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不安

(1) 


 ハルは、ビールを飲み終わっていささか酔っ払い始めたマージョリーとの話を思い出していたーー。


「しかし、あんたも女運が悪い男だねぇ。関わった女が厄介な事件に巻き込まれやすくて」

「あぁ??逆だろ??むしろ、俺と関わった女が巻き込まれるんだ」

 マージョリーの無神経な発言に苛立ちを覚えたが、所詮は酔っ払いの戯言だと聞き流す。

「アダが巻き込まれた事件は、背筋も凍りつく程の残酷なものだったよ」

「婆さん、その話は持ち出さないでくれ」

 さすがにこれ以上は堪忍袋の緒が切れかねないので、ハルはやや厳しい口調でマージョリーを咎める。

「あぁ、悪かったね……。嫌な話をしちまって」

 全くだ。ハルは、心の中でマージョリーに毒づいた。

 今から八年前、娼婦ばかりを狙った残酷な通り魔事件が連続して発生し、歓楽街の人々を恐怖のどん底に陥れた。そして、被害者の一人がハルの最愛の恋人のアダだったのだ。

 アダはハルが生まれ育った娼館で働く娼婦で、世間から見れば、ポン引きであるハルとの関係は情人同士でしかなかった。だが、ハルは娼館の次期店主になる男だったので、店を引き継いだ暁にはアダと結婚する、と彼女と誓い合っていた。しかし、アダが通り魔に殺されたことでそれは叶わぬ夢となった。

 被害者は誰もかれもが目を背けたくなるような、残忍な殺され方をしていたが、中でもアダが最も酷く、現場慣れしたベテランの刑事ですら彼女の遺体を見て即座に嘔吐する程のものだった。

 そんな彼女の身元確認はハルが行った。

 もはや人間としての原型をとどめておらず醜い肉塊と化していたが、髪の色や辛うじて残された身体の特徴で紛れもなく彼女だと判明したのだ。

 悲しみや憎しみも限界を超えると却って何も感じなくなるものだと、その時ハルは知った。 

 結局、犯人が自殺したことで事件は終息したが、ハルの心には未だに消えない喪失感が残されている。

 だから、アダとよく似たメリッサのことをハルは密かに気に掛けていたし、彼女には絶対に幸せになって欲しいと願っていた。マリオンとの仲をからかいながらも取り持とうとするのも、彼ならメリッサを大切にしてくれるだろうと信じての事だった。

「ボス、ボスッ!!」

 ランスロットの何度目かの呼び掛けに、ハルはようやく我に返る。

「あぁ、何だよ、ランス」

「あぁ、じゃないっすよ。さっきから何回も声掛けてんのに、ボスときたらうわの空で。今日はどうしたんすか、珍しい」

 いつになくボーっと考え事をしている様子のハルに、ランスロットは鳶色のどんぐり眼を険しくさせ、不審気な様子でいる。

(昼間の話を、ランスにも話すべきだろうか……)

 ランスロットは口が堅い男だし、何かと信頼が置ける。だからこそ、彼を余計なことに巻き込みたくないとも思うのだ。

「ハールさん!遊びに来ちゃいましたぁ!!」

 突然、聞き慣れた、女の高い声がハルの耳に届く。

「おっ、メリッサじゃねえか、って……、マリオンも一緒って……。お前ら、いつの間にそういう仲になってたんだよ?!」

 案の定、二人はランスロットに体よくからかわれている。

「べ、別に、いつだっていいだろ!?」

 からかわれたマリオンも、狼狽えながらよく分からない返事を返す。

「そうかそうか、そんなに二人共俺の店で仕事したいのか??」

 先程とは打って変わり、やけにニコニコと胡散臭い笑顔を振り撒いて、ハルはマリオンとメリッサに近づく。

「何なら、厨房で皿洗いでもしていくか??」

「し、しませんよ!!」

 マリオンとメリッサは声を揃えて反論する。

「……と言うのは冗談で、二人共、奥で休んで行けよ。ここにいると客も徐々に増えてくるだろうし、そうなると三人で何か演奏しろと言われるかもしれんから。ゆっくりできなくなるだろう??」

 ハルの気遣いに二人は、「ありがとうございます!!」とまたも声を揃えて礼を述べる。

「じゃあ、適当に何か飲み物と軽食作って持っていくから、奥の部屋のテーブルに座ってろ」

 マリオンとメリッサは、ハルの言葉に甘えて奥の部屋へ引っ込んだ。


(2)


 十五分程して、フィッシュ・アンド・チップスとビール二本をトレーに乗せて、二人が待つ部屋へハルが入ってきた。

「これは俺からの奢りだ。いつもお前達には助けられてるし」

「ハルさん、いいんですか?!」

「構わん、構わん。俺が好きでやっていることだし。とりあえず腹も減ってるだろうから、まぁ、食えよ」

 マリオンとメリッサはおずおずと遠慮がちにしつつ、ポテトをチビチビとつまんでは口に放り込む。

「で、お前ら、いつから付き合っているんだ??」

 予想通りのハルからの質問に、マリオンは「じ、実は……、ついさっきです……」と答える。

「ふうん。ま、良かったな。お前、顔に似合わず初で奥手だし、どうなることかと心配してたが」

「でも、私はマリオンのそういうところが好きなんです」

 ひたすら照れてばかりのマリオンとは反対に、メリッサがはっきりと強い口調で言い切る。

「若いっていいねぇ。枯れつつあるオッサンとしては、羨ましい限りだよ」

「オッサンって……、やだなぁ、ハルさん。ハルさんはとても三十過ぎてるようには見えないくらい、若くて格好いいじゃないですか!!女の人にもモテるし、全然大丈夫。まだこれからですよ!!」

