でわんわん泣き始めた。
「こら!ノエル、お父さんの邪魔をしないの!!」
見兼ねたシーヴァが、アリスの食事を中断させてノエルの元へ駆け寄ると、泣きじゃくる息子を抱き上げる。
「多分、俺がこのままどっか行ってしまうんじゃないか、とでも思ったか……」
「大丈夫よ、ノエル。お父さんは用事が終わったら、すぐにお家に帰ってくるから」
イアンとシーヴァの二人掛かりでノエルを宥めていると、今度はアリスが食事の続きを催促するようにぐずり始める。
ノエルもまだ完全に泣き止んでいない状態の為、さすがのシーヴァもどうしたもんかと困惑していると、「あ、あの……、私がアリスちゃんのごはん食べさせましょうか??」と、メリッサが申し出てくれたので、「……じゃあ……、メリッサ、悪いけどお願いしてもいいかしら??」と任せることにしたのだった。
「イアン、ノエルの事は私が何とかするから、貴方は出掛けてきて頂戴」
「すまん、シーヴァ。なるべく早く帰ってくるから」
イアンはシーヴァに謝ると、そそくさと家を後にしたのだった。
神経質なノエルとは対照的に、アリスはおっとりとした性格からか、シーヴァに代わってメリッサに食事を食べさせてもらうことに全く抵抗がないようだ。その証拠に、ややぎこちない手つきでミルク粥を口に運ばれているにも関わらず、何事もなさげにもぐもぐと口を動かし続けている。
「メリッサ、悪いわね」
ノエルを抱きかかえたまま、シーヴァが再び席に着く。
「いえいえ。ノエル君はイアンさんの事も大好きなんですね」
シーヴァの腕の中に顔を埋めて鼻をグズグズさせているノエルを見て、メリッサはクスリと笑う。
「私やマリオンの事も大事にしてくれていたけど、この子やアリスは実の子だし、歳を取ってから出来たせいか、随分可愛がっているしね。それに……」
シーヴァは少し間を置いてから、言葉を続ける。
「……あの人、最初の奥さんと、その人との間に生まれた娘さんを立て続けに不幸な事故で亡くしている分、家族への愛情を人一倍強く持っているのよ」
「……そうだったんですか」
家族を失くした苦しみを知っているからこそ、イアンは身寄りのないシーヴァやマリオンを引き取り、男手一つで育て上げることができたのか。
「今日はね、死んだ奥さんと娘さんのお墓参りに出掛けたのよ」
「あ……、だから教会へ……」
「えぇ。一度、私に気遣ってお墓参りを止めようとしたことがあったけど、それは駄目だ、彼女達の事も忘れないでいて、って言ってやったわ」
シーヴァは、ようやく静かになったノエルの髪を撫で上げる。息子を慈しむ穏やかな表情は、まるで聖母のようだ。
「あの、シーヴァさん……、前から聞きたいと思ってたことがあって」
「何かしら??」
メリッサは、少し言いにくそうにしながらもシーヴァに尋ねる。
「シーヴァさんは、どうしてイアンさんと結婚されたんですか??その……、シーヴァさん程若くて綺麗な人だったら、きっと他にも男の人から引く手数多だったろうに……」
メリッサが続きの言葉を言いあぐねていると、「……つまり、何でわざわざ父親同然の、二十も歳の離れた冴えない中年親父を選んだか、ってこと??」と、身も蓋もない言葉でシーヴァが要約してくれた。
「う……、はい……。ごめんなさい、私、すごく失礼なこと聞いてますよね……」
申し訳なさそうにシュンとしているメリッサの様子に、「ふふふ、別に気にしてないわよ。それに、似たような質問を今までにも何回かされているから」と、シーヴァは笑顔で受け流す。
「そうねぇ……、話すと長くなるけど……、それでも良いかしら??」
そして、シーヴァはイアンと出会った十一年前から遡って、メリッサに語り出した。
事故で父親を亡くし、母も病に伏せって働けなくなったことで街頭に立って歌を唄い、日銭稼ぎをしていたところ、妻子を亡くして無為な日々を過ごしていたイアンと出会ったこと、毎日のように歌を聴きに訪れるイアンと交流を深める内、父娘のような絆が生まれ始めたこと、母が死に、アパートの家主に手籠めにされて声を失ったあげく、娼館に売られ少女売春婦に身を窶していたが、その娼館の常連客だったイアンと再会したことーー。
「……イアンはね、絶望に打ちひしがれていた私に、暖かい光を与えてくれたの」
シーヴァに少しでも客の相手をさせないよう、毎日とはいかないまでも週の大半をイアンが彼女を買ってくれたこと(勿論、手は一切出していない)、シーヴァが客から虐待を受けたことにより、身請けしようと必死になって奔走してくれたことーー。
中には思い出したくもないような辛い話もあっただろうが、シーヴァは包み隠さず、全てメリッサに話したのだった。
「……私の為に、あんなに一生懸命になってくれる人なんて、後にも先にもイアンしかいないと思う。だから、彼を愛してしまったのは必然的よね。イアンの傍にいることが私にとって一番の望みだし、彼の子供を産めたことがとても幸せなの」
シーヴァは少しはにかみながらも、はっきりと言い切る。その笑顔は、いつもの凛とした強い表情ではなく、あどけない少女のようだった。
アリスに食事を与えながら、メリッサはシーヴァの話にじっと耳を傾けていた、
「……お話聞かせてくれてありがとうございます。月並みな言葉になっちゃうけど……、二人は並大抵じゃない、大変な思いを分かち合ってきたから、その分深い絆で結ばれているんですね。だから、シーヴァさんは誰よりもイアンさんのことを愛している」
「えぇ、イアンは私にとって神様、ううん、神様以上の存在なの」
恥ずかしげもなく、サラリと答えるシーヴァに「そんなにはっきり言い切れるくらい、愛せる人がいるの、ちょっと羨ましい」と、どことなく寂しげな様子でメリッサは微笑む。
「じゃあ、今度は私から質問。メリッサはそう言うけど、マリオンのことはどう思っているの??」
シーヴァは、切れ長のハシバミ色の瞳でメリッサのアイスブルーの大きな瞳を見据える。
「勿論、マリオンのことは大好きです!ただ、シーヴァさんの、イアンさんへの想いに比べたら、まだまだ……」
「でも、好きな事には変わりないんでしょ??メリッサ、そういうのは他の誰かと比べることじゃないわ。もっと自分の気持ちに自信を持って」
「……ありがとう。私、将来を誓い合っていた恋人と呆気なく別れてしまって……、それで、人を本気で好きになることが、少し怖かったんです……。マリオンが私を好きでいてくれることが嬉しい反面、戸惑う気持ちも少なからずあって……。変……ですよね……」
「ううん、別に変だとは思わない。ただ、メリッサは人を愛することや愛されることに、少し臆病になりすぎているわ。この二週間、一緒に暮らしてみて、貴女はマリオンには勿体ないくらい素敵な女性だって分かった。だから、さっきも言ったけど、もっと自分に自信を持って、マリオンのことも信じてあげて。ね??」
シーヴァに優しく諭され、メリッサはほんの少しだけ瞳を潤ませながらも、「……はい!」と強く返事を返す。
「さ、アリスも食事が終わったことだし……、話はこれでお開きにしましょう。ノエルも起きて。今寝たりしたら、お昼寝の時にまた寝れなくなるわよ??」
いつの間にか、腕の中でウトウトとまどろんでいたノエルを起こすと、シーヴァは家事を再開するために席を立ち上がったのだった。




