第12話
途端、辺りに煙が立ち込めあっという間に視界を白で埋め尽くしていく。
富豪はゲホゲホとせき込みながらも、煙を振り払おうと両手を必死に振り回す。
「くそっ…! 何なんだこれは…!?」
前も後ろも全く見えない状況で、富豪が苛立ったように声を荒げる。
「残念だったねぇ。アタシお手製の煙り玉の威力は、なかなかのモンだろ? じゃ、確かに返してもらったからね!」
白い視界の何処からともなくメイズの声が聞こえる。
どうやら、この煙りにまぎれて逃げてしまうつもりらしい。
富豪も慌てて後を追おうとするも、視界が悪いせいでまともに前に進む事さえままならず。
富豪は苛立ったように地面を踏み鳴らした。
「くそっ…! 待てっ!!」
だが、「待て」と言われて待つ者が一体何処に居ようか。
漸く煙も消え失せ視界が開けてきた頃には富豪ただ1人がその場に佇むばかり。
悔しそうに地団太を踏み鳴らすものの、それに反応する者などおらず虚しさと苛立ちが募る一方だ。
「あのクソガキが…! 絶対に捕まえてやる…!」
月並みな負け犬の遠吠えはしんと静まり返った廊下にただただ響き渡るばかりであった。
◆◇◆
「あの人、追いかけてこないみたいだよ。良かった、うまくいったみたいだね…!」
時折チラチラ後ろを窺いつつ、安堵の息を漏らしながらそう呟くのはリアムだ。
「まぁでも、早くこんな所からオサラバするに越した事はないね」
メイズはそう返すと、走るスピードをさらに速めた。
──そう、2人は煙り玉で富豪を撒いた後、さっさと屋敷を出ようと廊下を疾走中なのである。
軽やかな足取りで廊下を駆け抜けるメイズとは対照的に、リアムはそのスピードについていけないようだ。
時折足がもつれそうになる事もあり、どうやら相当走りづらい様子。
「ちょっ…ちょっと待ってよっ! この…スカートが走りにくくて…」
彼はスカートの裾を摘みながら、そう抗議する。
確かに、彼が穿いているのはメイド服──つまりはロングスカートであり、慣れていなければ走りにくいだろう。
当然、男のリアムが、スカートを穿き慣れているはずがなく。
すると、メイズがこう反論した。
「何悠長な事言ってんだい。スカートなんか、そのうち慣れるよ」
「つーか、慣れたくないよそんなの」
メイズの言葉に、すかさずリアムがツッコミを入れる。
すると、メイズがおちょくったような口調で、
「そうかねぇ? もしかしたら、今後の人生の役に立つかもしれないよ?」
「それだけは絶っ対ありえないからっ!」
走りながら漫才をしているようにも見え、何処となく余裕や和やかさを感じる。
しばらくそんなやりとりをしていたが、メイズが何かを思い出したように、懐から何かを取り出した。
「おっといけない。ジスク達に連絡するの忘れてたね。後は逃げるだけだって、アイツらに言っておかないとねぇ」
彼女は、先程懐から取り出した小型無線機にスイッチを入れる。
しばらくコール音が鳴っていたが、程なくしてジスクが応答したようである。
◆◇◆
──時間は少し遡る。
ジスクとエマイユの二人は精魂尽き果てた、といった感じで、人気のない所で小休止していた。
額の汗を拭いながらやれやれ、と一息つくのはジスクだ。
「マジ疲れたな…。何つーか、ざっと10年分は逃げ回った気がするな」
「そうね…。警備兵も、意外としつこかったし」
エマイユも、肩で息をしながらそうぼやく。
2人は囮役として屋敷中を縦横無尽に駆け回ったようで、2人の顔つきからは確かな疲労の色が浮かんでいた。
捕まる訳にはいかず、かといって撒いてしまう訳にもいかず、適度な距離を保ちつつ相手を自分達に引き付けるのは至難の業であろう。
…と、その時であった。
ピリリリリ…
突然、ジスクの懐から電子音が鳴り響いた。
「なっ、何じゃこりゃ!?」
「……! もしかしたら、メイズからもらった小型無線機じゃないかしら?」
全く訳が分からない、といった感じのジスクに対し、そういえば、とメイズから貰った無線機を思い出すエマイユ。
彼は言われた通り、懐から小型無線機を取り出す。
案の定、音の主はそれであった。
急いで、ジスクは小型無線機のスイッチを入れた。
「もしもし?」
“おっ、その声はジスクだね? アタシはメイズさ。そっちはどうだい? まさか、捕まってないだろうねぇ?”
メイズの茶化したような台詞に、ジスクはふふん、と笑うと自信たっぷりにこう返した。
「もちろん。何とか逃げ回ってる所だぜ」
“そうかい? それは良かったよ。こっちも上手くいったよ。作戦成功って事で、とっととこんな所から撤退するよ”