「そりゃどうも。メリッサ、お前は本当に良い娘だな。マリオン、勿論、お前も良い奴だ」

「ハルさん、どうしたんですか一体。今日はやけに感傷的ですね」

 どことなく、いつもと様子が微妙に違うハルにマリオンが不思議そうにしている。

 ハルは二人に気付かれないよう、そっと息を整えると話を切り出した。

「食ってる最中にこんな話して悪いんだが……。メリッサ、リバティーンの店主と女給が今朝、店に入った押し込み強盗に殺された」

「……えっ……」

 メリッサがアイスブルーの大きな瞳をこれでもか、というくらいまで拡げる。マリオンも彼女の隣で言葉を失う。

「……そ、んな……、嘘……」

「嘘じゃない、本当だ」

 メリッサは強すぎるショックにより危うく崩れ落ちそうになったが、マリオンが咄嗟に彼女の身体を両腕で支えてくれたため、何とか踏みとどまった。

「……今日、私が休みを取ったから、代わりにボニーが入ったの……。私が、私が休まなきゃ、あの子、殺されなかったのに……。私のせいで……」

「メリッサ、それは違う。言い方は悪いが、そのボニーという女は運が悪かっただけなんだ」

 すぐさま、ハルはメリッサを諭す。

「だって……!」

「お前が自分を責める気持ちは良く分かる。だけどな、そんなことしたって何も変わりはしない」

「分かった風に言わないで!」

 メリッサは嫌々をするかのように、頭を激しく振ってハルに反発する。

 ハルは取り乱すメリッサをどうしたもんかと持て余し、顎髭を指で撫でさすり、思案する。

「メリッサ、今から俺が話すことをよく聞いてくれ」

「……??……」

 込み上げてくる酷い頭痛と吐き気を堪えながら、ハルは八年前の悲劇を二人に語った。

 始めは、あからさまに反抗心を剥き出しにしていたメリッサだったが、話が進むにつれ、徐々に冷静さを取り戻して行った。

「……結局、俺がその夜アダに客引きへ行け、と言わなければ、あいつは殺されなかったんだ。いくら自分の恋人でも商売は商売だから、言わなきゃいけないことだった。何度も自分を責めたさ。もしも、俺が客引きに行けと言わず、代わりに俺が彼女を買って一晩過ごしていたら……。今までだって何度もそうしたことがあったのに、何であの日に限って……ってな。だから、今では運が悪かったんだと思うようにしている」

「…………」

 ハルの壮絶な過去に、メリッサとマリオンはただただ言葉を失くし、項垂れている。

「そういう訳だ、メリッサ。自分を責めるのだけはやめろ。それよりも、今後の身の振り方を考えた方が良い」

「……はい……」

 メリッサは素直に返事を返した。

「……と言うのも、お前自身も今危険に晒されている状態なんだ」

 ハルは、昼間マージョリーから聞かされた話を元に、メリッサがクロムウェル党から命を狙わるかもしれないと話した。

「メリッサ、悪いことは言わん。しばらくこの街から離れろ」

「…………」

「田舎に帰れないと言うなら、俺の方で別の街で暮らしていけるように手配する」

 メリッサは、不安そうに怯えた目をしてマリオンを見つめる。

「マリオンと恋人になったばかりで離れるのは辛いと思う。だけど、この街にはいない方が良い」

「待ってください、ハルさん」

 怯えるメリッサの背中を撫でながら、マリオンがハルを見据える。

「メリッサを……、僕の家で預からせてください」

「マリオン。クロムウェル党は目的の為なら、人殺しさえ平気でしでかすような連中だ。お前がメリッサを匿っていると奴らが知ったら、お前やお前の家族もただじゃすまなくなる」

「だけど……、メリッサが他の街に出て行ったからと言って、連中は簡単に諦めるんでしょうか??」

「少なくとも、この街にいるよりはマシだと思う」

「本当に??」

 普段大人しく聞き分けの良いマリオンが、珍しく食い下がる。

「僕の住んでいる地域の住民は、訳有りの過去を持っていても真人間であれば、すんなり受け入れてくれる、ただ気のいいお人好しな人達ってだけじゃないんです」

「どういうことだ??」

「一度受け入れた人間を住民同士で守ろうとするんです。例えば、暴力を振るう夫の元から逃げて来た女性を受け入れた時も、妻を無理矢理連れ戻しに来た夫を住民達で追い払いました。あと、刑務所から脱獄した殺人犯がある住民の家に押し入った時も、皆で協力して捕まえたし。だからもし、クロムウェル党がメリッサを追って来たとしても、住民同士の協力で撃退出来ると思うんです」

「…………」

「クロムウェル党がどの程度恐ろしい連中か、僕は分かっていないかもしれません。でも、知らない街でたった一人怯えて暮らすより、いざという時守ってもらえる安心感が持てる場所にいる方がいいんじゃないかって……」

 ハルはしばらくの間黙り込み、逡巡した。

 正直なことを言えば、マリオンの言っていることは甘いと思うが、一理あることも確かだし 何より、精神的に弱っているメリッサを知らない街で一人にさせておくのも心配だ。

「……分かった。メリッサの事はマリオンに任せる」

 ハルの言葉に、マリオンとメリッサは顔を見合わせ、胸を撫で下ろす。

「とりあえず、ランスにも話しておいた方がいいだろう。ただ、いい加減、俺は店に戻らないといけない。だから、ランスに奥へ行って来いと伝えておくから、マリオン、お前が説明しておいてくれ」

「……はい!!」

 ハルは椅子から立ち上がると、部屋から出て行った。

 マリオンに任せるとは言ったものの、ハルの中で一抹の不安がどうにも拭えない。

 そして、ハルの不安が的中することになるとは、この時のマリオンもメリッサも、ハル自身でさえも予想していなかったのだった。

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