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ハル

(1)


――遡ること、八時間前――


 カウンターやテーブルの上には、空、もしくは酒が残っているカップやグラス、煙草の吸殻で溢れ返った灰皿などが放置されている。昨夜、店を閉めた時と何一つ状況が変わっていない中、店中の椅子を集め、座面を向かい合わせて並べたその上で、ハルは薄い毛布を被って眠っていた。

 彼は一応、店から少し離れた場所に安アパートを借りてはいたが、寝る為だけにわざわざ帰るのも面倒臭いため、こうして店で寝泊まりすることがほとんどだった。

 閉店後の深夜三、四時頃に眠り、昼近くになってから起床。その後、厨房で湯を沸かし、店の奥に置いてある風呂桶に張って髪や身体を洗い、部屋から持ってきている服に着替える。身支度を整え終わると、開店準備を少しずつ始める。

 ラカンターを開店して以来六年、ハルはそんな生活をずっと続けている。

「ボスも三十過ぎてんのにこんな生活をいつまでも続けてたら、いつか倒れますよ!?」

 ランスロットにはそうやってよく忠告されるが、いつも適当に聞き流している。

 ドン、ドン!!

 扉を叩く音が静かな店内に鳴り響く。

 一瞬、ランスロットが来たのかと思ったものの、シャツの胸ポケットから取り出した懐中時計を見ると、まだ午前十一時だ。彼が店に来る時間にしては少々早過ぎる。

 ハルは、半分寝ぼけ眼で懐中時計の蓋の裏側をじっと眺める。そこには、一人の女性の写真が貼り付けられていた。

 女性は振り向きざまにいきなり写真を撮られたのか、ひどく驚いた表情をして大きな瞳を真ん丸くしている。髪や目の色、体格、年齢等細かい部分は違えど、面差しがメリッサとよく似ていた。

「ちょっと!ハル!!いるんだろ?!開けておくれ!!」

(……この声は……、マージョリー婆さんか??)

 歓楽街の生き字引こと、マージョリーが何の前触れもなく店に訪れるなんて、おそらく何かろくでもないことが起きたのだろう。

 ハルは毛布をガバッと捲り上げて身を起こすと、すぐさま扉の鍵を開けた。

「よぉ、マージョリー婆さん。こんな昼日中からうちの店に来るなんて珍しい。人の安眠妨害してまで、一体何の用だよ??」

 ハルは、努めて軽い口調でマージョリーに話し掛ける。

 白髪頭を玉葱のようなポンパドゥール風に纏め、齢六十は越しているだろうマージョリーは、かつて歓楽街一の人気娼婦として名を馳せていた女だった。

 それゆえ、裏側の世界に住む者達とも親交があり、様々な情報を入手してはハルのように歓楽街で商売を営む者達に逐一報せてくれていた。

「ハル、大変だよ!!リバティーンの店主と女給が、開店準備中に押し込み強盗に遭って殺されたんだ……」

「……は??何だって!?女給って……、まさか……」

 ハルは見る見るうちに顔面蒼白になっていく。そして、マージョリーの肩を激しく揺さぶり、問い質した。

「殺された女給はどっちだ!?」

 マージョリーはハルの荒々しい剣幕にも動じず、彼の言葉の続きを待つ。

「リバティーンには女給が二人いた!!一人は栗毛でそばかすが目立つ女、もう一人はストロベリーブロンドで瞳が大きい女だ!!なぁ、どっちだったんだ!!」

「あぁ、そういや、この店で時々歌っている娘はあそこの女給でもあったね。安心しな、あの、メリッサとかいう娘じゃない。今日は運良く、休みを取っていたらしい」

 途端にハルは安堵し、長身を九の字に折り曲げて膝に両手を付きながら息を吐く。

「殺された女給には悪いんだが……、……あいつじゃなくて、良かった……」

 気が抜けたハルは、先程までベッド代わりに使っていた椅子の列から二脚引きずり出し、「婆さん、さっきは取り乱して悪かった。まぁ座ってくれよ」とマージョリーを椅子に座らせ、自分ももう一つの椅子に腰掛ける。

「マージョリー婆さん、話の続きを詳しく聞かせてくれ」


(2)

 以下がマージョリーから聞いた話だ。

 リバティーン開店時間の朝八時、ほぼ毎日朝一番に来店する常連客がいつものように店に訪れたが、扉が閉まったままで立て看板すらも出ていない。珍しいこともあるもんだ、と、しばらく店の前で開店するのを待っていたが、いつまで経っても扉が開く気配もない。

 もしかしたら、臨時休業かも知れない、そう思った客は一旦店の前から離れ、自宅に戻った。

 しかし、生真面目な店主のこと、もし今日休業するとしたら、前もって常連である自分にそれらしきことを伝えるはずだ。

 何となく嫌な胸騒ぎを覚えた男は、再びリバティーンに訪れた。時刻はすでに九時を過ぎていたが、やはり店は閉まったままだ。

 男は店の裏口に回り、「おーい!マスター!!今日は休みなのか??いたら、返事くらいしてくれよー!!」と、扉をドンドン叩く。男の声と扉を叩く音に対して返事はなく、ただ虚しく空に響くだけだった。

 不意に手に掛けたドアノブが回り、微かに扉が開く。

(何だよ、裏口の鍵が空いてるってことは、マスターはここに居るってことじゃないか)

「マスター!やっぱり店にいるじゃない……か……」

 男は勢い良く扉を開けたまでは良かったが、壊れるのではと思うくらいの強い力ですぐさま扉を閉める羽目になった。

 裏口にあたる厨房の中で、すでに事切れた店主と女給が見るも無残な姿で血の海で倒れていたからだった。

「店主と女給は、朝六時半には店に訪れて準備を始める。そんな朝早い時間だと、歓楽街の人々は丁度寝静まっているから、盗みに入るには打ってつけの時間だったんだろう。だけどね、不可解な点が幾つかあるんだよ」

「不可解な点??」

「まず、店には複数の人間が押し入った形跡が残されていたそうだし、その割に金が一銭も盗まれていなかった。まるで、二人を殺すことが目的だったかのように」

「その二人のどちらか、もしくは両方に対する怨恨の可能性は??」

「いや、二人共人から恨まれるような人間ではなかったみたいだ」

「金目当てでも怨恨でもなく殺されるなんて、一体何故なんだ……」

 マージョリーが少し躊躇うように口を噤むが、すぐに目を伏せたまま話を続けた。

「これは、あくまで噂を元にした推測だけど……」

「噂??」

「リバティーンに出入りしていた客の中で、メリルボーン製糸工場の焼き討ちを計画していた連中がいたらしい。だからもしかして、クロムウェル党に目をつけられてやられちまったのかもしれない。最近、この辺りで通り魔殺人が頻発していただろう??裏社会の者からの情報じゃ、殺された人間はいずれも製糸工場をクビになってメリルボーンに恨みを持っていたそうだ」

 クロムウェル党とは、親を亡くしたり、親に捨てられた孤児を集めてはスリや売春をさせている小さな犯罪組織だった。しかし、数年前に上流階級出身のハーロウという謎の男が頭になると、子供だけではなくチンピラや元犯罪者なども束ねだし、違法薬物の密売、富裕層の邸宅への押し込み強盗、更には依頼殺人などに手を染めるまでになったのだ。

 ここまで大掛かりな犯罪組織に成長してしまったにも関わらず、警察は未だに彼らを逮捕するに至っていない。もしかすると、ハーロウと警察上層部の間に黒い繋がりがあるのかもしれない。彼らの存在はこの街の人々をはじめ、街の統治者、ファインズ男爵にとっても頭を悩ませているというのに。

 また更に厄介なことに、彼等の後ろにはクレメンス・メリルボーンの陰があるという噂まであるのだ。

 何でも、メリルボーン家に盗みで押し入った際に失敗し、それを見逃す代わりにメリルボーンの警護及び、メリルボーンに害をなす者達の徹底排除を行うようになったという。

「と、言う事は……。工場の焼き討ちを計画していた人間だけでなく、はからずもその場を提供していたリバティーンの店主達も狙われたってことか……」

「おそらくね。多分、店主も女給も計画など何も知らなかっただろうに……」

 ハルとマージョリーの間に、重たい沈黙が押し寄せる。が、すぐにハルはあることに気付き、ハッと我に返る。

「ちょっと待てよ……。クロムウェル党の奴ら、リバティーンには女給が二人いることを知っているのか…??知っていたとしたら……、どっちにしろ、メリッサが危ない!!」

「それだけじゃないよ、ハル。メリッサがこの店で時々働いていたことまで調べられていたら、あんたやこの店も危ないかもしれない」

「……だろうな。だから、俺にいち早く知らせてくれたんだな、婆さん」

「あぁ、そうだよ」

「ありがとう、恩に着るよ」

 ハルは一旦奥に引っ込み、金貨を五枚持ち出してマージョリーに渡そうとした。

「別に金なんかいらないよ」

「いや、そういう訳にはいかんだろう??」

「そう思うんだったら……」

 マージョリーは物欲しげな目で、ハルにニィィーーッと笑い掛ける。

「ビールを一本奢っておくれよ」

「……分かった。その代わり、冷えてないし温いぞ」

「構わないさ」

 ハルは厨房の中からビールの瓶を取り出すと、マージョリーの、痩せて皺くちゃになった手に渡したのだった。


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